小金ヶ嶽(725m) 篠山市 25000図=「村雲」
多紀連山、小金ヶ嶽・三嶽・西ヶ嶽をつないで歩く1
小金口から小金ヶ嶽を経て大タワまで
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| 三嶽山頂付近から小金ヶ嶽を振り返る |
東西40kmにわたって連なる多紀連山は、その険しい山容から多紀アルプスとも呼ばれている。その中央部に位置する小金ヶ嶽、三嶽、西ヶ嶽をつないで歩いた。
サンインクワガタ
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小金口には、多くの人たちが集まっていた。聞いてみると、今日が多紀連山の山開きで、ここからいくつかのコースに分かれて出発するという。私は、少し急いで山に入った。
初めは舗装路。ところどころでフジの芳香が匂った。タニウツギは赤いつぼみをつけていた。
しばらく行くと、左手に小金ヶ嶽山頂への登山路が分かれていた。登山路は渓流の右岸を上り、やがて谷の底に下りてガレ石の上に続いていた。
ガレ石の間には、サンインクワガタが白い花を咲かせている。シロダモの若葉は、褐色の絹毛を光らせて垂れ下がっていた。
道は再び右岸に上り傾斜を増した。水音はしだいに小さくなり、野鳥の声が樹間に響いた。
やがて谷は浅く広がり、道は標高500mあたりで谷から離れ斜面を上っていた。
谷を離れてから標高で50mぐらい上ると、そこには小さな平坦面があって瓦のかけらが1つ落ちていた。その上には、もっと広い平坦面が広がっていた。案内板が、ここが三嶽修験道場の遺構のひとつ、福泉寺跡であることを教えてくれた。
福泉寺跡から道はほとんど水平に続き、コル(大タワ分岐)に達した。ここから、山頂への急な上りが始まった。
山肌には、チャートの露岩が連続して現れた。やがて、チャートは登山路に断崖絶壁として立ちはだかった。左手にチェーンが固定されている。これを伝わってその崖を巻き上り、岩の上で振り返ると、目の前に絶景が広がった。
眼下に、四周を山に囲まれた篠山盆地。盆地の背後には山々が屏風のように連なっている。陽射しが西に現れた三嶽の緑を浮かび上がらせたが、遠景は白くかすんでいた。
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| 小金ヶ嶽への登路より三嶽を望む |
西ヶ嶽山頂には、すでに多くの人がいた。弁当を広げて、ゆったりと山の休日を過ごしている。地図を広げていると、常連らしき人が周囲の山々の名前を教えてくれた。
木々によって視界は途切れがちであったが、西には三嶽がどっしりと座り、東には八ヶ尾山、雨石山、櫃ヶ嶽と続く多紀連山の連なりが一望できた。
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| 小金ヶ嶽山頂 |
小金ヶ嶽山頂から東へ連なる多紀連山
中央は八ヶ尾山 |
小金ヶ嶽から大タワへ向かった。岩場の連続する激しく急な道を、固定されたクサリを頼りに下った。前方が開けると、そこには三嶽の風格ある姿とそこへ伸びる小金ヶ嶽西稜の荒々しい岩尾根が多紀アルプスと呼ばれるのにふさわしい景観をつくっていた。
美しい緑色のチャートが現れた。チャートは、放散虫の殻が海底に降り積もり、それが固まってできた岩石である。多紀連山のチャートは、約2億年前に海底にたまったものがプレートに乗って移動し、それが当時ユーラシア大陸の東縁にあった日本に付け加わった。チャートは固い岩石で、そのため多紀連山の山稜として風化・侵食にあらがっているのである。
チャートの中に残されている放散虫の化石をルーペで見ていると、子どもたちが歓声を上げながらクサリ場を下っていった。
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| 小金ヶ嶽西尾根より三嶽を望む |
岩また岩の稜線に、マルバアオダモとガマズミが向かい合って白い花をつけていた。
長いロープで急傾斜を下ると、道は自然林の中に入っていった。ツツジやアセビの木々を透かした木漏れ日が登山路に射し込んでいた。その自然林も杉林に変わり、山上の浅い谷を下ると大タワに達した。
多紀連山、小金ヶ嶽・三嶽・西ヶ嶽をつないで歩く2 「大タワから三嶽、西ヶ嶽を経て藤岡ダムへ」に続く
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| マルバアオダモ |
ガマズミ |
山行日:2007年5月13日