KREUTZER



〜Sechzehn〜

 灰色の大地。灰色の雲。
 空から降りる雪は涙。
 どこまでも続く空と地は終わりのない喪の色。
 それでも光は、墨染めの厚い雲を通り抜けて弱々しく大地に届く。
 灰色の雪が白に変わってゆく。
 エドガーは夜明けの大地を甲板から眺めていた。
 閉じた瞼の金の長い睫毛が雪でしっとりと濡れている。




「こんなところにいたのか、エドガー」
 セッツァーは、エドガーの白いコートの上に積もった雪を払った。
「風邪ひくぞ」
「終わったんだね」
 セッツァーは短く返事をして、疲れ果てた顔に笑みを浮かべた。
「明日にはこのファルコンを空に……」
「相変わらず、せっかちだな」
 苦笑するが、セッツァーも一刻も早くファルコンを空に泳がせたかった。
「マッシュとセリスが今日の午後には、サウスフィガロに着くようだ」
「城に戻るか?」


 空が街を薄灰色に染め始める。
 サウスフィガロの港は異人達で賑わっていた。
 世界が崩壊し、多くの街や都市が消滅してしまっても、命ある人達がいる限り街は朝を迎える。
「俺は、このままファルコンへ向かって部品を届けるよ。予定より半日早く着いてしまったからな」
「私は城へ行って、積荷を運んでもらうように伝えるわ」
「頼むよ。兄貴もセッツァーも一日も早くファルコンを飛ばせたいと思っているだろう……」
「それと……心配なんでしょ?」
 マッシュの濃紺の瞳孔が開いた。身寄りのいないセリスには、マッシュとエドガーの兄弟は憧れだ。彼から学んだのは自分以外の誰かを大切に思えることだ。
 心配か、とマッシュは後頭部をかきながら微笑する。
「俺達が到着するまでに、整備を終えるって伝書にあったからな。
 兄貴は、機械を弄りだすと、寝食も忘れて没頭するから……」
「あの二人なら、そうだろうね」
 セリスが珍しく微かに笑った。


 甲板から機械室に降りた二人は、殺伐とした部屋だが、それでも外よりは暖かいと感じた。
 エドガーは濡れたコートを脱ぐ。冷たい雫を含む束ねた金の髪が、白いシャツに吸いつくように背中に垂れた。耳の後ろにある一握りほどの後れ毛が胸元へ流れいてる。
 セッツァーは、その髪を掴んだ。冷たい。だが、エドガーに触れた手の甲には胸の温もりと鼓動を感じた。
 近付くセッツァーの白い顔を避けるようにエドガーは微かに首をひねった。
銀の眉が疵とともにつりあがる。逸らされた蒼い瞳を取り戻すかのように、逃げた冷たい唇を塞ぐ。セッツァーは、エドガーに言葉を紡がせる隙をつくらせない。堅くなった肩に手を置いて濡れた背を壁に押し付けた。
 エドガーはセッツァーの瞳を覗き込んだ。
「セッツ!」
 明らかに拒否しているその仕草。セッツァーは構わずエドガーの口を再び塞ぐ。
 セッツァーの体が重く圧し掛かった。エドガーは辛うじて首を横に流す。自由になった唇が小さく動いた。
「…マッシュが……」
 その声にセッツァーの体が微かに動く。エドガーの顎に手をかけ、前を向かせ再び開こうとした唇を激しく舐めた。
「……セッ……」
 エドガーは目を閉じて顎にあったセッツァーの手を払いのけ俯く。
「何故、俺を拒む?!」
 かたく結ばれた口を開くことなく、エドガーは、セッツァーから視線を逸らす。
「エドガー!」
 優しいが激しさを秘めた口付け。頬や耳、項にセッツァーの熱を感じるエドガーは、怒りさえも感じ取れるほどの接吻に心が痛んだ。
「セッツ…やめるんだ…。拒んでいるわけじゃない。怖いんだ!
 君を受け入れれば、全ての人を不幸にさせてしまう。何故そう思うのかわからないが、私のこの心が恐ろしい」
 セッツァーの動きが止まった。
 エドガーの今にも泣き出してしまいそうな横顔を眺めたセッツァー。何かに怯えるその顔も艶かしく愛しい。彼の苦悩と慄きを癒すことのできないもどかしさを感じながら、正直に生きてきた男は自身の想いと欲望を止めることはできない。
「俺には何も恐れることなどはない」
 セッツァーの穏やかな声にエドガーの柳眉は動き、頭は小さく左右に揺れる。
「ただ…。お前に会うたびに、魅かれてしまう…それだけだ。理由などない」
 蒼いオアシスが、ゆるやかに漣をたてた。


