6 虚像


 真っ先に動いたのはザイードだった。
 ザイードは獣の進路を塞ぐように立ちはだかると、問うた。
「なんだよ、お前……。」
 彼にはまだよく事態が飲み込めていない。だが、ナナキの怯え方からして、ただごとではないことは明らかである。
 ザイードに問われて、獣は答えた。
「私はナナキ。いや、レッド13というべきか。」
「レッド……13……?」
  ザイードとエルは瞬きした。確かこの獣は、さきほどもそう呼びかけてきた。ということは……。
「レッド13って……ナナキのことか?」
 獣は、ナナキとほぼ寸分たがわぬ姿だったが、ザイードはやがて薄明かりの中でその違いに気が付いた。
 ナナキの体に施されている鮮やかな刺青が、この獣には無い。
 ただ一つあるのは、「13」という素っ気無いナンバリングのみ。それはナナキにもあったが、どうみてもこの獣とナナキは別個の存在だ。
 そのナナキは怯えたように首を振って、弱々しく叫んだ。
「そんなバカな!だって……!」
 だが、獣は冷たい目で彼を見ると続けた。
「レッド13はお前だけかと思っていたのか?私も……そしてここにいる者達もみなレッド13……お前なのだ。」
「違う!!
」  ナナキは悲鳴のように叫んだ。
「オイラはナナキだ!レッド13なんかじゃない!!コスモキャニオンのナナキだ!!セトとラーンの子のナナキだ!!」
「我々もそうだ。……遺伝子的にはな。」
「遺伝子?」
 思わず疑問を口にしたザイードに向かって、獣は頷いてみせた。 「そうだ。私はお前の体から作られた、いわばコピー。この者達もそうだ。お前がどう否定しようと、この事実は曲げられない。」
 水槽から漏れる、かすかな空気の泡の音の中で、獣は水のような冷たさと静けさで答えた。
「コピー?」
 エルが首を傾げる。
「そうだ。と言っても、セフィロス・コピーと称された、ジェノバ細胞の移植体とは全く違うものだ。オリジナルの遺伝子を組み込んだ細胞を培養した、遺伝子的にはまったく同じ生命体……それが我々だ。我々はそのプロジェクトの13番目の実験体に当たる。ところが今から15年前、お前はミッドガルへ実験のために送られたきり、そのまま帰って来なかった。」
 ナナキはおぞましげに首を振った。
「そんなこと知るもんか!オイラはオイラだけだ!!お前なんか……お前達なんかオイラじゃない!!」
 言葉の最後は、目の前の獣だけではなく、水槽の中にいる者達へも向けたものだった。
「知っていようといまいと関係ない。」
 だが、獣はあくまで冷ややかだった。
「今お前に問うべきことはただ一つ。……我々と共に来るか、この場で死ぬか、だ。」
「我々って……もう神羅は無いじゃないか!それともリーブさん!?」
「“セトラ”のもとへだ。」
 獣の言葉に、ザイードとナナキははっと息を呑んだ。
「セトラ……!?」
 獣は頷いた。
「考えてみるがいい。2000年前、既にこの星は空から来た災厄のために深く傷ついた。その傷は余りに大きくて、星が自分の力で癒す以外には無いほどだった。しかも、それに加えて星はジェノバによって汚染された。星を癒し、育むセトラも、そのために大半がモンスターと化し、或いは死に絶えた。星はウェポンを生み出したものの、どうすることも出来ず、今もじわじわと汚染され続けている。ジェノバがある限り、星は傷を癒せない。このままではどうなることか分からない。」
「じゃ、お前、あのマルグリットとかいう女の仲間なのか?」
 ザイードは瞬きした。
「このままではみんな死ぬ。私は事態をより良い方向へ導ける選択をしたまでのこと。」
 獣は言った。
 ザイードは口をへの字にきつく引き結んだ。要するに、この獣もマルグリットやアグネス、そしてコレルで戦ったあの男と変わらない。
 星のために、ジェノバは滅ぶべしと考えているのだ。
 だが、ザイードには信じられなかった。自分が星を滅ぼす存在であることなど、いくら考えても思い当たる節がない。
(本当に俺は……この星にとって脅威なのか?)
