KREUTZER



〜Dreizehn〜

「何故、逃げない?」
 まだ互いの温もりを感じるほどに触れ合っている薄い皮膚に振動を感じたエドガーは、ようやく黴臭い空気を呑んだ。
「セッツ……それは愚問だ」
 エドガーの意外な発言にセッツァーは瞠目した。
 類無い笑顔と甘い声で女性を口説くエドガーは、女好きの若き美しいフィガロ王と世界を駆ける者の間では有名だ。セッツァーも然り。
 ブラックジャックに強引に乗り込んできたその日、エドガーは自分専用の部屋を用意して欲しいと言った。むさ苦しい男と同じ部屋では鳥肌が立つと。血を分けた双子の弟でもだ。
 旅を続け仲間が増え、部屋を空けたエドガーはセッツァーの部屋へ移ったが、パーテーションを置いて同室の男の存在を遮断した。
 だが今、灯火が消えた暗い墓でエドガーはセッツァーが与えてきた温もりを拒止しなかった。
「わからないんだ。ただ……」
 エドガーの長い睫毛が伏せられたのがわかるほどに暗闇に慣れてきたセッツァーの瞳孔が僅かに開いた。
「懐かしいような……。ずっと……いや…」
 セッツァーの問いに愚問と返したのは彼自身に言ったものでもあった。何故拒まなかったのかわからないどころか、理由もわからず心穏やかでない自分を恥じた。
 エドガーは大きく息を吸った。そして胸を撞く早鐘を悟られまいと低い穏やかな声でセッツァーを促した。
「セッツ、行こう」
 セッツァーは短く返事をして踵を返した。二人は一定の距離を置いて下っていった。
 石の階段に二人の爪先と踵の音が響き、追いかけるように衣擦れの音が重なり合う。
 沈黙がファルコンへの入り口を遠ざけているかのように階段の終わりが見えない。光のない軌道は、まるで彼らの未来に暗影を投げかけているようだ。
 やがて目の前に現れた壁の前で二人は立ち止った。
「着いたぜ」
 セッツァーはコートの内ポケットから何やらを取り出して屈む。
「確かこの辺に」
「何をしているんだい?」
 小さな落し物を探すかのように地面に這い蹲るセッツァー。
「おっと、悪ぃ。そこどいてくれ」
 エドガーは弾かれたように後ろへ下がった。
 セッツァーは石版を外し、小さな穴に右手を入れる。カチリと音がすると、エドガーはそれが扉を開ける鍵だったと知る。
 大きな壁――石の扉は轟音をたてて開いた。
「目を伏せろよ」
 セッツァーの忠告はもとより、エドガーは目の前の閃光にきつく瞼を閉じ右手を翳す。
「暗闇に慣れた目に突然の光はきついからな。ゆっくりと目を開けるんだな」
 言われたとおりに目を開けたエドガーは小さな驚きの声を発した。
「ファルコンの中心部、エンジンルームだ」
 暗闇から一転して自家発電により煌々と照らされた機械室。
 だがセッツァーは肩を落として忙しなく奥へ進み、大掛かりな機械を数箇所点検した。
「まいったな。このキーで扉を開けたと同時にエンジンを起動させるようにしてあったのにな」
 エドガーの柳眉が微かに動いた。整った眉間に深い皺が寄る。
「セッツ、ここのバイパスに亀裂が…他にも……」
「そのようだな。アイツが世界をメチャクチャにしたからな」
 エンジンを稼動するエネルギーは石炭による蒸気が主だったが、少し技術が進んで地熱による発電も利用していたファルコン。だが、ケフカによって星が壊滅寸前にある。全ての地上は凍りつき、地中も凍りついてしまうまであと僅かだ。
「世界最速のファルコンが燃料を搭載せねばならないとはな……チッキショー! あの野郎、許せねぇ」
 セッツァーは怒りを露にした。
「エドガー! 俺にもアイツを倒すために再び旅をする理由ができたぜ!!」
「セッツ」
 紫紺の瞳が揺れ動く。ブラックジャックで大海原を駆け巡っていた嘗てのセッツァーのように。
「もう随分とメンテナンスしてなかったからな。ひとまず、ここを修理してエンジン起動させて地上へ。ファルコンを起こしてやらねぇと先へ進めねぇ!」
「私も手伝うよ」
 セッツァーの覇気のある声にエドガーもつられたように声高になる。
「確か替えの部品があったはずだ。それ取ってくるから、そいつを外しておいてくれ」
「了解」
 セッツァーは機械室を出ようとして思い出したように踵を返す。
「エドガー……」
「どうしたんだい?」
「手……汚しちまうな」
「こんなこともあろうかと、持ってきておいたんだ」
 エドガーはポケットからビニールの手袋を出した。
「さすがだな。抜かりないの王様だぜ」




