KREUTZER 燃え滾る紅い血は体内を駆け巡り、鼓動を揺らす。その音に別の音が重なり合っていた。
〜Neun〜
セッツァーは胸と背中に温もりを感じて目覚める。甘い花の香り、金の長い睫毛、羽二重のように滑らかな白い肌がアメジストの瞳に映った。
セッツァーとエドガーの鼓動がなだらかに共鳴しあっていた。
セッツァーの左手が金の絹糸に触れようとした時、エドガーの指が微かに動いた。
セッツァーは軽く瞼を閉じる。細めた視界に薄金の長い睫毛を上げたエドガーの蒼い瞳が浮かぶ。背中に回されていた腕、重ね合っていた温かい胸が離れた。
やがてセッツァーは、エドガーの細い指を額に感じた。その指は肌蹴たローブの紐を結んだ。
エドガーはベッドから離れると衣服を整え、微かな甘い香りを残して部屋を去った。
厚い雲間を裂いた閃光が小さな窓に届き、仄暗い部屋を照らし始めた。
神々しい光は、降り止まぬ粉雪を蹴散らし、セッツァーの瞳を菫色に変えた。
「……アイツ……」
ジュンの家では、リターナー総指揮官バナンとナルシェ長老を筆頭に早朝から会議が行われた。戦略を立て、戦力を集めた彼らはいよいよベクタへと向かう。
多くの魔石を入手したガストラ、ケフカに立ち向かうべく決意した同志を乗せ、ブラックジャック号はナルシェを飛び立った。
舵楼にはしっかりと舵を握っているセッツァー。その横にエドガーの姿があった。
旅をともにしてきた仲間達は甲板へと上がってきた。
「セッツァー! 熱は下がったのか?」
マッシュは二人を見上げた。
「ああ。エドガーが」
「マッシュが、熱に効く薬湯つくってくれてね」
セッツァーは、言葉を遮るように言ったエドガーの瞳を見つめた
「マッシュが?」
頷いたエドガーは涼しい笑みを返す。セッツァーはエドガーと同じ色の瞳に視線を下げ、焦点を合わせた。
「迷惑かけたな、マッシュ。助かったぜ」
「おう! もう呑み過ぎるなよ」
セッツァーの紫紺が微かに揺れたのをエドガーは気付かない。エドガーの温もりが冷めぬセッツァーの胸が痛んだ。
いつも傍にいるエドガー。だが王様は手の届かぬところにいた。
――酔っ払いの戯言と思われても仕方ねぇな。
どうすればいいんだ?
胃が焼けそうに熱い……――
「セッツ。大丈夫かい?」
セッツァーの舵を持つ手が微かに震えていた。囁くような心地よい声にセッツァーは我に返る。
「ああ。もう大丈夫だ、心配かけたな」
頷いたエドガーの雲ひとつない蒼穹のような瞳が、セッツァーの胸を焦がした事をエドガーはこの時はまだ知らなかった。
真朱の陽が、コルツ山の頂に浮かぶ雲を橙色に染めていった。
ブラックジャック号がサウスフィガロ付近へと着陸する最中、ティナが叫び声を上げた。
「どうしたの! ティナ?」
セリスがティナの細い肩を抱く。華奢な肩が小刻みに揺れた。
「島が…!? 大地が……叫び声をあげているわ!」
セッツァーの舵を握る手が止まる。ティナの緑がかった金の髪に、セリスの白に近い金の髪に影が降りてくる。
「な、何?! あれは、何!!」
リルムの甲高い声と差した指先、セッツァー達は天空を見上げた。
視界を曇らせた影は光を遮った。
「これはいかん! 幻獣達が扉を開いてしまった!」
「イヤっーーー!!」
ティナの絶叫。空に浮上した不気味な大陸に驚愕した一同は言葉をなくす。
「あの大陸は……?」
エドガーの嘗て聞いたことのない震える声にセッツァーの背中に戦慄が走った。
「強い意志を持った三闘神が復活しおった。こ……これは大変じゃ!
