4 眠れる乙女 「バレットさん!それはあきまへんで!」
その時、ケット・シーが慌てて口を挟んだ。
「メルちゃんの家族も心配やけど、今はマルグリットさんの出方が気になります。何しろ、逆らう者は容赦しないお人やさかい、何を仕掛けてくることか……そうなったら、この町の人にも累が及びますやろ。」
「う……。」
バレットが詰まったところで、ヴィンセントも頷いた。
「今ここで何かあったら、あの子の安全も保証出来ない。下手に動かない方がいい。」
「そうね。」
頷きながらティファは、そう言えば、マルグリット達がザイードとメルのことには何も触れなかった、ということに気付いたが、さすがの彼女も、ザイードとメルが、実はマルグリットが彼らにしかけた爆弾だったということには、思い至らなかった。
その夜、ザイードは眠れないまま、ベッドの上で膝を抱えていた。
「……気にしてるの?」
彼と同じ部屋を割り当てられたナナキは、自分のベッドを飛び降りると、のそりとザイードのベッドの側にやってきてそう尋ねた。
「うん……」
ザイードは微笑してみせながら、どこか寂しそうに言って、ロケットを握りしめた。
「ずっと、この写真の人が母さんだって思ってきたんだ。突然違うかもしれないって分かっても、何だか……」
感情的には納得いかないということなのだろう。
「古代種、かあ。」
ザイードは呟いた。もしかしたら母かも知れない人が、そんな重い運命の中を生きたのだということもまた、彼を辛い気持ちにさせていた。
「マルグリットって人は、そのアグネスさんていう古代種の生き残りと一緒に、この星を守ろうとしているって言ってたんだ。」
ナナキは言った。
「母さん……エアリスさんの従妹になるのかな。」
「そうだね。」
「でも、そんな人がジェノバ狩りしてるんだな……。」
ザイードは辛そうに言った。もしもエアリスが母だったら、それに連なる人が、そんなことに関わっているというのが悲しい。
自分もまた、ジェノバなのである。
「そしたら俺も……その人には邪魔なんだろうな。」
ゴンガガ村では、無論ジェノバは彼一人しかいなかったが、それは彼がソルジャーのザックスの息子であるという以上の意味は持たなかったので、今までそれで苦労した覚えはなかったのだが、旅の途中で、モンスター化の恐怖や差別に苦しむジェノバ達の辛い状況は知っていた。
そして今回、彼もまたジェノバ狩りに狙われたのだという。
「アグネスって人は神羅の味方なんだ、仕方ないさ!」
ナナキは怒ったように言った。
「だけどエアリスは違う。エアリスは優しくて……自分の命を投げ出してみんなを守ろうとしたくらい優しかったんだ。あんな人とは違うさ!」
ナナキの言葉に、ザイードは今度はいくぶん明るい微笑を見せた。この異形の生物の優しさが嬉しかったのである。
「有り難う。」
と、その時だった。
ザイードは微笑を凍りつかせた。
頭の中を、再びあの不快な痺れが駆け抜ける。そして急速に意識が遠ざかり、また誰かの声が冷たい頭に響いてきた。
「う!?」
頭を押さえ、そのままベッドの上に倒れたザイードは、何かに耐えるように体を縮め、呻き声を上げた。
「ザイード!?どうしたんだい!?」
だが、返事は無い。
「ちょっと待ってて、オイラみんなを呼んでくる!」
大丈夫だなどと強がる余裕はその時もうザイードには無い。ただひたすら頭を押さえ、凶暴な波動に呻きつづけた。そして、意識はやがて闇に呑み込まれた……。
まるで頭の上で何か弾けたような感覚に、メルは目を覚ました。
何が起こったのかは分かったすぐに分かった。朝の酒蔵の時と同じだった。
メルはベッドの上に起き上がった。部屋の中では、三姉妹の内下の2人がすやすやと寝息を立てている。その2人を起こさないように、メルはそっと暗い廊下へ出て、階下のザイードの部屋に向かった。
暗闇は怖くない。一人でないのだから、怖いことなどなかった。
ティファ達は、一向に家を恋しがらないメルのことを、よほど何か辛い思いをして、子供心に緊張を強いられたのだろうと考えていたのだが、そうではない。家族から離れていても、恐ろしい想念が彼女の思念を乗っ取ろうとしても、メルには寂しがったり怖がったりする必要が無かったのである。無論、懐かしい森に帰りたくはあったが。
階下に降りると、一つの部屋から灯りが漏れ、大人達の穏やかならない話し声が響いていた。
「一体どうしたってんだ!?こんな真夜中に!」
「分からないよ、突然ザイードが苦しみだして……!」
「……気を失っているな。」
「どうしたのかしら?」
そんなティファの声が聞こえたところで、メルは扉を開けた。
「メル!」
ナナキの声に、室内の大人達の視線が彼女に集中する。それはこの騒ぎで目が覚めてしまったのかという、いたわりの視線だったのだが、メルは構わず、そんな彼らに向かって回らぬ舌で言った。彼らにそのことを知らせなくてはならない。そう言われたからだった。
「『りゆにおん』が始まってるって。」
その途端、大人達はまるでブレイクの呪文にでも当てられてしまったかのように動きを止めた。
「リユニオン……?」
ティファの口からつぶやきが漏れた。だが、他の者はすぐには物も言えず、驚愕と不安の視線をゆっくりと見交わしあった。
「それって……どういうことなのさ!?」
沈黙を破ってそう尋ねたのはユフィだったが、メルは黙っていた。わざとではない。彼女も『リユニオン』が何なのか、説明できなかったのである。
(りゆにおんて、なあに?)