――貴男(あなた)だけを愛していた。
 貴男に会うたびに、求める。
 そう……繰り返すだけだ。貴方ががいれば、それでいい。何も恐れることはない。――


 同じ言葉を何度も聞いた。同じ声で。エドガーの脳裏にセッツァーが語りかけてくる。


――そう。何も恐れることなどない。
 私は貴男だけを愛してきた。理由などない。
 貴男がいるから貴男を求める――


 エドガーの軽く閉じた金の長い睫毛がしっとりと濡れた。
 セッツァーは燃え滾った舌先でエドガーを求める。白い首筋についばむように口付けの嵐を浴びせる。
 背中にコンクリートの壁の冷たさを感じながらも、セッツァーの熱い吐息に溺れてしまいそうなエドガーはそれでも、まだ震えが止まらない。
 「セッツ…やめるんだ…。マッシュが……」
 セッツァーには途切れ途切れの、エドガーの声も耳に入らない。
 エドガーの指が銀の髪に絡む。次第に声が言葉を呑み、力を入れた指先が緩む。
 セッツァーの冷たい指先がエドガーのシャツのボタンを剥がしていった。露になった胸元に愛撫を受けたエドガーは揺蕩う。
 避けようとしても、心も身体も彼を求めている。
 彼を避けようとしていた自身が判らなくなっているエドガーはセッツァーの接吻に溺れてしまう。いつしか頭の中が透明になっていた。
 古い異国の言葉で祈りを歌う少年たちの崇高で美しい声の旋律が、エドガーの脳裏で鳴り響いていた。


 厚い灰色の雲間から、あたかもこの星が生まれた時から当たり前のように降り続く雪。
 世界が崩壊した日から降り止まぬ雪は、眩しい太陽の光を感じていた人々の心を、その空と同じく暗雲へと導いていた。
 マッシュは冷たい雪を頬に感じながらも、真っ白な大地をファルコンへ向けてチョコボを急ぎ走らせた。
 白一色に塗り替えられた、ファルコン。その船を見つけたマッシュは迷うことなく機械室に足を向けた。
 機械室の扉を開けたマッシュの冷え切った頬は室内の温もりで一瞬にして紅く染まった。
「兄貴!」
 真正面の奥には小さな暖炉からの朧気なオレンジの色に照らされた、毛布やワインの空瓶があった。手前の壁際にある銀の髪と黒いコートもマッシュの視界に入っていたが、兄の声が聞こえるまで気付かない。
「兄貴……」
 ドンと床に鈍い音が響いた。マッシュが持ってきた手荷物が落ちた。
 銀の髪の上に兄の顔がある。同じ蒼い瞳が見開き揺れる。
 銀の髪の男が振り返る。濃紫の瞳とあわせた刹那、マッシュは吐き気を催した。セッツァーの前で白い胸元を露にした兄の姿から目を背ける。兄に名を呼ばれたが、その声がとても小さく聞こえた。


――俺にはあなただけだった。あなたはそれを知っていて、また俺から離れていく…。
 俺はいつだって、寒い籠の中だ。あなたの温もりだけを求めているのに、何故だ?
 なぁ? 俺は、何で、孤独を与えられたんだ?
“貴方”はこんな俺を楽しんでいる?
 あなたは誰にも触れる事のできない、硝子張りの向こうにいる。
 俺の声は届かない。
 俺とあなたは同じ血が流れているのに…! あなたはいつも手の届かないところにいる。何故? 何故だ!
 ……寒いんだ。
 寒いんだ……!!
 俺の心を暖めてくれるのは…あなただけ。あなたのかわりなんて何処にもいない。
 でも…俺はいつも置き去りだよな?
 俺は硝子越しにあなたを見ているだけ。
 あなたをもう壊さずにはいられない!――


――フッ。ようやく思い出したか。
 私の忠実な僕(しもべ)よ。さぁ、時が訪れたな。来るか?――


 マッシュは二人に背を向けた。
「マッシュ! その声を聞いてはいけない!!」
 エドガーの声が耳に入らない、マッシュは扉を開け階段を駆け上った。
「いけない! レネー!!」
 エドガーは弟の名を叫んだが、その声がマッシュに届いていないのを知った。
 低い呻き声を上げながら胸を押さえ膝を折るエドガーを、セッツァーは彼の腕を掴んで支える。
 自我を手放しそうなエドガーであったが、濃紺の瞳は光を失いつつも、しっかりとセッツァーを写していた。
 エドガーはセッツァーに掴まれていた腕に手をかけて、いつもの口癖、“大丈夫だよ”と呟く。