千年前の悲劇が! 悲劇が……再び起こるゾイ!」
ストラゴスの小さな体が震慄した。
「セッツ!! あの大陸へ! あの場所に行かねば!!」
エドガーの声に、ただならぬ事態を重く受け取ったセッツァー達であった。
サウスフィガロの宿に一行が到着した頃には、すっかり夜の帳が下りていた。
魔大陸が視界を遮り、月も星も見えぬ不気味な夜空は不安を掻き立てるばかりである。
「私、私、行かなくては!」
ティナの鈴のように儚げな声が、暖炉のある部屋に響いた。
「ティナ! ティナは、ダメ! 私が行きます。皇帝を、ケフカを止めなければ!!」
「私もだ。セリス」
エドガーの凛とした声が温かい部屋に溶け込んだ。
「俺が行く! 兄貴は、飛空挺に残るんだ!」
マッシュはエドガーの肩に置いた右手に力を入れた。
「マッシュ。無駄だよ。誰に止められようと私は行く。ケフカを止めなければいけないんだ」
「俺も行く!」
「ば、バカなっ! お前が行ったら、飛空挺の操縦は誰がやるんだ?」
「俺の船は賢いのだ。主がいなくても自動操縦ってのがあるんだぜ、マッシュ」
マッシュはセッツァーに舌打ちをした。
「お前、自分の大事な船を放ってまで、行く必要あるのかよ!」
「俺も行かねばならねぇ。それにエドガーが…」
「心配するな。兄貴は俺が守る」
セッツァーはマッシュに舌打ちを返した。
「一刻も無駄にできぬ。争っている場合ではないゾイ。誰が魔大陸に乗り込むかを早急に決めるのじゃ」
ストラゴスはエドガーに視線を送った。
「エドガー殿、バナン殿が不在であるこの場は、貴殿が我々の統率者ではござらぬか?」
「カイエン……」
エドガーの視線はロックへと流れた。ロックは頷く。
エドガーはロック、カイエン、ストラゴスへと視線を返して意を決する。
「セリスの魔法の威力は強大だ。それに、ガストラとケフカのことをよく知っている。是非力を借りたい」
頷いたセリスの淡い青の瞳はロックへと向けられた。
「セッツ、マッシュも来て欲しい。
うまく説明できないんだが、私と、マッシュ、セッツ、この三人があの場所へ行かねばならない」
ロックは頷くように瞬きをした。
「セリスを頼むぜ」
エドガーは小首を傾げて優雅に微笑んだ。強い意志を示す時のエドガーの仕種である。
「よし! 夜が明けたら魔大陸に乗り込むぞ!」
エドガーの人選に誰もが同意したが、唯一人だけ浮かぬ顔をしていた仲間に気付いたのはセッツァーだけであった。
霧に覆われた魔大陸は視界が悪く、所々に仕掛けがあり、迷路のようだ。獰猛な獣達は急ぐ彼らの行く手を阻んだ。
「アイツら、一体どこにいやがる!」
「焦るな、マッシュ。もうすぐだ」
「兄貴?」
「エドガー? 顔色が悪いわよ」
セッツァーが何かを言おうとしたのをエドガーは手を挙げて遮った。
エドガーは軽く瞼を閉じ、耳を澄ます。
「弦の重なり合う音……。あの音が聞こえる」
瞼を上げたエドガーの視界にセッツァーの紫紺が見えた。
「やっぱり君にも聞こえていたんだね」
「あぁ。あの旋律だ」
エドガーとセッツァーの静穏な声が、マッシュを不安にさせた。ピアノとバイオリンを奏でる二人の姿が過ぎる。
マッシュの碧眼が大きく見開かれた。
「兄貴……」
エドガーは弟のミドルネームを呼びかけようとして口を噤んだ。激しく重なり合う弦の音が、エドガーとセッツァー、そしてマッシュの脳裏を翻弄する。