彼女は頭の中で尋ねた。
(……集まるんだ。俺達のようなジェノバが。)
彼女にだけ聞こえる声が答えた。
(どうして集まるの?)
(呼ばれるんだ。)
(どうして?)
相手は幼女の素朴な疑問に対し、優しい苦笑と共にこう言った。
(ちょっとメルにはまだ難しいな。小さいから。)
(ぱぱやままは分かるの?)
(ああ。レイとかエル達も分かるかもな。)
相手は頷いてみせた。
だが、メルがここには姿の無い人物と話していることを、周りにいた者達は無論理解出来るはずもなかった。
黙って立ち尽くしてしまったメルを、大人達は不可思議なものを見る視線で見ながらも、幼い子に難しいことは分からないのだろうと解釈したらしい。
「……やはりそうか。」
ヴィンセントが言った。
「そうかって……」
シドの咎めるような視線に、ヴィンセントは頷くと呟くような昔語りを始めた。
「15年前……もう二十年以上も悪夢の中にいたはずの私を、何度も呼び覚まそうとする声があった。私は眠り続けようとしたが、君達と出会ったことで、結局旅に出ることにした。」
その声の正体は皆知っていた。
それは全てのジェノバに集まれとリユニオンを呼び掛ける、セフィロスの声だった。
セフィロスは、黒マテリアを持って自分のもとへ来いと、全てのジェノバに呼び掛けていたのである。
「あの時……セフィロスに黒マテリアを直接渡したのはクラウドだが、今にして思えば、私もあの子の術中にいたのだろう。私も……間違いなく黒マテリアをあの子のもとへ届ける手伝いをしていたのだから。」
ヴィンセントは憂いの瞳で言った。
「で……今回もまさか、セフィロスが呼んでるってのかよ!?」
バレットが吠える勢いで問うた。
「そんな!だって、セフィロスは死んだじゃないか!!」
ナナキが悲鳴のような声を上げた。
「私に分かっているのは、何故かそのまま落ち着けないような、どこかへ行かなければという気になったということだけだ。」
ヴィンセントは答えた。
「恐らく……ザイードが旅に出たのもそのせいだろう。本人は気が付いてないだろうが。」
するとナナキが慌てたような、怯えたような調子で言った。
「で、でもオイラは!オイラは違うよ!」
「そんなの当たり前でしょ、大丈夫よ。」
ティファがすぐさま言ってやった。ナナキはウォーレス夫妻に呼ばれて来たのである。
「それに、あなた結局15年前だって、別に異常無かったんでしょ?」
「う、うん……でも、オイラ、不安なんだ。一体それならオイラ、宝条に何されたんだろって。ジェノバでなかったら、一体オイラ、何されたんだろうって……。」
ナナキはそう言って、今も体に残る「]V」の刻印をちらりと悲しそうに見た。
「かーっ、そんなん、気にしたって始まらねえだろ!今まで平気だったんだ、これからも平気だってぐらいに思ってやがれ!」
シドが一喝した直後、ヴィンセントは突然、ぽつねんと立ち尽くしている幼女に向かって問うた。
「メルはどうだ?」
再び、大人達は彼女に注目した。
「何故、リユニオンが起こると分かった?」
メルは答えなかった。というよりも、どう説明したらよいのか分からなかったのである。
そんなメルの困惑の様子と、ヴィンセントの、幼い子供に向けるにしては真摯すぎる視線に、ティファは少々メルが痛ましく思えてきた。メルのリユニオン発言は衝撃的だったが、彼女の母親としての感覚からすれば、まだメルはほんの小さな子供に過ぎない。
ティファは彼女に近づくと、優しく抱き上げるとこう言った。
「さ、もうメルは寝なきゃ。ねんねするまで、おばちゃんがついててあげるからね。」
そう言ってティファは幼女を揺すってやりながら、彼女を子供部屋に連れて行き、その言葉通り、メルが寝付くまで側についていてやった。
だが、そのかわいらしい寝顔を見ながら、ティファは大いに混乱していた。
(リユニオン、ですって?)
