汐鳴山(305.3m) 淡路市 25000図=「明石」「仮屋」
江埼灯台から汐鳴山を経て野島鍾乳洞へ
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| 汐鳴山(山頂は写真中央) |
明石海峡を望む江埼灯台から、汐鳴山(しおなるやま)と野島鍾乳洞を結んで歩いてみた。
海からの石段を上る。兵庫県南部地震で動いた野島断層がここに現れ、石段がずれている。石段の尽きたところに江埼灯台は立っていた。
普通の灯台の一番上を切り取ってコンクリートの地面にのせたような白亜の灯台。その白が海や空の青、山の緑に際立っていた。
灯台の背後には、深い森があった。その森の先にめざす汐鳴山がある。
尾根には明瞭な道はなかった。ウバメガシが光りをさえぎり、下草はほとんど生えていない。固くて小判のようなウバメガシの落ち葉を踏みしめてこの尾根を上った。
時々、海からの風が樹林を吹き抜け、ほてった体を冷やしてくれた。コナラの柔らかい若葉にはまだ絹毛が生えていた。
木々の途切れたところで振り返ると、海が見えた。幾そうかの船が、青い海面に白く尾を引いて走っていた。
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| 江崎灯台 |
尾根より明石海峡を望む |
さらにウバメガシの尾根が続いた。ウバメガシの枝を引っ掛けると驚くほど多くの花粉が飛び出した。その花粉に、帽子もザックも黄色く染まった。
傾斜が緩くなり、ネジキやウラジロノキがふえてきたところで、送電線鉄塔の下に出た。
鉄塔からしばらくの間、踏み後程度の切り開きがあった。その切り開きを緩く下る。ヒメハギが咲いていた。再び緩く上った次の鉄塔の下には、風化によって丸みを帯びた大きな花こう岩が積み重なっていた。
このあたりから尾根が広がり地形があいまいになってきた。樹林の中で迷ったと思ったら、思わぬ方角に目標としていた大阪湾海上交通センターの電波塔が見えた。
大阪湾海上交通センターまでが今日の山歩きの華だった。ここからは、広い舗装路をひたすら歩いた。道端には、最近よく見る帰化植物のマツバウンランが咲いている。ムベが木にからんだ蔓から白い花を咲かせていた。
汐鳴山が右前方に見えた。標高305m、鮮やかな新緑が山全体に広がっていた。
舗装路ばかりではおもしろくないので、左に分かれた地道に入った。山上の小さな谷で岩石の標本を採った後、汐鳴山の肩のテレビ中継所アンテナの下に出た。ここから、地道が汐鳴山山頂へ続いていた。
汐鳴山の三角点は、本当によく見つかった。その標石は、道から外れたヤブの中に、地面からほんの5cmほど頭を出していただけだった。
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| ヒメハギ |
ムベ |
ウバメガシの幹が黒々とした林の中を、南へ下った。鶏舎を過ぎると、県道157号線に出た。
ここからがつらかった。脇を車がどんどん通り抜ける。日差しをさえぎる物がなく、春の強い紫外線が降り注ぐ。
道の右手に「古語石さん」という牛の鋳物と巨石が祀られた社が建っていた。この社の裏に避難して、弁当を広げた。
再び、排気ガスと日差しを浴びて南へ進み、ようやく野島鍾乳洞にたどり着いた。
カキ化石から成る石灰岩にできた珍しい鍾乳洞。時代も新生代と新しい。中には入れなかったが、周囲の地質を観察することができた。案内板の下に、ホタルカズラの青い小さな花が風に揺れていた。
「あわじ花さじき」はGWを楽しむ大勢の人でにぎわっていた。ポピーの花畑で、写真を撮ったり、お土産を買ったり……。
その花畑の背後に、これまで歩いてきた丘陵地が一望できた。緩く波打ちながら大きく広がるこの丘陵は津名丘陵と呼ばれている。西を野島断層、東を楠本断層と東浦断層に限られて100万年前頃から地震のたびに隆起してできた。
丘陵の奥には汐鳴山が横たわり、その右に明石海峡大橋の橋脚が薄く霞んでいた。
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| 「あわじ花さじき」から望む津名丘陵 |
関連ページ 「江埼灯台 阪神・淡路大震災 野島断層の跡を残した白亜の灯台」
「カキ化石石灰岩にできた野島鍾乳洞」
山行日:2007年5月3日