KREUTZER



〜Zwoelf〜

 世界中が混乱に陥っている戦乱の最中でも必ず静謐な場所がある。そこは望まなくとも、一つ扉を閉じれば外界の喧騒は遠く、別世界で起こっている出来事と錯覚してしまうほどだ。フィガロ城内にもいくつかはそんな部屋がある。
 コーリンゲンから戻ってきた三人は、王のダイニングルームで主不在のまま三日目の夜を迎えた。
 セリスとマッシュは運ばれてきた温かい料理を静々と口に運んでいる。
 セッツァーは空いている隣の椅子にだらしなく足を投げ出し、背もたれに片腕を掛けてワインを飲んでいる。料理には殆ど手を付けず、中央にあるフルーツから葡萄を一房取って自分の皿に置き、瑞々しい一粒を器用に人差し指と中指を使って転がしていた。ワインを飲み干してしまうと、クリスタルを爪で弾く音が響く。デキャンターを抱えていた給仕が即座に彼のグラスに注ぐ。
 銀の食器が触れ合う音。セッツァーが弄んでいる葡萄の一粒がテーブルに軽く投げつけられる音。空になったグラスが爪で弾かれる音。給仕が動いたときの衣擦れの音。大きめの食卓を囲む会話のない三人には、普段なら気付かないような音も敏感に耳に入った。
「なぁ、セッツァー。葡萄で遊ぶのやめろよ。それに少しは喰えよ。ワインばっか飲んでないで」
 マッシュはいくら何でも行儀の悪いセッツァーが少し目障りに思えた。
 セッツァーの紫水晶はマッシュの深い蒼の視線と交差した。その鋭い瞳にマッシュは気圧されたかのように視線を逸らせた。
「大臣か、神官長は知っているのか?」
 セッツァーは今夜もエドガーが姿を見せていないことに詰め寄る。
「いや、知らないようだ。はっきりとは。だが……おそらく兄貴はキューイ大佐と忍びでサウスフィガロの偵察に行ったのだと思う」
 キューイ大佐とは国王陛下御付の近衛連隊長のことだ。セッツァーも何度か見かけたことはあった。
「アイツ……目腫らしていたよな」
 ナイフとフォークを持つマッシュの手が止まる。三日前に見たエドガーのパールグレーには幾筋もの細い血管が浮かび上がり、ほんのり赤く滲んでいた。
「兄貴は……人前では決して泣かない。あの人は悲しくとも、辛くとも悔しくとも涙を見せることはないだろう。
 だが、一度だけ目を真っ赤に腫らした兄貴を見たことがあった。涙を見せまいと堪えて赤くなった目だ」
 それは親父の最期の時だった。とマッシュは呟くように言って項垂れた。
 セリスの柳眉が微かに歪んだ。ここにいる三人はエドガーでなくとも、人前で無闇に涙を見せたりはしないだろう。それだけに涙を堪える意味が痛いほどに解る。
 セッツァーは国と民と弟だけが大事だと言った、出会った頃のエドガーを思い出した。
「俺はいつも力になってやれない…。子供の時と何も変ってないや。兄貴は全部一人で抱え込んでしまって……」
「マッシュ、エドガーはあなたをとても大事に思っているわ……だから」
「大事にか……血を分けた兄弟だからな……」
「身寄りのない私には、羨ましいほどよ」
 帝国の魔導研究所で育ったセリスは天涯孤独の少女だった。
「俺は……兄貴がいるだけで幸せだよな」
 薄い金の長い睫毛を伏せてふわりと笑みを浮かべたマッシュはセリスを見上げた。
「とにかく急がなければ。フィガロだけでなく、世界中が……」
「涙だけならともかく、多数の血が流れるな」
 とセッツァーは突然立ち上がって部屋を後にした。




