高   峰    (845m)                 一宮町         25000図=「神子畑」
神の座した峰に春の新雪
 
公文川より望む高峰(左奥の最高所が頂上)

 御形(みかた)神社を下り、公文川のほとりに立つと高峰が見えた。雪を纏った山頂には、強い風にあおられた雲がからみつき、東西に伸びた稜線のすぐ上をおおっている。白い山と白い雲は、逆光線の光によってまばゆく輝いていた。

 一宮町の高峰は、風土記の山である。播磨国風土記の中の「志尓嵩(しにたけ)」が、この高峰に比定されているのである。各地で戦いを繰り広げた葦原志許乎命(あしはらのしこをのみこと)と天日槍命(あめのひぼこのみこと)の最後の決戦の地が、この山である(『播磨国風土記の山々』へ)。御形神社には、「夜の間杉(よのますぎ)」の伝説が残っている。奈良朝の772年、里人数人が、一夜のうちに3本の大杉が山神社の森に鼎立(ていりつ)するという霊夢を見、これは高峰の山頂に居た神の遷座の所望であろうということで、社殿を造営し、神を祀ったという伝説である。御形神社の本殿裏には、樹齢600年の大木「夜の間杉(よのますぎ)」が立っていた。

 麓から西尾根に取りつくまでの急な斜面には、曲がりくねった広い道がついている。終点には、NHKの中継放送所のアンテナが立ち、ここから尾根に沿って雑木の切り開きがある。昨日、近畿地方では春一番が吹いたが、このあたりは雪が降っていた。真っ白な春の新雪である。今日も、ぼたん雪がふわふわと降っている。風に揺られた木の枝が、昨夜のせた雪を、時折はらはらと落とす。時々、木立の間に視界が開けることがある。北には、深い谷を隔てて峰山高原が迫っている。雪化粧をしてはいるが、日が陰っているためか、峰山の大きな山体はどっしりと暗く横たわっていた。

高峰山稜からの峰山高原(中央が暁晴山) 高峰山頂の三角点

 雪は30cmも積もってはいないのだが、初めてスノーシューを足につけて歩いてみた。斜面を歩くものいいが、平坦に近いところでのスノーシューは快適だった。
 いくつかのピークを越えて、山頂に辿り着いた。マジックで簡単に「高峰山頂」と書かれた杭が立ち、登頂記念の小さなプレートが3枚、木の枝に掛かっていた。雪面の少し盛り上がったところの雪を手で払いのけると、三角点の上面が出てきた。山頂のアセビは、雪をのせてじっとうなだれているが、小さなつぼみの先はかすかに開きかけている。神の座した山に、春はもうそこまで来ている。

山行日:2001年3月11日



山 歩 き の 記 録

行き:一宮町前川〜(地形図実線路)〜NHK一宮三方テレビ中継放送所アンテナ(実線路終点)〜640mピーク〜781m地点〜高峰山頂
帰り:行きと同じ
御形神社 雪の小径
 初めに、御形神社を訪れた。本殿は、檜皮葺きの屋根、朱の柱が美しい社殿であった。本殿の裏には、しめ縄を巻かれた「夜の間杉」が立っていた。この神社と高峰にまつわる言い伝えの記された案内板を読んで、高峰に向かった。
 一宮町前川の「和田石材店」横から地形図に実線で示された道が高峰西尾根へ続いている。車も上れる広い道であるが、雪が積もっているので石材店から歩いた。急な斜面につづら折りについているので、楽に歩けるがかなり距離がある。この道を登っていくと、途中、西に1016mの東山、北西に1064mの一山が見えた。どちらも雪を纏って白くなっている。このあたりは、1000m峰の宝庫である。やがて、実線路の終点に着いた。ここには、NHK一宮三方テレビ中継放送所のアンテナが立っている。ここからは、尾根につけられた切り開きの小径である。雪はそんなに積もっていないが、ここからスノーシューをつけて歩いた。山頂まで地形ははっきりしているし、切り開きも明瞭なので、迷う心配なしに歩くことができる。地形図の640m峰など、いくつかのピークを越えて山頂に達した。

   ■山頂の岩石■ 白亜紀 生野層群 最上部層  流紋岩質凝灰岩

 今回は、雪のため、多くを観察できなかった。山頂付近でサンプリングした岩石は、アメ色をした石英の結晶片が多く含まれる凝灰岩であった。石英以外には、白い長石を含み、基質部は緑褐色に変質している。
 実線路の終点付近では、淡緑色の石英斑岩がかなり広く露出していた。石英と長石を斑晶にもち、基質は緻密で、硬い岩石である。

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