 だか、その時、エルがついと前に出た。
「それならこっちも言わせてもらうよ。マリンさんて人を返すか、ちょっとここで怪我してもらうか。あなたの選択肢も2つしかないよ。」
 ずばりと言い切るエルに、獣は無論、ザイードもナナキも一瞬呆気に取られた。
「そ、そうだ!マリンを返せ!」
 その言葉に勢いづいたナナキが叫ぶ。
「愚か者共め……ここで消えるがいい。」
 蔑みと怒りのこもった口調で獣がそう言った途端、4つの水槽の扉が開き、中にいた獣達の目が一斉に光った。
 不気味な青緑色に輝く、魔晄の光だった。
「こいつら……!」
 ジェノバなのか、というザイードの言葉は最後まで言うことができなかった。
 獣達が一斉に襲い掛かってきたからである。
「!」
 4頭の内、1頭はエルに襲いかかったが、ロッドでしたたかに打ち据えられた。
 2頭は窓際のナナキに突進する。
 残る1頭のアタックを、ブロードソードで防いだザイードだったが、たちまち不利を悟らざるを得なかった。何しろあの英雄“アバランチ”の一人であるナナキと同型の獣、しかもジェノバ化されているものが4頭である。
(やれるか!?)
ブロードソード越しに獣と力比べをしながらそう思った時だった。
『思い出せ。』
 突然、意識がその場にありながらぼやけた。また、あの感覚だ。己の中に、己以外の声が響いてくる。
こんな時に!!熱い怒りと絶体絶命の凍結感が胸に沸き起こったが、その声は彼の意識を完全には奪わなかった。
『思い出せ。』
 声は再び告げた。
『お前は知っているはずだ。戦いのすべを。お前は出来るはずだ!』
(俺、が……?)
『そうだ。俺は知っている。お前の中には力がある……。』
(ああ、あんた、前にも……)
 ザイードは肘を勢い良く返しながら、ブロードソードごと前に突進した。
「ブレイバー!」
 叫びと共にうなりを上げて跳ね上がった剣が勢い良く振り下ろされる。
 悲鳴が上がった。
 獣は首のところをブロードソードにほとんど両断され、床に叩きつけられた。
 だが、それで終わりではない。
 続いてザイードは、エルのロッドに打たれながらも、まだ戦闘能力を失っていなかった獣にとどめをさす。
 そして最後にザイードとエルの二人で、ナナキに襲い掛かる2頭を仕留めにかかったが、これは余り必要ではなかった。
 さすがに歴戦の勇士である彼は、2頭をほとんど1人で戦闘不能に追い込んでいたのである。
 だが、戦いが終わったその時には、あの獣の姿は消えていた。
「すごいな、ナナキ。」
 だが、思わず賞賛したザイードの言葉とは裏腹に、ナナキは悲しそうな、そして苦しそうな目をしてぶるぶると体を震わせていた。
「オイラ……オイラ、自分を……。」
 そう言う彼の視線の先では、青緑に輝く瞳をうつろに開いた4頭の獣が、ある者はかすかに動き、あるものは硬直したように口を開け、いずれも断末魔の瞬間を迎えている。
「16年前……オイラ、神羅に捕まって、宝条っていう神羅の科学者の実験サンプルにされたんだ。だけどその1年後、マリンのお父さんやお母さんや、クラウドや、そしてエアリスが……オイラを助けてくれたんだ。」
 そう言って、ナナキは悲しげに床に横たわっている獣達を見ていた。
「だけど……オイラ全然知らなかった!一体、宝条がオイラでなんの実験をしていたかなんて、全然知らなかった!!」
「無理も無いよ。」
 エルが言った。
「こういうのって……本人からはほんの少し、細胞を取るだけなんだもん。その細胞をどう使うかなんてわかりっこないよ。」
「こいつら……オイラの代わりにジェノバにされたんだ……。」
 ナナキは涙声で言った。
「じゃあ、さっきのあいつは……。」
「多分……資料用に残したんだと思う。さっき、あのレッド13とかいうの、ナナキが実験のためにミッドガルに送られたって言ってたでしょ?」
 ザイードとナナキは頷いた。その後で、余り思い出したくないのか、ナナキが顔をしかめる。