無論ティファは、15年前の出来事を忘れてなどいなかった。
またあの、恐怖の出来事が繰り返されるというのか?
だが、もうセフィロスはいないはずだった。黒マテリアも無い。古代種も消えた。
(ううん、違うわね。)
ティファは慌てて打ち消した。アグネス、あのエアリスよりも濃い血を持つというセトラがいたのだった。
だが、それだけだった。
(ほかに……一体何があるというの?本当にこんな時に……。)
そして、それにこの小さな可愛らしい子が、間違いなく関わっているのだということに、ティファは彼女のために恐怖していた。
だが、ティファの思いをよそに、メルは実は今、事態の核心に近づきつつあった。
メルの肉体は眠っていたが、その後精神は肉体を離れ、活発に動いていたのである。
ほかの者が聞けばそれは夢だと答えるに違いない、奇妙な現実の中にメルの意識はあった。
そこで、メルは誰かが呼んでいる声を聞いていた。
正確には声ではない。
それは彼女を呼び寄せようとしている誰かの意思のようだった。
あの日、母の森からメルが思わず誘われるように出てしまった声だった。
そしてメルはその途端、父の支配の及ばない、普通の人間達に捕まってしまった。ザイードが現れなければ、まだあの薬品の臭いの濃く染み込んだ冷たい建物に閉じこめられていたことだろう。
声の主は、一人の眠れる少女だった。
彼女はもう、15年も眠り続けていて、一度も目覚めないのだという。
(でも、それは体だけだ。夢の中で、彼女はちゃんと生きている。リユニオンという夢を……)
メルの意識に、憂いの声が響いた。
メルは眠れる少女を見た。白い顔を、明るい栗色の長い髪に縁取られた、人形のように整った顔立ちの美しい少女である。
少女は、滑らかなガラス質で作られた、奇妙な部屋にいた。
部屋の中は暗かったが、かすかに白く柔らかな光が漂っている。部屋の中に置かれた、丸みを帯びた硬質ガラスの棺の中で、彼女はただ眠り続けているのだった。
そして、そのかすかな光の中に、女王のような威厳をたたえた、一人の若く美しい女がいた。
もしもアバランチのメンバーが見れば、一目で彼女の正体を見抜いたに違いない。
それはマルグリット・神羅だった。
マルグリットは、涼やかな瞳で相手を見た。
「そんな顔しないでちょうだい。私はあなたを高く買っているのだから。」
そう言われた相手は、緑色に輝く瞳をいらだちに燃えたたせた少年だった。といっても、ジェノバ細胞に冒されていると、ある一定の年齢になると老化が止まってしまうので、正確な年齢は分からない。
彼の殺気を帯びた思考を、メルは恐ろしいと思ったが、やはり怖がる必要がないことは知っていた。その代わりに、メルは意識の中の手で、今も彼女の側にいる人物の手を掴んだ。
「ああ、俺は失敗した。」
少年は悔しそうに言った。
「責めてなんかいないわ。ただ、不思議なことだと思って。こんなことは初めてじゃない。」
マルグリットは微笑した。
「俺にも分からんさ。」
少年は腹立たしげに答えた。
「途中まではいつも通りに進んでいたんだ。あいつはちゃんと、俺の命令を果たすはずだった。」
マルグリットはそっと溜息をついた。
「残念だったけど……仕方が無いわね。」
「あいつ、何者なんだ?」
「さあ。エンリケのところを脱走したサンプルとしか聞いていないわ。」
マルグリットは不快そうに言った。ジェノバが2体、野放しになったこともさることながら、実験用サンプルとして事あるごとにジェノバを確保しようとする科学者が、彼女には少なからず不興だったのだが、メルはそのようなことは知る由もない。
ただ、2人の間に漂う空気が、痛いほどに冷たいことは分かった。
少年は悔しそうに歯がみした。
「俺の操りが、2度も通じないなんて。本当にただのサンプルなのか?」
「さあ。でも、エンリケは怒り狂ってたわ。どちらも貴重なサンプルなんだって。」
「……それで俺にきたってわけか。」
「ええ。でも、あなたに操れないなんて、もしかしたら大物かもしれないわね。」
少年はキッとマルグリットを睨み付けた。
「あいつらじゃない。横から邪魔されたって感じだった。一体誰が……!?」
