KREUTZER



〜Sieben〜

 ガストラとケフカが多くの魔石を入手し、世界征服を目論んでいる今、リターナーは平和を取り戻すために二人を葬らなくてはならない。
 リターナーの司令官バナンのいるナルシェに伝書鳥で凶報を伝え、エドガー達は入手できる限りの魔石を求め世界を駆けた。
 ジドールで二つの魔石を入手し、各々鍛錬をしながらナルシェへ向かう。
 目的地へ向かう前日、エドガーの要望によりブラックジャック号はフィガロ城付近に降り立った。船を降りた戦士達を、大臣は丁重に出迎えた。
 リターナーのメンバー達は、城内の西の塔に個々の部屋が用意された。明朝の出発までに各自疲れを癒して欲しいとの、フィガロ王の配慮をうける。
 その夜、彼らはエドガーのプライベートサロンにて、不安な現実からひととき離れディナーを愉しんだ。夕食後には城内で一番美しい場所へと案内される。
 謁見の間、閣議の間、控えの間、饗宴の間などを通り過ぎると、長いコの字の回廊があり、その真ん中に庭園がある。
「わぁ! すごい!! 砂漠のど真ん中だと思えないくらい、きれい!!」
 リルムとガウは庭園に足を踏み入れると、見たことのない遊園地に訪れたかのようにはしゃいだ。
「美しいでござるな。様式は違えども、ドマ城の庭園も美しかったでござるよ」
「父上から、ドマ城の神秘さを聞いたことがある」
 マッシュは仲間達へのオリジナルティーを調合していた。
「庭園で夜の茶会とは、お貴族様らしい粋なことだな」
 セッツァーは、エドガーの髪の香りを強く感じた。その)のする方を探すかのように辺りを見渡す。
 エドガーはセッツァーの背を軽く押して、水の音がする方へと誘った。二人は蒼白い月明かりだけの細い夜道を抜け、庭園より少し離れた小さな広場に辿りついた。
「これは!」
 アーチ型をした扉の向こうに広がる噴水の周りを囲む白い花の絨毯。
「『砂漠の泉』」
 エドガーは手折った一輪をセッツァーに渡す。
「香りも神秘的だが、とても珍しい花なんだ」
 形は薔薇に似ているが、よく見ると花弁が透けている。細い絹糸で編まれたレースのような繊細な文様の花びら。
「作り物のようだな」
 セッツァーは壊れ物を扱うように、そっと指の腹で触れた。肌に吸い付くような瑞々しさが伝わる。
「この花びらをお茶に浮かせて飲むと、よく眠れるんだ」
 エドガーが屈んで花を摘むのをセッツァーも手伝った。
 二人は数本を摘んで戻ろうとしたその時、セッツァーは立ち止まって後ろを振り返った。
 月光を浴びた噴水の水飛沫は燦然と輝く金に染まり、白い花の上に降り注いでいる。
「セッツ?」
「笑い声、聞こえなかったか? 少年の」
「少年? ガウの声かい?」
 セッツァーはエドガーの問いに即座に返答しなかった。聞いたことのあるような声だった。だが、そこには誰もいない。
「気のせいだな。戻ろう」
 首を傾げて突っ立っているエドガーの肩を軽く叩いて促し、仲間たちの元へ戻った。
 控えめな光を撒いているランプの灯りに映し出された仲間たちの表情は明るくはなかった。
「マッシュ、これを」
「ありがとう、兄貴」
「それ、何? 色男」
 十歳のませた少女はエドガーの手に持っている花を見上げた。エドガーは腰を曲げてリルムの視線に合わせた。
「良い香りがするだろう?」
「色男の匂いがする。綺麗な花だね!」
 エドガーはリルムの髪に一輪の花を飾った。
「花が小さなお姫様を選んだようだね、レディ」
「あ・り・が・と・う! キザ男」
「キザ男! こりゃいいや」