落ちた黒い塊が旋律に終止符を打ち、マッシュの大きな肩を震わせた。
目に見えぬ光景があたかも現実のように流れ彼らを惑わせた。
「あ…兄貴……。
俺たち……この先へ行ってはダメだ! イヤな予感がする!!」
「何を言っているの!?マッシュ!! エドガー、セッツァーもしっかりして!!」
セリスは細い腰に掲げていた大剣を力強く抜いた。
「あれを見て!! もう引き返せないわ」
視界を遮る大きな影。
「アルテマウェポン……。すべてを破壊するために生を授けられた、魔獣……」
エドガーも剣を抜いた。
「悪魔の使いだ。セッツ!! マッシュ!!」
只ならぬエドガーの声に、セッツァーとマッシュは目前の
巨大な影は、まるでその先の主を守るかのように彼らの行く手を阻んでいた。
「来るわッ!!」
エドガーとセリスは剣を振り、セッツァーは鋭利なカードで切りつけ、マッシュは全身で技を繰り出した。
四人の合わせた力は強大であった。伝説のアルテマウェポンは魔大陸の塵となった。
彼らの力に敵う者はいないと言いたいところだが、目前の敵は計り知れぬ力を得た狂人である。
「よく来たな。仲良く死にに来たか? だがここまでだ。見よ! この三闘神を!!」
ガストラとケフカはエドガー達を見下ろした。
「ボクちゃんの
ケフカの口元は笑っていたが、薄い灰色の瞳は冷たいガラス玉のようだ。
「血が騒ぐ! これぞ三闘神の力!! お前たちにも感じるだろう? 感じないとは言わせないぞ」
白い堕天使。折れた翼。エドガーが何度も見た夢の中の絵が
エドガーのサファイアが揺れる。細い小指に着けている青い宝石までもが揺れていた。
「エドガー!?」
セリスはエドガーの剣を持つ右手首を荒々しく掴んだ。それでもエドガーの震えは止まない。
「あれは……。あの……あの像は!!」
エドガーの声は慄き、セッツァーとマッシュは言葉を失くして三闘神を凝視した。
「面白い!! ユ、ユカイだ!! ユカイだ!!」
ケフカは体を仰け反って高らかに笑い出した。
「この力! 甘美な果実!!」
ケフカとガストラは、三闘神の力に酩酊した。
「やめてください。皇帝! ケフカ!!」
「セリス。お前だけは特別だ。
我がガストラ魔導帝国を築くためにケフカとお前に新しい子孫を残す使命を与えようではないか」
ガストラの手招きにセリスは引き寄せられるように一歩踏み出した。
「セリス!!」
セリスのマントを掴もうとしたエドガーの左手が動かない。同じ行動に出たセッツァーとマッシュも動けない。
「ストップかけちゃったからね! どう足掻いても動けないよ」
ケフカは腹を抱えるようにして笑った。
「さぁ、この剣を取れ! 奴らを殺すんだ」
セリスはケフカから渡された剣を取り、切っ先をぼんやりと眺める。
「早く殺れ! 殺るんだ、セリス!!」
「力とは争いを生む。愛はそれ以上に人を狂気にも変える……」
セリスはケフカに背を向け中間達と向かい合わせになる。
「私では無理だ」
藍玉が青玉に一瞥を投げた。純白のマントが翻り、青銀が薄霧を裂いた。
「い、い、いったーーーいっ!」
けたたましいケフカの金切り声が動けぬエドガー達の耳を劈く。
「血、血、血!!」
腹に突き刺さった剣を抜いたケフカは首と背骨を仰け反り、踊り狂った。
「チクショーーー! 何で僕が!?
