竜山(92.4m)・伊保山(112m) 高砂市 25000図=「加古川」
竜山石を巡る小さな山旅
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| 法華山谷川の河畔から見る竜山 |
1、竜山へ
高砂市の竜山と伊保山は、切り立った石切場がいたる所で白っぽい岩肌を見せている。ここは、古代より石材の一大産地であった。ここから切り出された石材は「竜山石」と呼ばれ、その岩石のでき方を示す紋様と緑や黄の淡い色合いが独特の気品をかもし出している。
冷たく清々しい冬の朝の空気。法華山谷川の河畔に立っていると、散歩を楽しむ人が何人も通り過ぎていく。対岸には、屏風のように広がった竜山の石切場が朝日をつややかにはね返し、水面にその姿を映していた。
石山橋を渡り、石切場に入る広い道を上った。石を見ていると、ジョウビタキが近くの小枝に止まった。道は石切場の中段に延び、そこで途絶えた。
少し戻って、見つけておいた細い山道から竜山をめざした。道は、雑木林の中をゆるく南へ上っていた。道の土や落ち葉は、まだ硬く凍てついていた。4人のパーティーにすれちがった。
道の傾斜が大きくなり、息がはずむ。雑木林を抜けると日当たりの良いコシダの原となった。地面には、竜山石の岩盤。ところどころが、酸化によって赤く染まっていた。
コシダの上に、アカマツ、ヒサカキ、ソヨゴなどの潅木が生えてくる。西へ折れ、潅木帯を抜けると、もう山の上だった。
あたりは、枯れたササの広がる原っぱだった。「魚崎構居跡」の白い杭と1本の高いアンテナが立っている。ササ原の中の丸くて小高い丘が竜山の山頂だった。
山頂に立つと西風が強く、ササが始終ザワザワと鳴っていた。ここから見下ろすと、海岸平野に高砂から加古川の街並みが大きく広がっている。そこには、山や丘がまったく無く、ここだけが平野の中に突き出していた。海岸の工場群の向こうには播磨灘がかすみ、上島がぽっかりと浮かんでいた。
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| 竜山の石切場 |
竜山山頂 |
山頂を北へ下った。ゆるい鞍部に、「竜山5号墳」の跡。尾根の東側は、石切場の絶壁が垂直に落ちている。道は、その絶壁から少し離れてついているが、ときどき石切場の方へ分かれていた。その道へ、おそるおそる踏み込んでみると、眼下に今朝歩いた法華山谷川の河畔の風景が広がった。
竜山の肩は草地になっていて、丸く顔を出した岩が点在していた。正面に、伊保山が大きくなってきた。伊保山は、切り取られた岩盤が、薄いベージュ色の岩肌を大きく開いていた。
そこから急になった坂を下ると、道の両側から石切場が迫ってきた。道幅は2mほど。風をさえぎるものがなく、横風をまともに受ける。ほんの短い区間だったが、無事通り抜けることができてホッとした。
尾根の上に、石を切り出した跡があった。きれいな黄色の竜山石の岩盤だった。
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| 石切場の上から見下ろす |
竜山の尾根より伊保山を望む |
2、伊保山へ
道路に下ったあと、伊保山の取り付き口を探した。竹やぶに踏み込んだが、先に進めなかった。竹やぶから出て、山頂直下の石切場に向かった。石切場の下は、霊園になっていた。霊園の事務所で、伊保山への道を聞いてみた。
「あそこから上ると、ケモノ道のようなものがあるようですけど……」
教えてもらったところの岩を上ると、雑木の中にうっすらと踏み跡がついていた。雑木の枝葉を分けて進むと、コシダの生い茂った斜面に出た。体はすっぽりコシダの中。顔だけ出して、コシダの海を泳ぐように進むと、岩盤の広がる尾根に達した。
ここにも、石の切り出された跡があった。岩には矢穴が残されていた。
石切場にはさまれた尾根を上ると、小さなササ原に達した。ササ原の中の、シャシャンボやネズミサシなどがこんもりと茂ったところが伊保山の山頂だった。
山頂の周りは、どちらかも石切場が迫り、ストンと真下に切れ落ちていた。茂みの周りを動いて石切場の上に立つと、その方角の眺望が開けた。
西には、鉄道や道路が収束していくように延び、その先に小さな小山に乗った姫路城が見えた。北には高御位山が近く、山頂の要塞のような盤座が順光を浴びていた。
来た方角を振り返ると、竜山がその名にふさわしい姿で海岸平野にこんもりと細長く突き出していた。
竜山石を巡る小さな山旅。最後に、ここから石の宝殿へ向かった。
地質岩石探訪『石の宝殿』へ
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| 尾根から伊保山山頂へ |
伊保山山頂から望む高御位山 |
山行日:2009年1月25日