KREUTZER



〜Fuenfzehn〜

 雪を降らせ続ける鈍色の空にも夜明けは訪れる。
 マッシュとセリスを見送ったエドガーは、ファルコンの整備を手伝うと言ったが、セッツァーは一人でファルコンに向かった。
 エドガーは大臣に託した仕事を手伝った。
「陛下。少しはお休みください」
 すぐに旅立つ予定が先に延びてしまったエドガーは、何かに没頭せずにはいられない。身体を休めようとしても、彼に深い眠りは訪れなかった。
「マッシュとセリスが急ぎニケアに向かい、セッツァーはファルコンが一日でも早く空を飛べるために整備している。他の仲間の安否もわからず。
 それに…私達だけではない。フィガロも、他国も、世界中の人々が、不安で眠れぬ夜を過ごしているだろう……。
 こんな時に、私一人、ゆっくり休むなんて出来ないよ」
「しかしながら陛下。ご自身がお倒れになっては…」
「わかっているよ、じいや。これを片付けたら少し休むから、心配しないで皆も休んでおくれ」
 と言って、エドガーは執務室から、大臣や秘書官たちを下がらせ、半時ほどで仕事を片付けた。
 外は変らず、穢れのない雪が舞い続けている。ゆったりと動いているかのように錯覚してしまいそうな光景。だが、その美麗な雪が確実に愛するものを奪い去ろうとしていた。
 沈黙の大地に降り続ける白い雪が、エドガーの心を掻き乱す。
 エドガーは、心の奥を閉ざし、"それ"に溺れることに恐れをなした。
 理想と違う自分と生きていくのには、慣れているフィガロ王であった。




 備えてあった部品は僅かで、取り替えるのに一日もかからない。早々に作業を終えたセッツァーだったが、何もせず二晩ファルコンで過ごしていた。
 永遠にスピードで抜けることのないライバル、ダリルが握っていた梶に背を預け、冷たい雪の中にいた。
「なぁ、ダリル。俺……。
 俺が、空と、ギャンブル、ライバルのお前以上に、興味を持ったヤツが現れたなんて、信じるか?」
 咲ったセッツァーは、冷たい梶を左頬で軽く撫でた。
「アンタは莫迦だよ! って言いそうだな」
 瞼を閉じると、夢に羽ばたき続けるダリルが浮かぶ。
「わかってるぜ、ダリル! 俺は何を恐れているんだろうな……。あんた何処かで、こんな俺を嗤っているんだろうなぁ…」
 穢れのない雪が銀の髪と疵を浄化してくれればいいと思うセッツァー。愛するものが壊れようとも、止められない。"それ"を抑えることなど出来ない。
 理想と違う自分と生きていくのには、耐え難い自由の男であった。




 身体は疲れきっているのに眠りが訪れず、心休まることのない夜。
 エドガーは隣室に控えている殿居人に気付かれぬよう、隠し通路から王子だった頃の部屋へと抜け出した。
 そこは国王の寝室とは違い、落ち着ける場所である。私室と寝室が隣り合わせの小さな部屋だ。エドガーにとって、王子の部屋は、今よりも少しの自由があった。
 代々王家に忠誠を培ってきた僅かな側近しか知らない隠し通路は入り組んでいる。その通路を知る者は、今では弟マッシュ、大臣、神官長、騎士のキューイ大佐だけである。それだけに、エドガーにとっては、唯一心安らげる空間であった。
 大臣か、大佐のはからいであろう。部屋は明るく、暖炉では樺色の炎がパチパチと音をたてている。
 エドガーは暖炉の前の長椅子に背を預け、心地よい音をたて揺れている炎を眺めながら、自然に眠りが訪れるのを待っていた。
 軽く目を閉じた裏側に漆黒の闇が訪れた頃、脳裏に浮かんできた入り乱れる幻影と現実の
狭間に迷い込む。
 何が現実で、過去で未来で。それとも全てが幻なのか。