「資料用の一匹を残して、後は実験か……。」
 ザイードは吐き捨てた。
「だけど変だな。あのレッド13、15年前くらいに作られたんだとしても、ナナキと同じだったら、まだまだちっちゃい子供のはずだよねえ?」
「うん……」
 言われてナナキも首をひねった。ナナキの一族は、成人までにはるかに時間がかかる。50年生きても、人間で言えばやっと10代の若者である。だが、15、6歳のはずのあの獣は、どうみてもメテオ事件の時の自分ほどの大きさがある。
「なんでもいいさ。とにかく、はっきりしていることがある。あいつはナナキなんかじゃない。ナナキは、おやっさん達の戦友で、俺やMEの命の恩人で、今は俺達の友達のことだ。な、エル?」
「そうだよ!」
 エルは同調した。
「……ありがとう、2人とも。」
 だが、その直後、エルがはっとした。 「しまった!」
「どうしたエル!?」
「やられた!さっきのあいつ、わたし達の足止め、したんだよ。今、お姉ちゃん、連れ出されるってメルが!」
「なんだって!?」
 そのまま部屋を飛び出したエルに続いてザイードもナナキも走ったが、彼らが正面玄関で見たのは、今まさに発進したばかりの、車の後ろ姿だった。
 そして呆然とする3人に向かって、隠れていた兵士達が一斉に銃を構える。
「危ない!!」
 間一髪のところで、玄関の門柱の陰に隠れた。だが、そこへ一斉射撃が加えられ、顔を出すこともできなくなる。エルが悔しそうに呟いた。
「マリンさんが……!」
「そうだな……。」
 こうしている内にマリンは連れて行かれてしまう。ザイードがあせりの色を濃くし始めたところで、だが唐突に銃撃音が止んだ。
「?」
 3人は顔を見合わせた。一体何事があったのか。様子を知りたいのは山々だが、動いていいものかどうか。そうしている内に、銃撃の音が一層大きくなった。
 だが、3人はその内に、門柱に浴びせられている弾丸が石に弾ける音が、小さくなったのを感じた。
「なんだ?」
 そして聞こえてくる悲鳴と驚愕の声、怒号、足音。そして断続的なマシンガンの音と銃声。決定的なことが起こったのはまさにその時だった。3人の目の前に、突然何者かが上から降りたったのだ。
「ナ〜ニこんなところで隠れてるんだよっ。さっさと来てこっちを手伝う!」
「ユフィ!!」
「ユフィさん!!」
 ナナキとザイードが歓声を上げた。
 だが、ユフィはふと、エルを見るとおやという顔をした。
「あれ?ファル?アンタどうしてここに?……って、こんな話してる場合じゃなかった、とにかく早く来な!!」
 ユフィの先導で、3人は門柱から飛び出した。
 だが、戦いは終わったわけではなかった。
 そこに現れた兵士に、ユフィはすかさず大手裏剣を振りかざし、ナナキは突進する。ザイードも負けじと大剣を振るい、驚くべきことに、エルもロッドを片手に奮戦した。少女のものとは思えない戦闘能力である。
「すごいな。」
 エルの戦いを目の当たりにするのは3度目のザイードが、つくづく感心したように言った。
「ジェノバのお陰でね。世が世なら、あたし、ソルジャーになれていたかもしれないのに!」
 エルは明らかにおどけている口調で言った。
 マシンガンの発射音と銃声の正体は予想した通りだった。バレットとヴィンセントが、兵士達を追い散らしていたのである。
 バレットは振り向くと言った。
「おう、てめえら、勝手に飛び出しやがって……!!……ん?」
 そう言って、やはりエルを見て絶句する。エルはぴょんと前に飛び出ると、無邪気に言った。
「あ、あたし、エル・ランドっていいます。妹のメルがお世話になって、有難うございました。」
 そう言ってぺこりと一礼してから、今度は思い出したようにユフィに向き直る。
「あ、ファルっていうのは、あたしの双子の妹なんです。そっか、ファル、あっちへ行ってたんだ。」
「……では、メルとファルの姉か?」
