八 幡 山 (775.4m)    神崎町・大河内町・生野町               25000図=「生野」

山頂の石の謎を追う、八幡山調査登山

神崎町奥猪篠より望む「八幡山」
(とんがり山山頂は稜線の後になって見えない)
大河内町淵より望む「とんがり山」
(八幡山山頂が左奥に見える)

 2004年12月2日、第2次八幡山調査登山が行われた。調査の目的は、八幡山山頂の岩石群が、「山の石」なのか「川の石」なのかを調べることである。「川の石」が山頂にあるのなら、明らかに人為が加えられたということになる。もしそうなら、いつ、誰が、何のために、ということになるのだが……。
 これは、「八幡山ピラミッド説」に関連する調査である。調査隊は、神崎町文化協会の澤田会長を隊長とする9名から構成された。メンバーには、神崎町の文化や観光に関わる人が多い。

 八幡山は、標高775.4m、神崎町・大河内町・生野町の境界に位置している。神崎町から見ると、なだらかな山容でどっかりと座っている。これが、西へ回って大河内町淵あたりから見ると、すきっりした稜線を左右から伸ばし、山頂を空に突き上げている。これが、大河内町では「とんがり山」と呼ばれている所以(ゆえん)である。しかし、実はこのピークは岩石群のある八幡山山頂のピークではない。八幡山山頂から、南西へ350m離れたCa.770mのピークなのである。

倒木帯を進む

 猪篠の大歳神社から、播但連絡道の下をくぐり、少し南へ下ると林道の入口がある。林道は大きくカーブを描きながら上っているが、細野谷に入ったところで終点となる。
 山頂までの登山ルートはない。昨年行われた第1次調査は、ここから小さな滝の連続する細野谷に沿って上っている。しかし、谷筋は台風による倒木が激しいとの判断から、今回は谷の南の尾根を上ることになった。
 スギ・ヒノキの植林の下は、下草がほとんど生えていない。急斜面を南へ上り、自然林を抜けたところで予定の尾根に達した。尾根もまた、台風による倒木がひどかった。スギ・ヒノキが連続して根こそぎ倒れている。先を行くメンバーが、なたで枝を打ってくれた。その後を縦に連なって、わずかに開かれた空間を抜けるようにして、倒木を越え、あるいはくぐり、少しずつ距離を伸ばした。

 少し傾斜の緩くなったところで、休憩した。ここまでの岩石は、流紋岩質の溶結凝灰岩。小さな岩片を含んでいる。このあたりでもっとも多い種類の岩石である。
 山頂の石が、川の石か山の石かを見極めるのは、難しいことではない。川の石なら、このあたりのいろいろな種類の岩石が混じっているはずである。一方、山の石なら、どれも現地に分布する同じ種類の岩石ということになる。
 岩石の変化に注意をしながら、列の一番うしろを歩いた。岩石は斜長石の斑晶の目立つ安山岩に変わった。上るほどに倒木は激しくなり、幾本も折り重なるように横たわっていた。

 やがて、尾根は傾斜を失い、南東からの支尾根と合流した。このあたりは地形がはっきりしない。尾根を離れて斜面を北西へ横切れば山頂に達するのだが、倒木のせいで見通しもよくない。尾根をそのまま西へ進み、大河内町との境界に達した。

 町界を少し進むと、左手にゆるやかなスロープが広がっているのが見えた。ここには、植林がされていない。そして、そのスロープの底には黒くて丸い石が重なるようにして並んでいる。
 私たちは、スロープの底へ下りてみた。石は最大で長径150cm。スロープの中央部に集中し、その周囲にも点在している。山頂付近の斜面の底に岩石がこのように並ぶのは、「岩塊流」という氷期に形づくられる現象である。
 いくつかの岩石をハンマーで打ち欠いてみると、どれも緑色を帯びた安山岩であった。新鮮な部分はたいへん硬く、ハンマーでもなかなか割れない。しかし、このような岩石でも、地表に長くさらされていると、風化によって表面から崩れていく。この岩石は、ちょうどタマネギの皮をむくように表面からはがれ落ちていく風化をしている。岩石がどれも丸みを帯びているのは、このような風化の仕方のためである。
 草地にミツマタがポツンポツンと生えている斜面をさらに下ると、もう一段低い平坦地に湧水があった。地中から水がこんこんと湧き出し、数m流れたところで再びもぐっている。山頂に近いこのような場所に絶え間なく水が湧き出るのは、不思議な光景であった。この湧水もまた、この谷に埋もれている岩塊がつくり出す現象の一つなのかもしれない。
 ふもとの猪篠には、八幡神社の前身がこの山の頂にあったという言い伝えが残っている。ここは、猪篠の反対の大河内町側にあたるが、なだらかな斜面、平坦地、湧き水などがつくり出す景観は、その言い伝えを思い起こすのにふさわしいと思えた。