 銀の長い髪がゆるやかに、時には激しく揺れていた。旋律に身を委ねている"彼"に魅かれ自分の音を重ねる。
 銀と金が縺れ合い、白い肌が重なり合う。熱い吐息が互いを焦がし、朧な異世界で自我を失い絡み合う。心と身体を明け渡し、温もりを分かち合う。
 見えない扉の向こうでは、大きな鎌を持った"誰か"が激しく扉を叩こうとしていたのも知らずに、二人は蕩けあっていた。




「エドガーさま」
 大佐の声にエドガーは現実に戻る。
「アラン……か」
 扉近くに頭を垂れて控えている騎士の姿に驚くこともなく、何事か? と訊ねる。
「申し訳ございません。何度かノックしましたがお返事がなかったもので」
「構わないよ。それより、どうしたのだ?」
「はい。ギャッビアーニさまが、お戻りになりました」
 暖炉の上で、朱雀を象った銀の振り子が規則正しく動く。エドガーお気に入りの時計は、午前2時を過ぎていた。
「通してくれ……。ここへ」
 エドガーにとって、確かな信頼関係にある騎士キューイには、多く言葉はいらない。
他人を招くことのない部屋の一つである、この部屋に通される者は、王にとって特別の人だ。大佐は軽く頭を垂れセッツァーを通した。




 銀の髪と黒い外套の肩に、溶けかけた雪を載せてきたセッツァーを、エドガーは穏やかな笑みで迎えた。
 濡れた人を招いた白い指先は先程、自身が横たわっていた長椅子に向ける。
「どうしたんだい? こんな夜更けに。夜が明けてから……」
「エドガー!」
 セッツァーはエドガーの言葉を遮って、両肩をやや乱暴に掴んだ。
「会いたかったんだ。今すぐに!」
 今にも泣き出しそうなセッツァーに驚いたエドガーは、何度か眼をしばたたかせた。
「好きなんだ!」
 咄嗟に一歩下がったエドガーは気迫のセッツァーに気圧され、長椅子に打ち付けられる。
 セッツァーは潤んだ紫紺の瞳で見下ろした。
 あまりにも真摯な瞳を投げかけられたエドガーは言葉を亡くす。全ての音が深い雪に呑み込まれたかのように静まり返り、二人には互いの吐息と鼓動だけが響いた。
 疵のある白い中指が桜色の唇を撫でる。微かにそれは震えている。
 濃紺の瞳孔が開いた。
 懐かしい何かに引き寄せられるかのように動いたのに身体は静止した。


その瞳の奥で、


 エドガーは静かな湖面に身を任せていた。広がる金の糸は微風に靡き水面(みなも)で蠢く。温もりが彼を愛撫し、流れる金糸に銀糸が縺れ合う。
 優しさと深い安堵に溺れながら、それが懐かしい記憶と感じる。だが、どこからともなく押し寄せてくる不安の波に怯えていた。