 ロックが声をたてて笑うと、セリスたちも続けて笑顔を見せた。
「やはり私の口説きのテクニックは錆びてしまったかな」
「そのようだな、陛下」
 セッツァーが呆れたように言うと、皆が笑った。
 だが暫くすると、ざわめいた笑い声は潮が引いたように沈黙の幕が降りる。微風が小さなカップの中の湖面を揺らし、天空の月明かりがティーに浮かんだ、揺れる純白の花弁を蒼白く染めていた。
「ねぇ、セリス。あれを聞きたいわ」
 ティナの鈴を鳴らしたような小さな声は皆に安らぎを与える。
「あれって?」
 マッシュの蒼はティナの碧を見つめた。
「セリスのバイオリン」
「セリスの?」
「船でこっそり弾いていたのを見かけたの。あそこにバイオリンあるでしょう」
 すぐ近くの部屋に浮かぶ白い大きなピアノ。その向こうに、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス等の弦楽器が多数並んでいる。
「お前、バイオリン弾けるのか?」
 セッツァーは驚きの混じった訝しい視線を、元帝国将軍へと向けた。
「意外?」
 セリスは人前ではあまり見せたことのない笑みを浮かべた。
「意外だ。俺も是非、聞いてみたい」
 ロックの高揚した声。
「セリス。ピアノでお相手させていただいてもいいかな?」
「ピアノで? ええ、いいわ」
 エドガーの誘いにセリスは頷く。
「ありがとう、レディ。君の弾く音に合わせるよ」
「私のことを、レディというのはやめてね、陛下」
 セリスはエドガーにレディと呼ばれるのを嫌がっていた。
「わかったよ、セリス。私のことも陛下というのはやめてくれるかな」
 エドガーはセッツァーのアメジストの瞳を見据えた。君も、私のことを陛下、、)と呼ばないで欲しい。蒼いまなこ)でそう言った。
 エドガーはゆっくりと瞼を伏せ、セリスへと蒼の瞳を戻す。開け放たれたテラスからピアノのある部屋へセリスを誘い、弦楽器が並んでいる棚の前に促した。
 いくつかあるバイオリン。セリスは迷わず、赤みがかったマホガニーのバイオリンを手に取った。
 セリスは左手でバイオリンを持ち、括れた尾の丸みがかった部分を左肩に預ける。右手の細い中指と親指は軽く弓を握った。
 ソ、レ、ラ、ミ、と弓が弦の上を撫でる。セリスは右の肘を天空へと向けた。
 調弦を確認するかのように弓を引く。ゆったりと右手の持つ弓が動き出し、左指は弦を揺さぶる。その場にいる者の鼓動を動かすような音色は乾いた夜の風にゆらめいた。
 エドガーがピアノの前に座ると、セリスのアクアマリンの瞳がエドガーのサファイアと重なる。
 セリスは軽く瞼と閉じると弓を持つ右手の肘を高く上げる。左の指は弦に触れ、右手の弓は弦の上を滑り始めた。
 エドガーはセリスが最初に弾いた音に魅かれた。白い指が静かに鍵盤に沈む。セリスの弓を引く動きに併せて優しく鍵盤の上を流れる指先。
 庭園に甘く艶かしい音が広がる。やがて、張り詰めた空気を切り裂くかのように、セリスのバイオリンの弦が強い音を出した。エドガーの指もそれに併せて動き出す。
 セリスのリズムに委ねるようにエドガーの肩が上下する。
 セリスの右手の弓が弦の上を激しく行き来し、エドガーの細い指先は黒と白の鍵盤を忙しなく行き来する。
 セッツァーの左の指が、まるで弦を押さえているかのように動いた。
 やがて激しく絡み合う音の波がバイオリンとピアノを急き立てるように絡み合う。
 マッシュの額には小さな汗が浮かんだ。セッツァーの動く左の指に釘付けとなる蒼の瞳。