ちく、ちく、ちく、ちく、チクショーーー!」
ケフカはエドガーの頭上に剣を向ける。
「エドガー!」
セッツァーがエドガーの前に立ちはだかった。驚いたケフカは剣を持つ手元が狂う。一房の銀糸が宙に舞った。
「キ、貴様! どうやってボクちゃんの魔法を解いたんだ」
ケフカは紫水晶の瞳に吸い込まれるように見入った。右手に持った剣は滑り落ち、食い入るようにセッツァーの瞳を覗き込んだ。
「そうか……。そういうことか!」
ケフカは肩を震わせ嗤笑した。
「フンッ。何が三闘神だ! こんなもの、こんな世界壊れてしまえばいい!!」
「何をする!! 乱心したのか!」
三闘神の真ん中に立ち、冷笑しているケフカにガストラは慄然とした。
「乱心? 愚かな。私は正気に戻ったのですよ、皇帝。この者達のおかげでね!
さあ、私の真の僕よ、復活の時がやってきた」
「ダメだ! 止めるんだケフカ!! お願いだ、止めてくれ!!」
エドガーの叫びはケフカの高笑いに掻き消される。
「泣け、喚け、叫べ!! お前達には地獄の苦しみを与えてやる。
という訳で最初の獲物は決まりだね。役立たずの皇帝」
「恐怖が世界を覆い尽くすぞ……」
ガストラは三闘神の威力にあっけなく事切れた。
「愛という狂気が全てを焼き尽くすんだ。誰にも止めることはできない! 私たちはどうすることも出来ないんだ!
愛も憎しみも……。あらゆるものを全能なる神が創造したくせに! あの方は創っただけで何もしない。何も痛くない、苦しくない、悲しくない! ただ傍観している。この世界が滅びようとしてもな!
愚かなのは私たちなのだ! お前ならわかるだろう……美しき
エドガーは目を細め崩れ落ちた。
「や、やめろ、ケフカ……」
エドガーを支えたセッツァーの指先は凍り付き小刻みに揺れた。
「聞こえるだろう? あの音が! 切なく苦しく心を抉る、あの音。弦を弾くしかできない無能な指に嘆くがいい!」
「やめて!!」
「やめるんだ!!」
ケフカに飛び掛ったセリスとマッシュは見えない
「ダメだ。止めるんだ。止めてくれ!!」
エドガーは激しく
「官能的な音だ! 世界が滅びる音。素晴らしい!! 愛の旋律が破滅へと向かわせるんだ。
嘆いても誰も止めることはできないんだよ、エドガー。お前の美しさが、永遠に止めることのできない悲劇を生んだんだ。それを思い知るがいい!!」
ケフカは一体を動かせた。
「止めろ!!」
セッツァーの右手は虚しく空気を裂いた。
「美しき人の心を惑わせた。その罪の報いをするんだ。苦しめ!! 苦しむがいい!!」
ケフカは笑いながらもう一体を動かせた。
「兄貴!!」
「愚か者よ。同じ血を分けた者に愛を抱くとはな。己の力のなさに嘆くがいい。泣いて泣いて狂えばいい!」
ケフカは最後の一体を動かせた。
「やめて!!」
「誰だ! 余計な事をするな!!」
バランスを崩した三闘神の前に立つ黒い影。
「もう手遅れだ! 暴走は止まらない。ここもじきに崩壊する。エドガー、早く行け! 世界を守るのだ」
「シャドウ……」
「俺に構うな! 早く!!」
エドガーは項垂れ下唇を噛締めた。
「何をしている! こんなところで死んでどうする?」
「すまない…。セッツ、マッシュ、セリス。脱出しよう」
エドガーはセリスの手を取り立ち上がった。
「走れ、マッシュ!」
四人は飛空挺に向かって走った。
――逃げても無駄だ……――
ケフカの笑い声が烈風に乗ってブラックジャックを追いかけてくる。
「大地が…砕ける。世界が……」
「セッツ!!」
「エドガーーーーー!!」
――苦しむがいい!
君たちに、あのメロディーを奏でてあげよう!――
飛空挺は砕け散り、世界は引き裂かれた。
悶え苦しんでも
泣き叫んでも
貴方はただ静観している