 セリスは白いファルコンを目にした刹那、マッシュを乗せたチョコボが急速に南下するのをみかける。
 拭え切れない胸騒ぎがセリスの心を気持ち悪くさせた。
 ファルコンに乗り込んだセリスは、真っ直ぐ機械室へ足を向ける。冷たい雪でさらに白くさせたセリスの頬は扉をあけた途端、赤く染まる。
 纏わり付くような、ぼんやりとした光。膠着する意識の坩堝。
「あなた達!!」
 エドガーの後れ毛がしっとり項に絡みつき、肌蹴た白い胸板が見える。セッツァーが、そんな彼に重なるように抱いていた。
 ニケアに経つ前に、マッシュと中庭から見た彼らを思い出すセリス。恋人たち。
 今、目にした二人の姿を理解するのには、セリスにとって時間が必要であった。
「何やってるの! ふ…不潔だわ」
 セリスは思いよりも先に言葉を吐いた。
「あなたたち、おかしいわよ…男同士で…」
 セッツァーの紫紺が赫怒した。
「不潔だと?! 本気(マジ)で好きになった相手が男だっただけだ。俺もエドガーもお前が想像するような趣味はねぇ!」
 セッツァーはエドガーの腕を放しセリスに向かった。
「私には……わからない……」
「あぁ、そうだろうな! お前みたいな女にはわからねぇだろな。理解してもらおうとも思わねぇ」
 セッツァーに肩を掴まれたセリスは咄嗟に一歩足を引いた。
「だがな! 二度と俺たちの前で言うな! 仲間だろうが、容赦しねぇ!」
「セッツ…もうやめるんだ。セリスは、仲間だ。彼女にそんな事を言うのは止してくれ」
 エドガーは徐に立ち上がり、衣服を整えた。セッツァーを一瞥したのち、セリスの元へ行き、少し距離を置いて向きあう。
「積荷の燃料は昼までには届くんだね」
 ええ、と短くセリスは俯いた。
「セッツ。足りない部品、マッシュが置いていってくれたようだ。今日の夕方にはこのファルコンを空へ戻せそうだね」
 エドガーは努めて冷静を装う。
「城には戻らないの? マッシュは城に戻ったかもしれないわ」
「城には、戻っていない。マッシュは私から……消えた」
「消えた?!」
 セリスとセッツァーは怪訝な表情をエドガーに向けた。
「今は、マッシュを追っても無駄だ。仲間を探しに行こう!」
 セッツァーにも感じた。エドガーからマッシュの気配が消えたことを。
「わかった。で、何処へ行くんだ?」
 セリスは小さな溜め息を吐いた。エドガーとセッツァーについて理解はできないが、以前にも増して彼らの意思の繋がりを感じた。その感覚を受け止めて気を取り直す。
「モブリズだ」
「モブリズ? ティナは、モブリズの子供たちに必要とされ、戦争孤児を助けるために、戦う意思を失ってしまったわ」
「セリスと、マッシュが訪れた時は、そうだっただろう…。
 戦争孤児か。それは、モブリズだけではない。世界各国に大勢いるんだ。
 ティナは、それに気付いたんだ。いや、彼女は目覚めた! だから“私”を呼んでいる」
「呼んでいる? 何でそう思うの?」
 セリスには、エドガーの言っていることがさっぱり判らない。だが、エドガーの強く光る蒼い瞳を見ると彼の言っている事が真だと思う。
「因縁…かな。彼女に話を聞きにいきたい」
「エドガーのカンを信じようぜ? ファルコンをモブリズへ飛ばす」
「因縁か…。私も、そういうものに導かれるのだろうか?」
「そんな、ところじゃねぇか。ロックを探していることがな」
 セリスはセッツァーに向けて眉を顰め嫌悪を表した。
「セリス」
 エドガーはセリスの肩にそっと手を置いた。
「人にはそれぞれ戦うための理由が必要なのだ」
「わかったわ! とにかく、仲間を集めることね!」
 セリスは、エドガーの手を薙ぎ払うように背を向け、頷いた。
「じゃ、決まりだね」
「こんな雪空に再びファルコンを飛ばせるのは、気が晴れないけどな」


「ケフカさまー! エドガー達が再び動き出しましたよー」
「フィガロも潰しちゃいましょーよ」 
 人の心を亡くしてしまった異形の者。ケフカの周りを囲む僕(しもべ)たちの声が、がれきの塔に鳴り響く。
「潰せ、フィガロを」
「潰せ! フィガロを!!」
 大合唱となる。
「うるさい! うるさい!! うるさーーーい! 僕ちゃんに逆らうヤツは、死んじまえ!」
 ケフカは薙ぎ払うように片手一振りで周囲のものを焼いた。舞い上がる灰が風に流される。不協和音の合唱は瞬時に鳴り止んだ。
「道化もたいがいにしたいな」
「道化……?」
 マッシュの蒼い瞳は光を失っていた。
「エドガー……。ここに来る前に壊してやろうか? なぁ、マッシュ」
「そうですね」
「はははーーー!」
 ケフカの高笑いが、がれきの塔を揺るがす。
「愚かなことだ。誰かを愛することは、誰かを傷つけることにもなり得る。貴方はそれを繰り返したいのですか?」



誰かを傷つけても
愛さずにはいられない
それは貴方が望む世界?


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