――その音は人の心を狂わせる――


 セッツァーは酩酊したかのようにセリスが奏でる音にまどろんだ。セリスに自身が重なった。エドガーの横に立つ、黒衣に身を包んだ白銀の髪の男。


――その音は艶かしく人の心を掻き乱す――


 バイオリンとピアノの弦は激しく共鳴しあい突き放す。重なり合う旋律が他人の心を掻き乱す。
 セリスとエドガーは楽器に身を委ね、悶えと共に終焉を迎えるかのように演奏を終えた。
 余韻が消えても誰も声を立てない。吐息さえも聞こえぬ。
 セリスは左手に持つバイオリンを下げた。エドガーは自身の指を眺めているかのように鍵盤の上に視線を落とした。
「セリス、この曲」
「リハーサルもしないで息ぴったり。エドガーどうして?」
 エドガーの碧玉はセリスを見上げた。
「それは、私が聞きたい。この曲を知っていたとは驚きだよ」
「エドガーが弾いたピアノに合っている。何故?」
 セリスはエドガーに詰め寄る。
「これはバイオリンとピアノの音が重なって一つの曲?」
 エドガーは傾く。セリスはセッツァーへと視線を逸らした。
「そうだよ。セリス、どうしてこの曲を知っているんだい?」
 エドガーの質問にセリスは答えず、セッツァーの指を眺めた。
「左の指、動いていたわね。これ弾けるの?」
「俺がか?」
 セッツァーはきょとんとした表情を作った後、軽く肩を竦めた。
「俺がそんなもん弾けるわけねぇだろ?」
 セッツァーの左の指は微かに震えていた。それを隠すかのように右手を重ねた。
「セッツ。セリスにバイオリンを習ってみてはどうかな」
 エドガーは無邪気に言ったが、セッツァーはティーに浮かぶ白い花に視線を落とした。
「エドガー、この曲は」
「フィガロに伝わる、とても古い曲だよ。君は何故この曲を知っているの?」
「ケフカが教えてくれたの」
 セリスの翳った青い瞳はカイエン、マッシュ、ロックと庭園にいる仲間たちの瞳の上を流れた。
「ケフカ…でござるか?」
 カイエンは忌むべき名を震えた声で呟いた。
「信じないかもしれないけれども、ケフカは元々狂ってはいなかった。
 彼の音はとても繊細で、美しく悲しかった。幼い私は、その音色に惹かれて、彼にこの楽器を習ったのよ」
「あの野郎が? 信じられない!」
 カイエンの心情を代弁するかのようにマッシュが言った。
「ケフカと……同じく魔導の力を注入された。私もいつケフカのように狂ってもおかしくないわ」
「セリスは狂ったりなんかしない!」
 ロックは声を荒げた。
「そうよ。セリスは大丈夫。ケフカは呪われた存在なのよ」
 ティナの声は微かに震えているかのようだ。
「ケフカ……。呪われた存在」
 エドガーは囁くように言った。
「バイオリンの音はダメだ。人を狂わせる」
「マッシュ?」
 エドガーは驚いたようにマッシュを見上げた。マッシュはこめかみを押さえて、兄の蒼い瞳を見入った。
「頭が痛い。珍しく少し疲れたようだ。悪い兄貴、先に休ませてもらうよ」
 エドガーの瞳が曇る。
「心配すんな、兄貴! 今夜は我が家だから、ゆっくり休めそうだ。明日になれば、この頭痛も吹っ飛んでいるさ」
 エドガーは頷く。
「皆も今夜はゆっくりと休んで疲れを癒して欲しい」
「ご配慮かたじけないでござるよ、エドガー殿」
 礼儀正しいカイエンに続きマッシュ達は庭園を後にした。




 脊髄の上を走る戦慄。心の臓を抉られ、胃を吐き出してしまいそうなほどに呼吸を乱す不安。
 セッツァーは自身の低い呻き声に、目を見開いた。アーチ型の柱に凭れ、転寝をしていた彼の足元にある葡萄酒のボトル二本が、だらしなく重なり合って倒れていた。
 眼前に広がる砂漠の泉は、白銀の月光を浴びて薄青のベールを着ていた。
 全身の産毛が絹の手で撫でられたかのように、セッツァーは砂漠の泉に溺れた。その蠱惑的な薫りに。


『君がくれた種を撒いたら、こんなに綺麗な花が咲いたんだよ』


『もう行っちゃうの? 今度いつ会えるの』


『行かないで! ずっと僕の傍にいて!』


――あぁ、離れないさ。俺はずっとお前の傍にいるから――


 セッツァーの脳に鳴り響く旋律。数時間前、仲間達で賑わっていた庭園に向かった。
 果たしてピアノに向かうエドガーの姿が浮かんでいた。白いピアノは月光を浴びた砂漠の泉と同じく、薄青に染まっていた。
 背中に垂れるエドガーの束ねた金の髪が仄暗い手元の鍵盤を照らすかのように耀いている。
 主旋律のないピアノだけの音。エドガーの白い手、肩、腰が揺れている。
 セッツァーの脳にバイオリンが奏でる主旋律が届く。エドガーの隣に立つ銀の髪の青年が握る弓。弓が弦の上で踊る。


――エドガー!――


 内臓が飛び出でてくるかのように喉を詰まらせ、声は発しなかった。
 紫紺の瞳が天空の冷たい月を仰ぐ。セッツァーは肩を上下に動かせて呼吸を整え、踵を返して回廊へと向かった。
 塔を支えている大きな柱に背を預けたセッツァーは、ピアノを弾き続けているエドガーの姿を眺めた。
 エドガーの肩がリズムに併せて揺れ、背中の金の髪が波打つ。セリスと弾いた曲。エドガーは伴奏だけを弾いていた。


――お前がピアノを弾く姿、懐かしい。その音も。
 その音は人を狂わせるのか?――


 セッツァーの脳に燃え滾るように流れるバイオリンの音。音は彼の指を操るかのように空気を裂いた。


――ずっと、探していたんだ――


 エドガーの奏でるピアノの音が弦を切り裂くように張り詰めた。
 隣で激しく踊る弓を操る姿。セッツァーは、バイオリン奏者に自分の姿を重ねてみた。ピアノを弾くエドガーの傍らに立ち、弦の音に溺れる。
 瞼を開けば、美しい人の横顔があった。
「お前を探していた。ずっと探していた。
 俺は……」
 冷たい月明かりが届かぬ声を包み込んだ。


――狂おしいほどに、お前を愛していた!――



記憶を開ける鍵
記憶に嘆く響
神が笑っている

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