 ヴィンセントもまじまじと少女を見つめる。髪は癖のある黄金だが、それを一本のお下げ髪に結い上げ、軽快な印象にまとめている。無邪気な表情に溢れた愛らしい顔だが、瞳はザイードと同じく、禍々しい青緑色をしている。紛れも無い、ジェノバの子である証だ。  だが、何か大いに引っかかるものを感じる。
 しかし、ゆっくり詮索している場合ではない。
「マリンは!?」
「だめ、連れて行かれちゃった。」
 エルが悔しそうに言った。
「チキショー、追うぞ!!」
 バレットが駆け出す。その後を追って、他の者達も駆け出す。お互いに、今までのことを詮索している暇は無い。
 だが、止めてあったバギーに乗り込もうとして、バレットは足を止めた。
 バギーの前に、見知らぬ少年が腕を組み、かすかな笑みを浮かべて立っていたからである。
(エルおねえちゃん。)
 その時、突然エルの頭の中に、別の意識が割り込んできた。
(え?え?メル?)
 慌てて応答するエルの頭に、メルの声は続いた。
(そのひと、みたことあるよ。あのひとのこと、みてたの。かなしそうだったよ。)
(……かなしそう?)
 エルは奇妙な面持ちで瞬きした。バギーの側の少年は、不敵な表情をたたえてエルやアバランチの面々を見渡していた。
「な、なんだてめえは!?」
 進路を塞がれた体のバレットが喚く。少年はふんとあごを反らせると、侮蔑の表情で答えた。
「あの女を返してほしかったら、あんたたち全員の身柄と引き換えだ。」
「!?何だと!?」
「さもなければ殺す。」
 そして、その途端、追い散らしたと見えた兵士達が現れ、少年とバギーとアバランチの面々をぐるりと取り囲み、油断なく銃を構えていた。
「ねえ、これって……。」
「神羅兵、だよね。」
 ユフィとナナキが気まずそうに囁きあう。2人とも恐怖の色はないが、愉快とは程遠い表情なのは仕方が無い。
「はめられたか……。」
 ヴィンセントが苦々しく呟く。
「……信用できねえな。」
 バレットが唸るように言った。
「確かにこの俺の目の前で、マリンを解放してくれるってなら、話は別だがよ!!」
「ば、バレット!」
 ユフィがあせったように言ったのは、彼やマリンを案じたからというよりも、自分も巻き添えかと言わんばかりに聞こえたのは、ザイード以外の者達だった。
 だが、少年は不快そうな表情になると、バレットに近づいて素早い蹴りの一撃を彼の腹部に叩き込む。その蹴りは巨漢のバレットが思わずうずくまったほどで、ザイードはヴィンセントと2人でバレットを支えながら、少年を睨みつけた。
 それに応えたように、少年の視線はザイードに向いた。そして、何故か一層憎しみの色を濃くした。だが、間もなくそれを外すと、全員に向かって冷酷に告げた。
「……間違えるな。選択権はこちらにある。娘を元の所に帰すも、星に帰すも、俺達次第だ。」
 そして兵士達に合図をすると、兵士達の銃口の包囲網は狭まり、6人を元の研究所の方に追い立てた。
 6人を武装解除し、拘束すると、少年は兵士達に向かってあごをしゃくった。
「1人ずつ隔離して監禁しろ。……いや、そこの奴は待て。」
 呼び止められたザイードは、不審と不満の表情を少年に向けた。
「そう、お前だ。単なるサンプルの分際で、何度も俺に逆らうとは、いい度胸だな。」
「……サンプル?」
 ザイードは問い返した。だが、少年はそれには答えず、無表情に告げた。
「ゆっくり調べてやる。おっつけ、エンリケが飛んで来るはずだ。それまでせいぜい大人しくしていろ。」
 そう言って、ザイードの腹にも蹴りを入れる。一瞬息が止まり、苦痛が衝撃となってザイードの体を折り曲げ、思わず床に膝をついたところを、
「さあ立て!」
と更に兵士に銃で小突かれ、無理に立たされる。
 強いジェノバだ。その騒動を、背中で聞いていたエルは思った。こんなに強いジェノバはパパくらいか。ううん、パパには叶わない。だけどこいつに戦闘能力で対抗できるのは、パパかおにいちゃんくらいしかいないだろう。エルはそう値踏みした。
(ほんっとに……こいつがあのひとのおにいちゃん、なの?)