 世界が崩壊してから空は光を失った
 エドガーは手を止めて肩越しに窓の外を見る。漆黒に舞う灰色の雪。砂漠の大地で育った彼には美麗にも映える雪。だが髪や頬を濡らした雫を冷たいと感じ、赤土の地を真っ白に変えたそれは残酷な美しさだった。
「陛下?」
 音をたてずに眼鏡を外したつもりだったが大臣が気付く。
「すっかり遅くなってしまったね」
 時を示す針は日付が変って少し経ったところだ。
「マッシュ達は?」
「陛下のお帰りを待たれていましたが、今日はもうお休みになられたかと」
 エドガーは軽く頷いて纏めた書類の束を大臣に手渡した。
「あとは頼んだよ」
「陛下、やはり発たれるのですか?」
「もう我が国だけの問題ではないからね」
 年老いた大臣は眉間に深い皺を刻み、白い眉を顰めた。
「私もマッシュもこの城でただ祈るだけなんて出来ないのをわかってくれるよね、じい。いつまでも心労をかけてすまない」
「滅相もございません、陛下……」
 ご無事で帰ってきて欲しいとの言葉が込み上げてくる感情に掻き消されて息を呑む大臣。
「陛下、私のお供は許して頂けるのでしょうか?」
 長身で程よく鍛えられた体躯を持つキューイ大佐は跪き穏やかに“伺い”ではなく“懇願”した。彼はエドガーとマッシュが生まれた時から付き人として主の命を守るためにあった。マッシュが城を出てからの十年は国王の命を守ると同時に王の片腕として働く騎士でもある。
「アラン、悪いが今度の旅もお前を連れては行けない。お前が城に残らねば誰が皆を守る? 浮上できなくなった城内の死傷者を少数に留めたのはお前だろう。大臣の補佐をしっかり頼むよ」
 大佐は深く頭を垂れて主の頼みを肝に銘じた。
「私もマッシュも必ず帰ってくる。どんなことがあってもね!!」




 寂寥たる雪に包まれた世界が全ての音を消し去ったかのように思われる。揺らめく樺色の炎は時折色を変えながら燃え続く。
 広い客室でぼんやりと暖炉の火を眺めていたセッツァーはドアが叩かれた音に気付き立ち上がった。扉に向かう自身の足音だけが耳に届いた。
 開いた重いドアの向こうは薄暗くエドガーの白い顔が強調されて浮かび上がっていた。
「眠れなくて」
 静境の廊下で溶け込んだエドガーの声は何とも温かくセッツァーの冷えきった吐息は霧散した。
「ごめん、寝ていた?」
 シルクのローブだけを纏ったセッツァー。
「俺がこんな時間に寝ているわけねーだろ」
「良かった。こんな真夜中に起きているのは君だけだと思った」
 エドガーは薄手のシャツの上にウールの長いストールを肩に掛けていた。客室のある西の塔は本館と繋がっていない。肩に溶けかけた雪があった。
「風邪引くぞ。入れよ」
 セッツァーはエドガーを暖炉の前のソファーに案内した。
「こんな時に酒盛りは不謹慎かもしれないけれど、再会を祝して」
 エドガーはワインのボトルを差し出した。
「俺はずっと酒びたりだったがな」
 セッツァーはキャビネットからグラスを持ってきて、エドガーが開けたワインを注いだ。
「一年経ったとは思えないね」
「あぁ……。色々あったからかな」
 二人は暫時沈黙の後、「君は」「お前は」と声が被った。
 エドガーは肩を竦めて笑った。セッツァーにはエドガーの仕草一つを取っても胸の鼓動が響いた。
「私はニケア近郊で意識を取り戻した。随分長い間、意識がなく昏睡状態だったようでね」
 とエドガーが最初に空白の一年を語ることとなった。
「城を浮上させた後、この砂漠までも覆い尽くした雪に、改めて現実を目の当たりにしたよ」
 エドガーの紺碧に山吹色の炎がたゆたう。セッツァーは長い金の睫毛と憂いの瞳から目が離せない。そして何かを思案するかのように不意に前髪から後ろへ手櫛を入れた。
「セッツは?」
「俺は情けねぇけど、打ち所が悪かったのか何ヶ月か記憶がなかったらしいぜ。自分が誰なのか、どこにいるのかも判らなかった。
 だが、あの曲だけを覚えていた」
「あの曲……?」
 エドガーの声は訊ねるというより囁きに近かった。
「セリスとお前が奏でた“あの曲”だ。不思議なことにブラックジャックは粉々に散ったのに、コイツだけが俺の手元に残り、記憶を取り戻した」
 セッツァーは同時に過去、、)の記憶を抉じ開けてしまった事は黙っていた。
「バイオリン」
 赤みがかった茶色のバイオリン。弾いた事がないと言っていたセッツァーはそれを大事にしていた。
「その後、広大な雪原、いや砂漠だった大地にあるだろうと思っていたフィガロ城を探したぜ」
「セッツ……」
 セッツァーの紫紺に映った炎はゆったりと揺らめいた。
「もう誰も生きてないと思った……」
「セッツ、私は死なないよ。あの状況で生きていた事は奇跡なのかもしれない。だが私は生かされたんだ」
「生かされた…俺もか?」
「そうだね。君、マッシュ、セリス、ティナ。他にも仲間は生きていると信じているよ」
 小首を傾げてエドガーは微笑んだ。その笑顔にほだされたセッツァーの表情も緩んだ。
「奇跡か何だか知らないけれども、生かされた私たちは死ぬわけにはいかない。今度こそケフカを葬って世界を取り戻さなければいけない」
 エドガーの紺碧の瞳は山吹色の光を吸い込んだかのように澄んだ。
「エドガー、今から城をあっちの大陸へ戻せるか?」
 唐突なセッツァーの問いにエドガーはお決まりのように瞳を丸くした。
「コーリンゲンの東に行きたい。いや、お前たちにも手伝って欲しい」
「そこに何かあるのか?」
「墓を暴く」




