12の小さな峰をつないで歩く
尾根の小径
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安場山の四等三角点標石は、尾根に続く細い小径から5m程離れて立っていた。小径には別の石柱が立っていて、それで足を止めたのだが、この石柱がなければ三角点に気づかなかっただろう。
リュックを降ろし、ここで一休みした。ポケットから地形図を取り出して、位置を確認した。細かく曲がりくねった尾根に、小さなピークが並んでいる。鉛筆を取り出して、それらのピークに端から番号をつけてみた。ピークの数は全部で12。ほぼ等間隔に並んでいる。その中で、この安場山は5番目にあたった。
小野市と加古川市の境界に沿ってほぼ東西に延びるこの山並みを、来住(きすみ)山地という。標高は、最高でも惣山(小野富士)の200m。標高150m前後の小さなピークをつないだ稜線には、ところどころに岩盤が大きく露出している。この山容から、来住山地は小野アルプスと呼ばれている。今朝、鍬渓神社の裏手からこの山地に取り付き、ここまで歩いてきたのだった。
小野アルプス最高峰、惣山(左が山頂)
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歩き出してからずっと、コナラ、ソヨゴ、ヒサカキ、イヌツゲ、ネズなどの雑木とシダやササが続いていたが、7つめのピーク総山の先の鞍部あたりから、岩盤の露出が始まった。赤褐色の岩肌がむき出しになった通称アンテナ山を越えて、この山地の最高峰、惣山に達した。惣山の山頂から北へ、ほぼ水平に支尾根が派生している。その先に、新しい展望台が建てられていた。
その展望台の上に立った。見下ろせば、加古川といくつかのその支流が悠々と流れている。川の両側の段丘面や沖積面の上には、加西市や小野市の市街地や田園地帯が広がっている。手前には、今朝その畔に車を止めた鴨池が小さく光り、その右には通り抜けてきた林が続いている。そこから山に入った鍬渓神社は、山の陰になって見えない。東には越えてきた総山の小さいながら端正な姿が立ち、西にはこれから向かう紅山の南陵が放物線を描いている。時計を見ると、午後1時を少し過ぎている。遠くは北に笠形山や千ケ峰、あるいは南に淡路島までが見えるこの日だまりの展望台にも、少し冷たい風が吹いてきた。
紅山南稜を振り返る
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惣山からの急坂をつづらに下りる。木の間越しにときどき見える紅山が、だんだん高くなる。岩倉峠には、葉をすっかり落とした木々の中に感じのよい落ち葉の小径がついていた。
ここから、小野アルプスの核心部、紅山の南陵にとりつく。大きな一枚岩の岩盤がむき出しになった稜線である。岩盤の表面はまだらに黒ずんでいる。これに、灰色、淡緑色、オレンジ色の地衣類がついている。その中でも、オレンジ色が浮かび上がるように目立ち、山稜から両側へ流れ落ちるような模様をつくっている。
岩石は、自破砕構造と球顆構造が発達した流紋岩。丸いソフトボール大の球顆が突出したり、抜け落ちたりしているので、表面は凹凸に富んでいる。傾斜は急であるが、この凹凸のおかげで危なげなく登ることができる。ハンマーを片手に、岩石を観察しながらうろうろと登っていった。
残された岩山と宮山を超えて、福甸峠にようやく下り着いたのが午後3時を少し過ぎていた。低い山々をつなぎ歩いた今日の山旅。帰ってから、地形図で12のピークの上りの高さをたしてみた。740m……なんだ、やっぱり、たいしたことはない。とはいえ、よく上り、よく下り、よく歩いた一日であった。
山行日:2001年12月24日
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