「遅いな。もう15分どころか半時間くらい経ってそうだな。兄貴、大丈夫だろうか?」
「墓というくらいだから、随分とメンテナンスなどはしていなかったでしょうね。
 だとしたらすぐにはエンジンを起動できないと思うわ」
「そうだな」
 だがマッシュは左の胸の上で拳を握って項垂れる。
「マッシュ?」
 返事が無い。セリスはもう一度声をかける。
 顔を上げたマッシュの瞳がコーリンゲンへ向かった時のように曇っていた。
「マッシュ……」
 それでもマッシュは弱々しく微笑んだ。
「大丈夫だ。何でもないよ」
 セリスは金の睫毛を伏せて薄暗い石畳に視線を落とした。
 マッシュは崩壊後、度々漠然とした不安に苛まれる。根拠のない不安をセリスに言ったところで無駄だ。
 セリスはコーリンゲンに向かう途中で見たマッシュの笑顔を無くした表情に懸念した。そして再び光を失っている瞳にも。だが、それを訊ねたところで答えが返ってくるとは思わない。
 マッシュの手に持つ燭台の炎が小さく上下に揺らぐ。燃え尽きるまでそう遠くない。
 二人は再び沈黙したままエンジンの起動を待った。




「待たせたな」
 エドガーは取り外した部品の前を離れて、ファルコンの機械室を見渡していたようだ。
 振り返ったエドガーは、セッツァーに近寄ると、ポケットから出した手袋を手渡した。セッツァーは素直に受け取る。
 慣れた手つきで手袋を装着し、部品と道具を手にしたセッツァーは修理に取り掛かった。
「ブラックジャックに比べて随分とシンプルなんだね」
「あぁ。こっちがオリジナルだからな。それにシンプルでなきゃスピードでねぇしな」
 機械を弄るセッツァーの巧みな手つきに、エドガーは目を離せないでいた。
「セッツ……。ファルコンの話を聞かせてくれないか? 世界で一番近くに星空を見たいと言った人の」
 セッツァーは振り返ってエドガーを凝視した。
「ダリルってやつの船だ」
 再びエドガーに背中を向けて作業を続ける。
「どんな奴にも興味を示さなかったこの俺に初めて興味を抱かせたヤツだ。
 いつも俺の前を飛んでいた。雲を抜け、世界で一番近くに星空を見る女になるんだってな。だが、危険なテスト飛行に出たまま、それっきり戻ってきやしなかった」
 セッツァーは道具を置いて手袋を外した。
「応急処置だな。さて、動くかな」
 レバーを手前に引くと修理したところの機械が動き出した。
「何とかこれで墓からは出れそうだな」
 二人はデッキに向かう。
 舵楼には大きな蜘蛛の巣が張ってあった。セッツァーは深い溜め息をついた。ポケットからハンカチーフを取り出して、丁寧に舵を拭く。
「俺がこの舵を握ることになろうとはな……」
 エドガーは頬に冷たい雫を感じ取り、天井を見上げた。墨染めの空と白い雪。再びファルコンが目覚めたというのに上空には青い空がない。
「こいつをいただくのは、スピードで勝った時だと決めていたのに。永遠のライバルになっちまったぜ、もう二度とアイツを追い越すことができやしねぇ」
「セッツ……。すまない」
 エドガーは頭を垂れる。
「おいおい、よせよ。わがままな王様に頭を下げられると恐縮するぜ」
 セッツァーの手が肩に触れたエドガーは微かに怯えたように背中を震わせて顔を上げた。
「何故……?」
 今度はセッツァーが何故と問われて返答に困る。
「できればファルコンを目覚めさせてたくなかったんだろう?」
「ああ、できれば……な」
「なら!」
「何故ってな、お前こそ、その問いは愚問だ。俺にはちゃんと理由があるぜ」
 セッツァーはエドガーの紺碧を覗き込み、自嘲するかのようにふっと笑った。
 エドガーは怪訝と不安の入り混じった視線を投げかける。
「お前が泣いていたからだ」
「なッ! セッツ!」
 エドガーの白い頬が紅に染まった。
「出会った頃、お前は国の民と弟だけが大事だと言っていた。それがケフカに荒らされて。国と弟の為なら自己犠牲を何とも思わない、そんなお前に、あんな悲しい顔をして欲しくなかった」
「セッツ……。見苦しいところを見せてしまったようだね」
「それだけではない。俺はお前を…」