岩塊流 岩塊流の岩石
表面からタマネギ状に風化し、丸くなっている

 再び尾根に戻り、右へ回り込むと、そこが八幡山の山頂であった。山頂には、北東ー南西方向に細長く平坦面が広がっている。地面には、ひとかかえもあるような岩がいくつも顔を出している。
 岩石の種類を調べてみると、どれもが同じ安山岩であった。斜長石の斑晶が目立つが、中腹で見られた黒色の安山岩とは異なり、岩塊流の岩石や山頂の岩石は緑色を帯びている。岩相にも変化が見られない。つまり、川の石すなわちどこか別のところから運ばれてきた石ではなくて、もとからここに分布していた岩石なのである。
 氷期は、兵庫県のあたりでも今より7〜8℃気温が低かった考えられている。このような山の頂部では、岩石の凍結破砕が進んだ。破砕された岩石は、凍結と融解を繰り返し粥状に流動化した地表を滑り落ちる。これらが谷底に集まったのが、先に見られた岩塊流である。しかし、山頂の平坦面の岩石は、傾斜がないためどちら側にも滑り落ちることができず、このようにして残った考えられる。

 私たちは、岩石の配列に人の手が加えられているのどうかを調べてみた。たしかに岩石は、ある規則性をもって並んでいるようにも見える。しかし、人為が加えられていると結論付けるのは難しかった。

八幡山山頂 山頂の岩石群

 「八幡山ピラミッド説」は、この八幡山を中心として、記紀以前の超古代の文化が、壮大なスケールで展開されている。私は、そのストーリーの構築力に圧倒され、またその内容に心躍るものを感じてきた。地元にはこの説への期待感もあり、登山道の新設も話題に上っている。また、「ヨーデルの森」から山頂へ観光のためのヘリコプターを飛ばしたらどうかという案まである。私も、この調査で「八幡山ピラミッド説」を傍証する、あるいは調和的な結果が出ればと願っていたのだが……。
 巨石文化・太陽神崇拝・イワクラなどの超古代史が夢やロマンだけで終わるのではなく、学説として発展していくためには、学術的・科学的に捉えていくことが欠かせない。このような理由から、今回の調査結果をここに取り上げた。


山行日:2004年12月2日
行き:神崎町猪篠「大歳神社」=車=林道細野線終点(Ca.350m)〜北東支尾根(Ca.440m)〜南東支尾根との合流点(Ca.690m)〜神崎町・大河内町の境界尾根(Ca.730m)〜岩塊流地点〜八幡山山頂(Ca.775.4m)
帰り:八幡山山頂〜北東尾根(神崎町・生野町境界尾根)Ca.650m〜細野谷〜林道細野線終点
 猪篠の大歳神社から、播但連絡道の下をくぐり、少し南へ下ると林道の入口がある。林道は大きくカーブを描きながら上っているが、細野谷に入ったところで終点となる(Ca.350m)。ここから、植林の下を南へ上り、細野谷の一つ南の尾根に出た。その尾根を南西に上り、南東からの尾根と合流してから西へ進んで大河内町との境界尾根に出る。
 尾根のすぐ下の浅い谷に下りて岩塊流を観察した後、北に進んで八幡山の山頂に達した。

 帰りは、神崎町と生野町の境界にあたる北東尾根を下った。Ca.650m地点で境界尾根に別れ、急斜面を北東に下って細野谷に下りた。細野谷は倒木が激しく、谷底は歩けなかったので、谷の上の斜面を下っていった。
■山頂の岩石■ 後期白亜紀 生野層群 安山岩

 岩塊流の岩石、あるいは山頂の岩石は、緑色を帯びた灰色の安山岩である。柱状の斜長石の斑晶を多く含んでいる。斜長石以外には、少量の黒雲母、角閃石あるいは輝石の斑晶を含んでいる。多少の珪化がみられ、そのため岩石はたいへんに硬い。岩石が緑色を帯びているのは、石基や斑晶の鉱物が緑泥石などに変質しているためと思われる。風化によって表面からタマネギ状にはがれ落ちていく傾向が全体的に観察される。

 八幡山山上の岩塊流に関しては、地質岩石探訪「八幡山の岩塊流」をご覧下さい

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