 太陽を失った空に夜明けは訪れないが、日が昇るであろう頃に四人は城を出た。
「もう一つの翼を蘇らせる」
 そう言ったセッツァーの紫紺は他人を弾いた。
 セッツァーを乗せたチョコボは真っ直ぐ西へ進んだ。エドガー、マッシュ、セリスも彼に続く。彼らの行く手を阻むかのように数時間前よりもやや強くなった風が雪を乱舞させた。だがセッツァーは迷うことなく突き進んだ。
 海が近付いた事を思わせるかのように風は更に冷たく彼らの白い肌を突き刺した。
 白装束を纏った高い木々。その中央にある緩やかな斜面は、まるで皺一つない布を被せたようだ。セッツァーはその前でチョコボから降りた。
「たいしたヤツだ。世界がひっくり返っちまったてのにビクともしちゃいねェ」
「ここは?」
 城を出てから数時間後セリスが初めて口を開いた、いやセッツァーに問うた。
 振り返ったセッツァーはセリスのアクアマリンから、フィガロ兄弟のサファイアへと視線を流した。
「空を駆ける情熱をくれた友が眠る墓だ」
「墓?!」
 マッシュの声はやや裏返る。そんな弟のがっちりとした肩に手を置いた兄エドガーの瞳は彼を黙らせる。
 誰にでも話したくない過去がある。セッツァーは三人に背を向け墓の錠を解いた。雪の塊は四方に飛び散り、地鳴りを轟かせて現れた石の扉がゆっくりと地面へ埋もれていった。黴臭い冷気が彼らの後れ毛を揺らし、肌に染み入った。
「なんてったって墓だからな。いろいろ出るかもしれないぜ。気をつけな」
 先頭を行くセッツァーは所々にある燭台に火を灯した。石の壁、石畳、高い天井。小さな部屋がいくつかあり、様々な仕掛けがあった。
 墓というより広大な建物だ。
「なぁ、兄貴。王家の墓に似ているな」
「そうだね」
「王家の墓?」
 セッツァーは振り返って二人の話に耳を貸した。
「ここよりもう少し北西にあるかな。墓というより石造りの宮殿だ。代々のフィガロ王とその家族が各部屋で眠っているんだ」
「代々ってすげぇな。フィガロ王家の歴史は何百年ってもんじゃねぇだろ」
「何度も増改築はしているからね。ただ、墓が建てられたのは今からおよそ五百年ほど前らしい」
「小さい頃、ばあやに聞かされたな」
 マッシュは軽く笑う。
「本当かどうか知らないけれど。何でも早世した双子の弟を弔って兄が建てたらしい」
「お前らみたいに仲のいい双子だったんだな」
「さぁ、どうだろうね」
 マッシュから笑顔が消えた。
「昔、王家では双子の男児は不吉と言われていたからね。どちらかが悪魔の手先になるとも言い伝えられていたようで」
「マッシュ!」
「あは、ごめん兄貴。冗談が過ぎたかな? ばあやも人が悪いよ。純真な子供の俺にそんな話を聞かせるんだもんなぁ」
 マッシュは豪快に笑い、先を急ごうとセッツァー達を促した。
 墓荒らし対策の為の給排水システムや小さなトラップを解除し、小部屋の宝などを回収しつつ難なく大広間へと辿り着いた。
 中央の祭壇に向かったセッツァーは跪く。
「“友よ安らかに”」