(うん。)
 メルの返事に、廊下を歩きながらエルは憮然とした表情になった。
(ま、いいや。あたし達、捕まっちゃったよ。出来るだけ早く来てね。)
 遠くの町から、小さい妹は分かったと返事を寄越した。
 だが、ザイード達が連れて行かれた後の部屋では、更なる事件が起こっていた。
「イブン様。マイルズらが何者かに襲われたとのことです。」
「何!?」
 イブンと呼ばれた少年は、鋭くまなじりを上げて振り返った。
 マイルズとは、マリンの護送を任せた部下の名だった。
「幸い、死者は出なかったものの、マイルズを含め全員が重傷……」
「女は!?」
 イブンは苛立たしげに、兵士の報告を遮った。
 兵士は、自分の半分ほどの歳の少年の勘気を恐れながら、それでも勇気を奮って報告した。
「……連れ去られたとのことです。」
 イブンの口から、歯軋りの音が漏れた。
 突然苦しみだして昏倒してしまったというザイードのために、マリンは冷たいタオルと氷水を用意しようとしたのだが、冷凍庫から取り出した氷が硬いのに難渋していた彼女は、窓辺で起こっていた変化に気付かなかった。
 窓と窓枠の間から、まるで水のような透明な液体が侵入していたのである。
 だが、それは無論ただの水ではなかった。それはたちまちのうちに内側に侵入すると、今度はまるで自分の意識を持ったアメーバのように窓枠を這い昇り、ロックを外したのである。
 そして次の瞬間、一人の男が中に侵入し、マリンの口を塞いでいた。
「静かにしろ。騒げば殺す。」
 そう命じた男はジェノバの瞳を持っていた。水と見たのは、ジェノバ細胞による男の変身だった。
 だが、ジェノバが変身出来るのは、誰か他の者の意識の中にあるものに限られる。
 それを可能にしたのは、外にいた男の仲間だったのだが、この時のマリンにはそこまで思い至る余裕は無い。
 男がロックを外した窓が、外から開け放たれた。
外には数名の男女が待機していた。マリンはその場でテープに巻き上げられ、口にもテープを貼られた。そしてそのまま、先程の男が彼女を抱え、駆け出す。人一人抱えているとは思えないほど足取りは軽快な足取りだった。
 だが、しばらくの間は気付かれなかったはずの彼らの犯行は、何故かすぐさま知られることとなった。
「マリン!」
 闇の中から響いたのは、意識を失って倒れているはずのザイードのものだった。ということは大丈夫だったのだろうか、とマリンは思ったが、やはり常人ではないザイードの接近は思ったよりも早く、たちまち彼の足音と、マリンを呼ぶ声は近づいてきた。すると、先程のジェノバの男が仲間に向かって言った。
「行ってくれ!ここは俺が防ぐ!」
「シモン!」
「……分かった!」
 そう言って、今度は2人の男がマリンを受け取った。
 そして、マリンは車に乗せられ、コレル山中の山の中にある建物へと連れて行かれた。
見たところ、普通の民家やオフィスには見えない。何かの秘密の施設のようだった。
そこの一室で、しばらくマリンは後ろ手に縛られたまま、ソファに座らされていた。
恐怖はある。だが、幼い時から戦いが身近だっただけに、取り乱したりはしない。きっと、父も母もその仲間達も、彼女を救うために万全を尽くしてくれるはずだ。その確信だけで充分だった。
 そしてきっと……。
 だが、間もなくまた先程の者達がやって来て、再び彼女に移動を促した。今度は急げと急かされた。
 もしや、助けはもう近くなのではないか。マリンの直感は、実はこの時当たっていた。
 だが、再び無情に車に乗せられ、マリンはいよいよ遠くへ連れて行かれることを覚悟した。気になるのは追って来たに違いない父達のことだった。危険なことになってはいないだろうか?自分という人質のために、苦境に陥ったりしていないだろうか?
