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障子岩を擁してそびえる障子場へ ※障子岩の岩石については、「神河町の障子岩」をご覧下さい。 神河町大山の東方に、「障子場(しょうじば)」と呼ばれている山がる。山名は、この山が擁する「障子岩」からつけられた。 初夏の陽射しに、アカバナユウゲショウが咲いていた。七宝寺の脇を抜けて山道に入ると、小さな谷川が流れていて、ひんやりとした空気に包まれた。 シカ柵を開けて、すぐ右手の山道に入った。いきなり始まる急坂をつづらに登る。コガクウツギが、薄い木漏れ日に白いガク片を浮かび上がらせていた。
傾斜がやっと緩くなったところに丸太のベンチ。ツガの木の下で休むと、オオルリが樹上でさえずった。 再び急な上りが始まった。コナラの新葉は、すっかり丈夫になっていた。 標高430m、数個の大きな岩が重なっているのが「狐の踊石」である。ウラジロノキの葉を透かして射し込む光が、石の頭に乗ったテイカカズラを照らしていた。
踊石から「薬師樫」方向へ進むと、右に分枝した道があって、「障子岩」と書かれた標識が立っていた。ここまでの「薬師山やすらぎの森」の遊歩道と別れ、障子岩へ向かった。
急な尾根を登った。ところどころに立つ「障子岩まであと○○m」の標識が道を案内してくれた。左はヒノキ林、右は雑木林。風が吹くと、ざわざわと葉音がした。 標高515mで、東西尾根と合流した。西に下って薬師山の三角点(510.4m)を確かめた後、東へ進んだ。スギ・ヒノキの林床に、アセビとシキミが続いた。 標高470mのコルから、緩い上りに転じた。木漏れ日をシキミの葉の光沢がはね返した。地面に落ちたスギの枝葉を踏んで歩く 標高550mを越えると、尾根の傾斜が一気に急になって道が消えた。伐採されて横に置かれたスギの木を一本一本越えながら登った。 左を見ると、コケに覆われた岩が連なっていた。ロックフォール(岩屑斜面)である。50〜100cmの大きさの岩が10m程度の幅で急斜面に連なっている。ロックフォールのところだけ自然林が残され、木々が岩の上やすき間に根を張っていた。 ロックフォールは、標高570mから始まり630mまで続いた。岩の傍らに、エビネが咲いていた。
炭焼き窯の跡があった。ロックフォールの上方にも、大きな岩が散在していた。
障子岩を後にして、さらに東へ登った。スギ林の急坂に岩が点在する。相変わらず間伐された丸太が横たわっていたが、シダがまだ枯れているので歩きやすかった。
標高800mを越えると、しだいに尾根が広がった。845mまで登ると平らになった。ヒノキの間を風が抜け、ウグイスのさえずりがあたりに響いた。
山頂を南へ下った。もう道はなかった。
標高420m、小さな橋を右岸へ渡ると広い道が通っていた。ミズタビラコの咲く道を下り、城山(487.0m)の裾を西へ回りこんで七宝寺へ戻った。 山行日:2012年5月27日
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| 七宝寺〜薬師山やすらぎの森〜狐の踊石(430m)〜薬師山(510.4m)〜障子岩(720m)〜障子場(882m)〜780mコル〜杉〜七宝寺 |
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| 七宝寺の駐車場を利用した。周辺は、「薬師山やすらぎの森」として整備されている。シカ柵を通り、右手の尾根に登って、やすらぎの森最奥部にある狐の踊石に進んだ(薬師道)。 狐の踊石の北に障子岩への分岐がある。道標に沿って進み、薬師山山頂(510.4m)に寄って東へ登り、障子岩を経由して障子場山頂に達した。 山頂から尾根を南東へ下ると780mコルへ。地形図には、越知からこの峠を経て杉へ到る破線路が描かれているが道は消えていた。南西へ下ると途中から道が現れた。標高420mで広い道に出た。城山西麓の道を北へ進んで七宝寺へ帰った。 |
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| 山頂の岩石 後期白亜紀 笠形山層 溶結火山礫凝灰岩 |
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| 岩石の説明については、「神河町の障子岩」をご覧下さい。 | |||||||||||||||||
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