 セッツァーは敬意を示して石碑に掛けられている深紫色をした天鵞絨の裳裾に口付けた。
「ダリル。俺にもう一度夢を見させてくれよな」
 正面の壁に扉が浮かぶ。ゆっくりと扉は開かれ奇妙な生物が姿を現し、彼らに襲い掛かってきた。
「セッツァー、仕掛けはこれで最後か?」
 マッシュは構える。
「この四人じゃ、たいしたことねぇな」
 とセッツァーの言葉どおり立ちはだかる巨大な生物をあっけなく倒した。
「ここから地下に眠らせてあるファルコンまで約15分だ。
 エンジンが起動してから、5分間だけこのスイッチが押せる。スイッチを押したら、屋根が開いてファルコンを浮上させることができる。だが、15分経てば自動的に屋根は閉じる」
「つまり、一人じゃファルコンを浮上させることは出来ない仕掛けね」
「そういうことだ。セリス、マッシュ、ここのスイッチ頼むぜ」
 セッツァーはエドガーの背中をやや乱暴に押し、地下への扉を潜らせた。
「いいか、スイッチ押したら全速力でファルコンまで来いよ、マッシュ!」
「セッツ。スイッチは私とマッシュが!! レディを走らせるなんて……」
「レディなもんか! あんなキレーな顔して冷酷な将軍だったんだぜ。それにいざとなったら、マッシュがセリスなら抱えて走れるだろう」
 セッツァーの言ったことは尤もだった。
「そんなことより俺はお前に……。世界最速だったファルコンを誰よりも先に見せたいと思った」
「セッツ?」
「足元に気をつけろよ」
 薄暗い階段。セッツァーの手にある蝋燭だけが先の闇を少しだけ照らしている。
「いろいろと思い出すぜ」
 爪先と踵が石の階段を叩く音、外套とマントが階段を擦る音だけが響き渡る。
「もうすぐだ」
「セッツ……」
「何だ?」
 セッツァーは振り返る。見上げたエドガーのサファイアに映った炎は痩せたように細い線が消え入りそうに不安に揺らぐ。
「この先にある飛空挺は、君の……」
「世界最速のファルコンだ。ブラックジャックとは桁違いの早さだぜ。何せ、危険を冒してまで世界で一番近くに星空を見たいと言った奴の空飛ぶ船だからな」
「大切な人だったんだね。君の胸を焦がしてくれた人」
 セッツァーの紫紺から光が消えた。手にしていた蝋燭から昇った白い煙が螺旋を描いて階下へ流れ落ちる。
 一つ階段を戻ったセッツァーの足音がした。まだ暗闇に慣れない二人の瞳は近くにある。燃え尽きた蝋、銀の髪に染み付いた煙草と金の髪の甘い花の残り香、それらが重なり合って二人を取り巻く。
 セッツァーは左の冷たい指先をエドガーの頬に滑らせ、ゆっくりと移動した長い人差し指を絹のリボンに絡ませた。
 湿った空気。息を呑もうと小さく開いたエドガーの唇は温かさを感じ取った。こんなにも頬や体は冷え切っているのに重なった部分がやけに熱い。
 セッツァーの手から離れた銀の燭台が鐘のような音をたてて石の階段を転げ落ちていった。



貴方の温もりに
貴方の馨に
何度も溺れてしまう

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