 星のために、自分達のために、果敢に戦い続けた両親。そんな両親の努力と、これまでの多くの犠牲が、自分のために水の泡となってしまうかも知れない。そう思った瞬間、マリンはとてつもない辛さを覚え、不覚にも敵の前で涙が出そうになった。
(泣いちゃだめ、泣いちゃ……)
 幼い頃自らに言い聞かせ、また妹達にも言ってきた言葉を、今自分にも繰り返しながら、マリンはいっそこの車が壊れてしまえばいいのにと思った。
 だが、信じられないことに、その内車の速度が落ちてきた。エンジンは相変わらずの速度で走ろうとしているのに、何故かスピードが落ちているのだ。
 彼女の両脇の2人も、不審になってきたようだったが、それが高まる前に、フロントシートの2人が引き攣った声を上げた。
「こ、これは……!?」
 後部座席の2人が伸び上がり、やはり奇妙に喉に引っ掛かったような呻き声を上げた。そして、その後は全員が口々に喚き散らし始めた。
「ど、どうなっているの!?」
「分からない!!こんなところなんてなかったはずだ!!」
「それよりもこんなことが……!!」
 そんな、車内の恐怖の理由は、やがてマリンにも分かった。
 車の周囲が、深い草むらになっていたのだ。この辺りに、このような場所は無い。だが、奇妙なことはそれだけではなかった。
 草むらはどんどん深くなっていた。それも、草深いところへ踏み込んでいるのだはない。目に見えて、ヘッドライトに照らされた草が、まるで高速度の再生映像を見ているかのように、瞬く間にマリンの背丈ほどになり、その倍になり、そして生き物のように車に向かって伸びてくるのだ。
 とうとう車は止まった。
 パニックを起こしたように、彼らはドアを開け、外に飛び出した。その時には、草は既に、まるで分厚いカーテンの壁のように、車を押し包んでいた。
 マリンも車の外に連れ出された途端、草のカーテンの中を何かの気配が走った。まるで野生の動物がそこにいるかのようだったが、恐怖にかられた彼らは引き攣った顔で銃を取り出すと、気配の走った先にいた、マリンとは車を挟んで反対側の2人が滅茶苦茶に草の壁に向かって発砲する。だが、草の壁は厚く、車の側面のそちら側は、車内の明かり以外の光源も無く、様子が全く分からない。
 そして異変は突然だった。
 突然、黒い影(としかマリンには見えなかった)が、草むらの中から飛び出してきて、発砲した2人を打ち倒したのである。
 悲鳴が上がった。マリンを拘束していた男も彼女を放り出した。その途端、マリンは草むらの中から伸びてきた腕に捕らえられたが、気付くものはいなかった。
「!!」
 悲鳴を上げかけた瞬間、マリンは首筋に一撃を受けて気を失った。そしてそのまま草のカーテンの向こうへと引きずり込まれたのだが、それに気付く間もなく、全員が打ち倒されていた。
 再び辺りに沈黙が満ちた時、次の異変が起こった。
 草の壁が、にわかにざわめいた。だがそれは、更にその高さを増すことはなく、むしろ急速にその質量を減少させていった。
人の背丈を遥かに越えるほどだったそれは、見る間に車ほどの高さになり、バンパーほどの高さになり、奇怪な草むらは、まるでその登場のフィルムを逆回転させているかのように消滅していった。
 消え行く草むらの中には、2つの影だけがたたずんでいた。
 その内の1つ、マリンを抱えた方が彼女を見、呟くように言った。
「あの子が……もうこんなに大きくなったのか。無理も無い。無情にも、時間は流れてしまうものなのだな、クラウド。」
 それに答えたのは、消えようとする植物の、かすかなざわめきだった。

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