黍田富士(166m) たつの市 25000図=「網干」
落ち葉の季節の古墳群
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朝に霞む黍田富士 |
暖かさの残る初冬の一日、揖保川河口に近い低山を歩いてみた。
馬路川から見た黍田富士は、先の丸い円錐形で朝もやに霞んでいた。その山肌は、まだ枝先に残った枯れ葉によって黄褐色に染まっていた。
神部小学校グランド横の「どんぐり広場」が登山口。丸木小屋やアスレチックの並ぶこの広場には、アベマキやクヌギの葉が降り積もっていた。
ここから、小さな渓に沿った落ち葉の道をゆるく上っていった。チョロチョロと小さな音が聞こえるこの渓には、まだ朝日が射し込んでいなかった。渓にかかる小さな木製の橋を何度か渡りながら進むと、谷はしだいに開けてきた。細いソヨゴの木が多くなり、黍田富士への分岐に着いた。
分岐を左に取ると、すぐに古墳が現れた。この山塊の尾根上には、6世紀後半から7世紀前半につくられた古墳が点々と並んでいる。登山口の案内板で見ると、その数は40基を越していた。
ヤマモモや背の低いアカマツの林をつづら折りに上ると、黍田富士の丸い山頂に達した。
北東に張り出した展望台に上ると、眼下にたつの市の市街地が広がった。その市街地を、新幹線、JR山陽本線、国道2号線が直線的に横切り、揖保川の流れを渡っている。長い貨物列車が、ゆっくりたつの駅に入り、またゆっくりと出て行った。時々、新幹線が低い轟音を響かせて走り抜けた。車の音、工場の音、どこからか聞こえてくる音楽……、いろいろな音がこの頂に上ってきた。
朝もやが晴れ上がらないまま、空気は湿気を含んで、あたりの山々は白く霞んでいた。山頂を下る前に、「幸せの鐘」のロープを引いてみると、不思議な動きで何度も鳴った。
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登山口の「どんぐり広場」 |
黍田富士山頂からの眺め |
分岐に戻り、南へ上り返した。丸太階段が右へ回り込んで山の斜面を上っていた。
林の中には、ヤマウルシの葉の鮮やかに染まった赤が目立った。傾斜が緩くなったところにササが生え、その中にリンドウの花が咲いていた。
金剛山の山頂は、小高く盛り上がり、そこに岩が十数個積み重なっていた。山津屋古墳群1号墳の案内板が立ち、そのすぐ横にも2号墳、3号墳と並んでいる。
空はいつの間にか厚い雲におおわれ、吹く風も冷たくなってきた。やがて、ポツリポツリと雨が降り始めた。
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リンドウ |
金剛山山頂の古墳 |
金剛山から南に進んだ分岐には、石室がよく保存された古墳(金剛山古墳群20号墳)があった。その横穴式の石室に入ってみると、ぷんとカビのにおいがした。
分岐をさらに南へ、「亀岩」まで足を伸ばした。金剛山古墳群21号墳、宙に持ち上げられた天井石が「亀岩」だった。岩は、この山の溶結凝灰岩。「いったい昔の人はこんな重い岩をどうやって、今のような形に積み上げたのでしょう。」と説明版にある。
ここから南東に、播磨灘に面した工場地帯の高い煙突と白い煙が見えた。
先ほどの分岐に戻り、その分岐を東へ折れた。風が吹くと、雨にぬれて重くなった枯れ葉がバラバラと斜めに降ってきた。
古墳の中に立つ193.5mの三角点を過ぎると、その先に山津屋と河内小学校との分岐があった。雨は、まだポツリポツリと降っているが、雲の切れ間から弱い日差しが射し込んできた。この分岐を南へ折り、河内小学校へ向かった。
大きなヤマモモの木が立っていた。ソヨゴが赤い実をつけていた。コナラの葉は、黄褐色や褐色にまだらに染まり、タカノツメはきれいに黄葉していた。道には新しい落ち葉が積もり、その中でカクレミノの大きな黄色い葉が目立った。下るにつれて、アカマツ、ネズミサシ、ヒサカキ、地面にはコシダという播磨のやせ地の植生となった。
雨が上がり、樹上の葉も乾いてきたのか、再び落ち葉がハラハラと舞うように落ち始めた。
この後、袋尻の集落を抜けて、加茂神社から傳臺山・碇岩北山・北山の奥山・権現山と歩いた(「神社や城跡に古墳群、雑木の尾根道を歩く、碇岩北山・権現山」へ)。
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亀岩(金剛山古墳群21号墳) |
ヤマウルシ |
ヤマモモ |
山行日:2006年12月2日