「セッツ…! 何をするのだ!?」
 いつの間にか疵のある指が夜着の紐に絡んでいた。
 ゆっくりと顔を上げたセッツァーは僅かに眉を顰めた。
「セッツ、手を離せ! 私は……男だ! やめろ!!」
 漣を立てたエドガーの紺碧にセッツァーの紫紺は光を失った。
「男だから? それがどうかしたのかよ? 俺はエドガー、お前だから好きなんだぜ」
"お前だから"という言葉がエドガーの脳を叩いた。何度も聞いたはずのその言葉。
「誰かを想うことに男も女もねぇぜ……」
「セッツ! 私……は…」
 エドガーは頬にかかる銀の髪に触れようと手を上げた。その指は逡巡する心を顕すかのように震えている。
 壊してしまいそうなほどに力強くエドガーの手を握るセッツァー。
「エドガー……」
 セッツァーは溢れる雫を見せまいと俯きエドガーの頬に垂れている自身の髪を引き寄せ、愚かしい顔を隠した。
「墓での……。……が……温かく……てよ……」
 聞き取れないほどに途切れ途切れに呟くセッツァーの声は優しい音色。
「やっと……お前も、思い出してくれたのかと……」
 セッツァーが掴んでいたエドガーの震えた手は止まった。開こうとした唇が塞がれた。とても軟らかいのに触れた部分は焦がしてしまうほど熱い。次第に鼓動が高鳴り、その音がセッツァーの胸に届く。紫の瞳に戸惑いと狼狽に揺れる蒼い瞳が映った。
 やがて夜着の紐に絡ませていたセッツァーの指は離れ、金の波を掬った。
「エドガー」
 エドガーの唇を塞いでいたセッツァーのそれは、指間に流れる金糸に触れた。
 セッツァーはエドガーから離れ、彼を見下ろした。
「俺は、ずっと前からお前だけを愛してきた。それは、今も変らない。
 だが……お前は……」


――何に怯えているのだ?――


 暖炉からの揺れるまばらな灯りの中で、白く浮かぶ端正な顔から流れ出でるように広がった金の髪と、枯れぬことを知らぬ蒼いオアシスがセッツァーを捉えて離さなかった。




「黒い海には慣れたけど、やけに静かね」
 ニケアからサウスフィガロへ航海中の甲板から見下ろした漆黒の波に、明るい兆しを見つけられない、マッシュとセリスがいた。
「気まぐれに町や村を焼き尽くしていたケフカの行動も止まったようだな。かえって不気味だ」
「そうね。でも、この静かな時に早く仲間を見つけなければね」
「ロックのことが心配か?」
 セリスはかっと紅くなった頬を隠すように俯き、首を左右に振った。
「ロックだけでなく、皆のことが心配よ」
「そうだな……」
 といったマッシュはセリスの仕草を微笑ましく思った。
「だが……誰かのことを想うと、変るもんだな」
「マッシュ?」
 マッシュでも気付くほどにセリスは判りやすい。彼女はロックと出会って変った。そして崩壊と別れを経て強く美しく成長した。
 マッシュはそんなセリスにどことなく羨望を抱いた。先の希望を見出せないでいたからだ。


 この世に生まれ出でたとき、対となってわかちあった生命(いのち)なのに、あまりにも違った二人。
 生まれつき身体の弱かった彼に家族は優しかった。そして常に傍らには同じ日に生まれた彼がいた。いつしかそれが当たり前のようになっていた。
 だが、彼が自分から離れて行く。そんなことは夢にも思わなかったのに。


「大事な人。その大切な人のために戦う……か」
「マッシュ……」


――俺には……あなただけだった……――


 静寂は今のエドガーにとって耐え難い不安である。時折、暖炉で弾ける薪の音が現実へと引き戻してくれる。
 エドガーはピアノの前に座っているが鍵盤に触れようとはしない。背中を丸め、閉じたままの蓋に頬を預け揺れる炎をぼんやりと眺めていた。
 セッツァーに触れられた肌がまだ熱い。軟らかい唇と温もり。菫色の瞳が捉えて離さない。
「セッツァー……」


――私は……何に怯えているのだろう――


 バイオリンの音。あの曲の旋律がエドガーの心に届く。
 懐かしくせつなく。
 そして激しい想いを抱いて奏でる音。飽くなき渇望で求められ求める。絡み合った時空(とき)から離れなられない。
 弓が弦を撫でるたびに銀の髪が揺れる。
 雪の中で佇み、バイオリンを弾くセッツァーの姿が夢でないことを教えてくれる。
「セッツ……」


――私は夢から覚めた。終わらない扉を
 また……開いてしまったのだ。
 すべてが壊れてしまっても、この想いは消せない。
 だから……瞬間(いま)だけに生きたい。あなただけを感じたい――



もう許してください
愛することは
罪なのですか?


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