三嶽(793.4m)・西ヶ嶽(727m) 篠山市 25000図=「村雲」「宮田」「篠山」
多紀連山、小金ヶ嶽・三嶽・西ヶ嶽をつないで歩く2
大タワから三嶽、西ヶ嶽を経て藤岡ダムへ
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| 西ヶ嶽への登路より三嶽を振り返る |
大タワに下りると、護摩焚きが終わったところだった。山開きに合わせて行われたこの儀式の余韻が残り、広場では子どもたちの歓声が響いていた。
ベンチでゆっくり休憩した後、ここから三嶽へ向かった。
自然林の下には、背丈ほどのミヤコザサが生えていた。登山路は、そのミヤコザサを広く刈り込んでつくられていた。アセビの古木が、風格ある姿で立っていた。
やがて、傾斜は一気に増した。コンクリートに木材を組み合わせてつくられた階段がずっと上まで続いている。
深緑色の、きれいな縞模様のチャートの転石を拾った。まだまだ、階段は続いている。何人も山の上から下ってくる。そんな人たちの姿も足元しか目に入らない。石や木を見る余裕もしだいになくなってきた。
固定されたクサリやロープを利用して体を引き上げると、ようやく傾斜が緩んだ。そこには、リョウブの森が広がっていた。木漏れ日がリョウブの瑞々しい新緑を透かして、林内に射しこんでいた。
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| 大タワ 護摩焚きの後 |
リョウブの若葉 |
岩場の上からは、西ヶ嶽を振り返ることができた。山頂はもう近い。登山路の脇に、チャートの岩盤を背にして石室が建てられていた。石室の中には、この山を開いたとされている円の行者が祀られている。そこから程なく、三嶽の山頂に達した。
標高793m、多紀連山の最高点である。山頂の大きな方位盤は座るのにはいいが、隣に建てられた無線中継所と共に、せっかくの山頂の風景を無粋なものにしていた。
先客が3人、ビールを手に憩っている。陽射しは柔らかく、眺望も春に白くかすんでいた。
三嶽の山頂を越えると、新しい緑に覆われた西ヶ嶽の姿が目に飛び込んだ。複雑に起伏するいくつかの稜線が山頂に集まり、魅力的な山の景観をつくっていた。多紀連山のチャートには、長年にわたる地殻変動によって大小の割れ目が多く入っている。山の姿は、このチャートの硬いがしかしもろくて割れやすい性質に関係している。
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| 縦走路より西ヶ嶽を見下ろす |
新緑の小径を下る。栗柄分岐の手前に、おもしろい層状チャートのオブジェが立っていた。ここから振り返ると、先ほど越えてきた三嶽がずっと高いところにそびえていた。
何度か上りと下りを繰り返した。山頂手前のコルから、径がさらに細くなった。ミヤコザサの伸びた穂を分けながら上ると、西ヶ嶽山頂に達した。
誰もいない静かな山頂だった。さびた鉄の杭に板が張られ、その板に「西ヶ嶽」の山名。そのマジックで書かれた山名も、年月に色あせていた。
山頂は、ネジキ・コナラ・ウラジロノキなどに囲まれていた。それらの木々の間から、周囲を眺めることができた。なかでも西がよく開け、近くでは鋸山・三尾山・黒頭峰・夏栗山、その先には笠形山・千ケ峰や粟鹿山などが一望できた。そして、その一番奥には氷ノ山の稜線が薄く薄くスカイラインを区切っていた。
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| 層状チャートのオブジェ |
木漏れ日の雑木を西ヶ嶽へ向かう |
西ヶ嶽からは、知足へ下る予定だった。しかし、地形図に記されたその破線路は深いササに隠され見つけることができなかった。
そこで、藤岡ダムへ下ることにした。山頂を少し西へ行くと、地形図より近いところに藤岡へ下る分岐を示す道標があった。その道はほとんど消えかかっていたが、樹脂製の階段が半ば埋まりながら残っていた。
この階段を下った。自然林がスギ林に変わり、スギ林の中でこの階段は途絶えた。そこから浅い谷を下った。谷底は大小の石がガレていて倒木もあった。そんなところは、少し上の斜面を下った。スギの落ち葉の下から、エビネやフデリンドウが可憐な花を咲かせていた。
ガレ場に道標が現れ、そこから再び道がついていた。奥池に下り、さらに渓谷に沿った道を藤岡ダムへ下った。
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| エビネとフデリンドウ |
藤岡ダムから西ヶ嶽を仰ぐ |
山行日:2007年5月13日