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芦屋市・神戸市 25000図=「西宮」「宝塚」 荒地山から東お多福・ごろごろと巡って芦屋川へ
「芦屋川から岩と遊んで荒地山へ」からの続き
魚屋道は、ちょっとした渋滞となっていて、前を行く2,3のパーティのうしろについて木漏れ日の道を下った。 コルを過ぎて、ゴルフ場をつなぐ道路を2度横切ると道は急坂になった。今日一番のきつくて長い上りである。立ち止まって休んでいる人をかわしながら、いつの間にかむきになって登っていた。息を切らせ、あえぎあえぎ、ようやく雨ヶ峠に達した。 雨ヶ峠では、たくさんの先客が三々五々集まって、ベンチに座ったり地面に座ったりしながら休んでいた。ここのヤマガラは人によく慣れている。今回も、目の前の木の枝に止まってくれた。器用に足に木の実をはさんで枝に止まり、それをくちばしでつついて食べていた。 雨ヶ峠を過ぎ、621.3mの三角点を過ぎると、高原状の地形が広がった。ササ原が広がり、アカマツがまばらに生えている。マルバハギがピンクの花をつけていた。 ササ原の中の道を、ゆるやかに登っていった。左手には、六甲最高峰から西おたふく山への稜線が伸びていた。足元にツリガネニンジンが咲いていた。 東お多福山の山頂にも多くのハイカーがいて、ここではゆったりと時を過ごしていた。山頂は南北に長くササが刈り取られ、、三角点はその北端に埋まっていた。 「ヒノキが大きくなって、眺めが悪くなったねぇ。」という声が聞こえてくる。土の上に座って空を仰いだ。層積雲が広がっていたが、天頂だけは青く抜けて、そこから薄日が射しこんでいた。
4.ごろごろ岳へ 東お多福山から、背丈を越すササのトンネルを抜けて東へ下った。雑木林の中の急な坂をどんどん下ると、住宅地の裏手に出た。 住宅地の縁に沿うようにしてさらに進むと、蛇谷に下り着き、その堰堤を渡ると広い舗装路に出た。 この道を下り、芦有ドライブウェイと合流したところにバス停があった。午後2時になる頃だった。さあ、今日はもうひと頑張り。 奥池町の住宅街の中を歩き、奥山貯水池へ。ここからイモリ谷を登ったが、ずっと広い車道が続いた。道の両側には、企業の研修所や保養所が並ぶ。道端に咲くヨメナの花が目を楽しませてくれた。
車道がつきたところから山に入り、山道をわずかに進むと、そこにごろごろ岳の三角点(565.3m)があった。三角点の先が、まだほんの少し高かった。このいちばん高いところが565.5m?ごろごろ岳は、標高の数字から山名がついた珍しい山である。
5.芦屋川駅へ ごろごろ岳から山道を南へ下った。柿谷に沿った登山道である。足元にゲンノショウコが咲いていた。シジュウカラが枝を渡った。 雑木林の中の道は、岩がちであった。道が谷と同じ高さになったところでは、道のガレ岩の間を水が流れていた。どこまで続くのか、長い長い帰り道……。 堰堤の左岸を巻き下ると、沢の音が大きくなった。キジバトが遠くで鳴いていた。再び水の流れるガレ岩の道。もう一つ堰堤が現れ、今度は右岸を巻いて下ると、広い道路に出た。 海に向かってこの道路を下り、芦屋川駅に着いたのは午後4時を過ぎていた。
山行日:2011年9月25日
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| 荒地山〜なかみ山〜魚屋道合流点〜雨ヶ峠〜621.3m三角点〜東お多福山〜奥山貯水池〜ごろごろ岳〜奥山〜阪急芦屋川駅 |
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| 芦屋川から、荒地山、東お多福山、ごろごろ岳と巡った一日の行程の後半である。 荒地山から魚屋道へ下り、雨ヶ峠から東お多福山へ。東お多福山を奥山貯水池へ下り、ごろごろ岳へは車道を歩いた。裏から登ったという感じである。ごろごろ岳から芦屋川駅までの柿谷コースは、長かった。 |
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| 山頂の岩石 東お多福山 → ジュラ紀 丹波帯 ホルンフェルス ごろごろ岳 → 後期白亜紀 六甲花崗岩 |
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| 東お多福山の山頂付近には、ホルンフェルスが分布している。山頂に露頭はないが、地面に転がっている石もホルンフェルスである。黒い泥質ホルンフェルスが多く、小さな黒雲母ができている。白っぽい砂質部がレンズ状に含まれているメランジェ状のホルンフェルスも観察することができた。また、ホルンフェルス化をしていない黒色頁岩も見られた。 これらの岩石は丹波帯の堆積岩で、六甲花崗岩の貫入によってホルンフェルス化したものと考えられる。 ごろごろ岳の山頂付近には、荒地山と同じ六甲花崗岩が分布している。ピンク色のカリ長石が特徴で、岩石全体もピンク色である。主要鉱物として、カリ長石・斜長石・石英・黒雲母を含んでいる。 |
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