点名茅野(481.4m)    市川町              25000図=「粟賀町」

岩戸神社から緑の道を点名茅野へ

点名茅野付近の稜線
(山頂は写真左方)
緑の道に咲くアケボノソウ

 忍辱(にんにく)橋で丹波帯の頁岩やチャート、永通寺で緑色岩を見たあと、岩戸神社へ向かった。岡部川沿いの道から、その支流岩戸川に沿った道へ。9年前、瀬加中学校の生徒たちと一緒に歩いた道である。
 あぜ道には彼岸花が咲き、ゲンノショウコやムラサキツユクサが小さな花をつけていた。田ではホオジロがえさをついばみ、川原からはハクセキレイやカワラヒワが飛び立った。
 公民館から太鼓の音が聞こえてきた。秋祭りも近い。農作業に精を出す人々の姿も、何となくのどかに見えた。河床にときどき表れる地層を見ながら、秋景色の里をゆっく歩いた。

 民家が途絶え、道が一本だけになって谷の奥へ向かっていた。やがて、岩戸神社の鳥居が見えた。鳥居をくぐると、両側に玉垣がまっすぐ伸びていた。
 スギの巨木が日差しをさえぎり、空気はしっとりと湿っている。のどかな里から、一気におごそかで神々しい世界へ入り込んだ。
 神社の建物は、拝殿・舞殿・本殿と横になって連なっている。どれもこじんまりとして、優美な姿であたりの風景に溶け込んでいた。拝殿に上がって手を合わせると、背後から聞こえる流れの音が静けさをいっそう引き立てた。

岩戸神社へ 岩戸神社

 今日はここまでの予定だったが、まだ時間が早いのと、神社から奥へ伸びている道がきれいに刈り込まれているのとで、三角点のあるピーク(481.4m、点名茅野)へ向かうことにした。
 また少し広くなった谷を北へ進み、砂防堤の手前を右に折れた。道は緑のじゅうたんを敷き詰めたように、コケや背の低い草におおわれていた。その上を歩くと、フカフカとして柔らかい。マツカゼソウの小さな花が風に揺れ、アケボノソウが咲いている。キジが、少し前をあわてたように横切った。
 峠までこの道がついているかも知れないという淡い期待は、突如現れた終点に裏切られた(標高255m)。

ベニバナボロギクが咲いていた サワガニが構えている

 ペットボトルのお茶を飲み干し、そこに沢の水を入れて細い山道に入った。道は、沢の左にかすかについていた。チリ割れの頁岩の上をズリズリと滑りながら上った。
 あたりは間伐されたスギの林。倒れたスギの幹にコケが厚く生え、木漏れ日がその緑を明るく照らした。やがて沢の水は枯れ、石を組んでつくられた大きな砂防堤が谷をふさいでいた。
 砂防堤の脇を上ってその上に出ると、谷はガレ石で埋まり、そこに急傾斜の裸地が広がっていた。
 急坂ををまっすぐに上った。ガレ石の上には、だいぶん草が進入していた。ベニバナボロギクに触れると、白い綿毛が散り、斜面を上る風に舞った。坂を上り切ると、そこには新しい林道がつけられていた。

砂防堤から林道への急斜面 山頂から七種山方面を望む
(最奥の薄い山影が七種山本峰)

 山頂は林道のまだ上。高くて急な法面は上ることができないので、林道を少し歩いて傾斜が緩んだところから、さらに上を目指した。 ヒノキ林を上り、自然林の中に入った。木の幹につかまりながら急坂を上ると尾根に達し、そこから山頂までは近かった。

 三角点は、アセビやソヨゴの幼樹の下に埋まっていた。木々に囲まれて見晴らしは良くなかったが、西南西に七種の山々を望むことができた。
 いつの間にか空をおおっていた雲の底がぼやけて暗くなってきた。雨が近いのかも知れない。尾根をさらに進みたい気持ちもあったが、ここから来た道を戻ることにした。


山行日:2008年9月23日
行き:下牛尾 忍辱橋〜永通寺〜笠形会館〜岩戸神社〜点名茅野(481.4m)
帰り:同じコースを戻る
 市川町下牛尾の忍辱橋に車を止めて、岩戸神社へ向かう。今回は、ここまでの地質の観察が主な目的。
 岩戸神社から広い作業道が谷の奥へ伸びている。標高180mの二股を右に進む。地形図に記された多可町八千代区への峠道は、標高255mまで広い道。そこから細い道が、石組みの砂防堤まで続いている。砂防堤から急なガレ場を上り、林道笠形線を横切り、点名茅野の山頂に達した。
■山頂の岩石■ ジュラ紀 丹波帯若井コンプレックス 頁岩

 今回歩いたコースには、ジュラ紀に付加した丹波帯の若井コンプレックスが分布している。緑色岩・チャート・頁岩や砂岩という、海洋プレート層序としての地層が観察された。
 忍辱橋では、頁岩と砂岩のメランジュやチャートが見られた。永通寺では緑色岩が見られ、枕状溶岩が確認できた。岩戸神社には、チャートが分布している。そこから点名茅野までは、頁岩・珪質頁岩・砂岩が分布していた。

岩石地質探訪  市川町の丹波帯枕状溶岩へ     

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