マルグリットも厳しい表情で、忌々しげに溜息をついた。
「まあ、いいわ。もしもほかに私達の敵がいるというなら……潰すまでよ。」
「……。」
「明日からは、ジュノンでソルジャー達の監督をお願いするわ。反対派がうるさいの。」
マルグリットはまるでお茶を頼むように気軽に言った。
「セフィロス以来の天才」と呼ばれている少年は悔しげに視線を伏せる。だが、彼の感情などマルグリットにはどうでもよいことだった。彼女の関心は、あくまで計画通りに事が進むか否かにあった。
その意味では、少年の失敗はやや面白くない。
反神羅派の筆頭・ウォーレス夫妻のところでジェノバが暴れ、夫妻の最愛の娘達を殺害する。そうなれば、ウォーレス夫妻もジェノバ撲滅に異を唱えはしないだろうし、彼らを味方に出来れば、反神羅派ですらジェノバ抹殺という点ではマルグリット達と志を同じくできる。そしてその際、新たに組織したソルジャー部隊とジェノバに関するノウハウによって、彼らは彼女率いる神羅に頼るほかなくなる。
そういう筋書きだったはずなのだが……。
(まあいいわ。いずれ元の神羅の力を取り戻してみせる。そしてそれが、星を救うことにもなるはず……)
マルグリットはそっと瞑目すると、無言で少年に背を向け、部屋を出た。
彼女が出て行った後も、少年は怒りと屈辱を噛みしめつつ、眠れる少女を見つめていた。
廊下には、数名の黒いスーツ姿の男達が控えていた。
「アグネスはどうしているの?」
マルグリットの問いに、一人が答えた。
「星の声を伝えておいでです。」
「そう……。」
マルグリットは微笑した。
クーデターを起こすに当たり、マルグリットは二つのものを利用した。
一つは、彼女自身に流れている神羅の血。
そしてもう一つが、アグネスの持つセトラの血だった。
かつての神羅の犯罪が明らかにされる中で、かつて地上に存在していた「星を育む民」セトラの悲しい物語もある程度知られるようになっていたが、その生き残りであり、現在星の声を聞くことが出来るただ一人の存在であるアグネスは、神羅に反感を持つ人々にも共感を得やすく、中には彼女を「星の巫女」として、一種宗教めいた崇拝を向ける人々までいた。
そうした信奉者達に、アグネスはしばしば星の様子を語って聞かせているのだが、アグネスに言わせると、自分は星の声を伝えているだけで、特別なことは何もしていないという。しかし、中にはアグネスへの崇拝は篤くとも、神羅やマルグリットには反感を持っている、という場合もあるから、安心は出来ない。
(そして、あの連中も……。)
アバランチのメンバーが、古代種の言葉を信用しなかったというのは、やや意外なことだった。
所詮はテロリストなのだ、と納得する一方で、マルグリットは密かにおかしかった。彼らはその論拠として、エアリスを持ち出した。所詮、お互い星の危機については何一つ本当に知ることはない。どちらもそれぞれで古代種を持ち出してきて、それが己の真実だと言い張っているだけだった。
一体、セトラが本当に滅んでしまったら、誰が己を真実だと言い切るのか。
そのためにも、アグネスはいなければならない存在だ。マルグリットは思った。
星を育み、星と会話の出来る者がいなくなってしまえば、誰がこの星を正しい方向へ導けるのか。
そしてそのために、セトラの血脈を絶やしてはならないと思ったが、そう言った意味ではガスト博士や宝条といった、ジェノバの呪いを解き放ってしまった人々にも感謝するべきなのだ、とマルグリットはやや皮肉な思いで考えた。
(私達の手に、あの子を残してくれたことを。)
星の命脈は、今や自分達の手にある。
その支配を、いかにして永遠のものとするか。
そして、いかにして一人の古代種の母と現代種の父の間に生まれた娘の、永きに渡る呪いからこの星を解放するのか。
それは、セフィロスに惨殺された伯父プレジデントと、星の危機と戦おうとして死んだ従兄ルーファウスに対する手向けでもあった。
「もしもメルの言ったことが本当なら、今全世界のジェノバ達がいずこかに向かっていることになる。」
ティファがメルを連れて出て行った後、ヴィンセントは言った。