――狂おしいほどにお前を……――


 セッツァーの声がエドガーの脳裏で繰り返し鳴った。全身が心臓と化したかのように体内で血が燃え滾る。
「セッツ……」
 呼吸を整えようとするエドガーにセッツァーは遠い目を向けた。
「兄貴!!」
 マッシュとセリスが舵楼の下で息を切らせて到着を知らせた。
「早いな。さすが身体能力抜群のお二人さんだぜ。
 燃料も少ないから一気に地上へ出る。しっかりつかまっていろよ」
 ふわと浮き上がったファルコンはあっという間に加速して上昇した。
「ファルコンの目覚めには相応しくない鈍色の空だな。気分が滅入るぜ」
「ひとまず城に戻ろう」




「焦る気持はわかるけどな」
 食事をとり、冷え切った体が温まった頃、エドガーの部屋でそれぞれ飲み物を片手に今後について話し合う。
「もう随分と長い間眠ってたんだ。あちこちガタがきていて使いものになんねぇから、整備が必要だ」
「で、その整備って、どのくらいかかるんだ?」
 マッシュはエドガーのように機械の知識に長けていない。
「まず、部品と燃料が必要だ。予備の部品だけでは足りない」
「ニケアに行けば燃料と部品は、補充できそうなの?」
「多分な。完全な整備でなくとも、ニケアまで飛行できるくらいに修復できれば何とかなるだろう」
「わかったわ。マッシュ、早朝ニケアに発ちましょう」
「そうしてもらうしかねぇな」
 セッツァーはワインを口に含みながら、先程から一言も喋ろうとしないエドガーに視線をやる。
「ニケアとフィガロの往復には十日ほどか」
「一往復では足りない。こんな時だから、積荷を制限されるだろう」
 マッシュは小さく舌打ちした。
「二往復となると、二、三週間はかかるな」
「マッシュ仕方がないわ。セッツァー早朝までに部品のリスト頼むわ」
「兄貴?」
 言葉少ない兄にマッシュも気付く。
「大丈夫か? 少し休んだ方が」
「大丈夫だよ。マッシュこそ、それにセリスも。明日から、また長旅だ。少しは体を休めた方がいい」
「人の心配ばかりしやがって。お前もだ、エドガー。ここ数日まともに寝てねぇーだろ」
 エドガーとマッシュは幼少の頃から自身の心配をされるのが苦手だった。ほんの少し夜更かしして目の下に隈をつくっただけでも、喉に痰が絡んで咳をしただけでも、周りの大人は大袈裟に心配する。マッシュは幼少の頃体が弱かった故に、兄と普通に遊ぶことも禁止される時期が多々あった。
 エドガーは必要以上に気に掛けられる事を厭悪した。そしていつの頃からか『大丈夫だよ』が口癖になっていた。
 だが、今日のエドガーは素直に応じる。
「そうだね。すぐに旅に出られると思っていたから、執務はほぼ済ませておいたので、今日は私もゆっくり休ませてもらうよ」
「兄貴」
 マッシュは安堵と混沌が入り混じったような蒼い瞳が僅かに揺れ動く。
「時間はかかりそうだけど、少しは先が見えてきたな」
 エドガーは深く頷く。
「では、明朝に」
 と言ったエドガーは珍しく先陣を切って部屋を後にした。続いて三人も各々の部屋へと向かった。




「ケフカさま! たーいーくーつーです!!」
「ケフカさま! そろそろ国を潰さないのですか?」
 人を人として思わない、人の煩悩が頭脳を焼き尽くして異形と化し、人の形を失ってしまった、“元”人だった者たちの悲しき物体がケフカの周辺を囲んでいる。
「うるさい、うるさい!! 下賎で醜い下僕のクセに。この僕ちゃんに指図しようとは、カスのカス以下のカスだ!!」
 ケフカの喚き声で一斉にざわめきが止んだ。
「ま、もう少し経ったら、退屈しない事しますよ!」
 ケフカは突然、号泣するかのように笑殺する。
「別にこの星を滅ぼそうってわけではないのです、貴方は聞いていますね? いえ、滅ぼそうとしても無関心なのですか? まあいい、私の好きにしますよ」




 眠れないのはいつもの事だ。エドガーは目を閉じて自然に眠れるのを待つことに苦痛はない。
 だが今宵眠りに就けないのは、セッツァーの声が脳裏に焼きついて離れないからだ。
 あの日ナルシェで深酒に溺れていたセッツァーの言葉がエドガーを悩ませる。


――どうしたんだろう この感覚……。
 そうだ、子供の頃に父上の従姉妹と会ったときと少し似ている?
 いや……それよりもずっと以前にもあったような……――


「思い出させて欲しい、君のおと)を……」



懐かしい温もりに
懐かしい響に
もう一つのココロの弦が弾かれた

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