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加藤文太郎が名づけた「兵庫アルプス」の山々

 文太郎は、兵庫県と鳥取県および岡山県との県境の山脈を「兵庫アルプス」と呼び、県境の山々に兵庫槍や兵庫乗鞍などの名をつけた。

 それらの山々を、「単独行」に収められた「兵庫立山登山(1927.5)」、「兵庫乗鞍ー御嶽ー焼登山(1927)」、「兵庫槍ー大天井ー鷲羽登山(1927.7)」から抜き出してみると、右の図のようになる。

 アルプスの山名がつけられたのが、全9座(図中の▲)。北アルプスの山8座と、御嶽である。
 このうち、扇ノ山は頂上が鳥取県に属しているので、その前山である大ズッコに兵庫立山と名づけている。
 兵庫穂高は本文中にはどの山をさすのか明確に示されていない。しかし、赤谷山の山頂から「北には穂高から槍への残雪は近いだけ一層綺麗に見えます。」と記していることから、三の丸(鳥取県側では二の丸と呼んでいる)を示していると思われる。

 文太郎は、どのような基準でこのような名前をつけたのだろうか。氷ノ山と槍ガ岳などは、どうみても似ていないが、ある程度は山容の類似性を考えたのかもしれない。
 位置的な関係では、兵庫白馬(仏ノ尾)以外は、実際のアルプスの山々の分布によく対応している。

 文太郎はまた、岸田川に「兵庫黒部川」、矢田川に「兵庫高瀬川」、八木川に「兵庫梓川」などと、北アルプスを流れる川の名をつけている。

 文太郎が、県境の山々に北アルプスの山の名をつけて遊んだ1926年〜1927年頃は、本格的な登山を始めてまだ間もない頃である。山頂で、落ち葉の下で眠っていた三角点を見つけ出して万歳を三唱したり、自分の名を書いた小さな杭を打ち込んだりして、登頂の喜びを素直に表現した。アルプスの山々へも1925年の夏より登り始めたところである。
 
 兵庫の山々にアルプスの山々の名をつける文太郎の行為には、アルプスへの強い憧れと、地元の山々への深い愛着が感じられる。

 文太郎は、県境の山に関して、「単独行」に土地の人から聞いた山名を俚称としていくつか記している。それらをあげてみると下のようになる。

扇ノ山の周辺 三室山・後山の周辺
現在の山名 当時の俚称 現在の山名 当時の俚称
上山(946.0m) 東ガ丸    △ 赤谷山(1216.4m) 赤谷
西ノ丸(1015m) 西ガ丸    △ 三室山(1358.0m) シヨー台
大ズッコ(1273m) 煙ガズッコ    △ 天児屋山(1244.7m) 三国ガ山
扇ノ山(1309.9m) 烏ガ丸    △ 駒ノ尾(1280.7m) 大海
911.9mピーク 青山    △ 後山(1344.6m) 道仙寺
1088mピーク 池ガ丸
仏ノ尾(1227m) 仏ノ尾
1153mピーク 石切り
青ガ丸(1239.3m) 三ガ谷または青ガ丸