「調べる方法は無いのかなあ。」
ユフィの言葉に、ケット・シーが肩を落とした。
「前回のリユニオンの時は宝条が調べよったんですけど……この15年、ジェノバ達のその後については追ったらあかんて言うとったんですわ。助けてくれ言うてきはったのについては、無論精一杯お世話さしてもろとるし、何かあったら遠慮なんかせんとどんどん来てくれいう呼びかけもしてるんやけど……」
「あんたは間違っちゃいねえよ。そっとしといて欲しい奴だっているだろうしよ。」
バレットがぶすっとした調子で答えた。
「そーだよ。それに、下手に調べて、あのマルグリットって女に知れたりしたら……」
ユフィがそこまで言ったところで、ケット・シーはいよいよ情けなさそうに言った。
「それなんですわ。ボク達が把握しとった人達、その人達のことがマルグリットさんにバレとったら……」
室内はいよいよ重い沈黙に満たされた。リーブ達が保護していたジェノバ達に、マルグリットが一体何をするか。
「マルグリットって人は知らないのかなあ。今、大変なことが起こってるかも知れないのに。」
ナナキがそう言うと、シドが忌々しげに言った。
「分かってたってあの女のこった、ジェノバが集まるんならもっけの幸い、ってなことを言いだしかねないぜ。」
「それに、リユニオンが起こっているという証拠も今のところ無い。」
ヴィンセントはそう言ってから憂いの表情を濃くした。
「だが、もしも事実なら、恐らく我々はその中心にいるジェノバと戦わなくてはならないだろう。リユニオンを引き起こせる、最強クラスのジェノバと……」
「最強のジェノバ、か。」
一同は沈黙した。15年前、そのリユニオンを引き起こした最強のジェノバを倒したと言われる彼らだが、実際には彼らの功績ではない。何度倒してもその都度甦ってきた、あの悪魔を最後に倒したのは……。
と、その時だった。
突然、それまで昏倒していたはずのザイードが、突然カッと目を見開いた。
それに気付いた者はいなかったが、次の瞬間、彼が勢い良く飛び起きると、全員の驚きの視線が一斉に彼に突き刺さった。
だが、誰かが何か言うよりも早く、ザイードの口から叫びがほとばしった。
「マリン!」
呆気に取られる一同には目もくれず、ザイードはそのまま部屋を飛び出した。そして迷うことなく台所へ飛び込む。
こうこうと灯りのついたそこには、今まさに汲まれたばかりの氷水がピッチャーの肌に水滴をつけており、開け放たれた窓から吹き込む夜風に、白いレースのカーテンがゆるやかにあおられている。
ザイードは窓に駆け寄った。
「マリン!」
答えは無い。ザイードに続いて台所を覗き込んだバレットは、それが示す恐ろしい事実に声を飲んだ。つい先程、マリンはここで、タオルを冷やし、冷たい水を用意していたはずだったのである。
次の瞬間、ザイードは何も言わずに窓から飛び出した。
ソルジャーは、ジェノバ細胞によって、常人を遙かに越えた筋力、瞬発力、耐久力を発揮するほか、感覚器官も鋭敏で、多少の夜の闇など苦にならない。そしてザイードは、その力を生まれながらにして持っていた。
「マリン!」
だが、かすかな違和感を感じた方向へ走った彼を待っていたのは、鋭い剣の起こした風切り音だった。
「!!」
ザイードが間一髪で避けた空間を、白刃が薙ぎ払う。そして続けざまに刃は彼に向かって襲ってきたが、丸腰のザイードはただ避ける以外に無かった。
「クッ!」
そして、ついに彼がバランスを崩し、思わず目を閉じた時だった。
何者かが、彼と敵とに向かって突進してきた。そして衝突したらしき気配と共に、敵の呻きが闇の中に響く。
ほのかな星明かりの中で、ザイードは突然戦いの場に現れた相手を見た。
ナナキはそのまま相手には構わず、口にくわえた何かをザイードに差し出した。それは一振りのブロードソードだった。ゴンガガ村を出る時、父もこれと同じものを持って出たのだといって、村の武器屋から買ったものだった。
「こいつはオイラに任せて!ザイードはマリンを!」
「分かった!」
ナナキはザイードなど及びもつかない、歴戦の勇士である。ザイードは頷くとすぐさまきびすを返し、闇の向こうへと駆け出した。