KREUTZER



〜Elf〜

 一年ぶりに浮上したフィガロ城に舞い降りたのは黄金の砂煙ではなかった。悼みを知らない純白が広がる、繋がった大地。
 ここ、、)も同じ景色であった。
「陛下……」
「ばあや」
 マッシュとセリスを裏門から送り出したエドガーと神官長は、二人の姿が白い大地に溶け込むまで眺めていた。
「きれい……だね」
「陛下?」
 神官長は黒い瞳を見開いた。
「降り止まぬこの雪は、誰かの涙のようだ。
 冷たさは孤独。白銀は深い悲しみを感じる」
 主を見上げた神官長の眉間にあった皺が一層深く刻まれた。エドガーは彼女が何かを言おうとしたのを遮った。
「風邪をひいてしまいそうだね。戻ろう、レディ、、、)
 エドガーはフランセスカの小さな右肩に温かい手を置く。
「年寄りをからかうは……お止しなさい、エドガーさま」
 軽く膝を折って優雅に踵を返した神官長の背中にエドガーは微笑んだ。




 セリスとマッシュは村や町の探索に出かけた。
 北西への道のりに慣れていたチョコボ達は、すっかり地形の変ってしまった道をおぼつかない足取りで走った。
「この辺りは、海岸の潮をうけて湿った雑草が生い茂っていたところだったね」
「ああ、そうだったな」
 三人が再会できた喜びに小さな希望を抱いて城を出たが、同時に不安も大きく広がっていた。見渡す限りの純白。湿った緑など見つかりはしない。
 たった一年で変わり果てた世界。二人は現実を目の当たりにして閉口した。彼らの沈黙がチョコボの足取りを重くさせた。
 セリスは慣れない雪に疲れたチョコボを何度も宥めながら先を進んだ。だがマッシュを乗せたチョコボの足取りは一層重い。次第に城を出た頃よりも二人の距離があいていた。
「風が強くなってきたようね、急ぎましょう」
 振り返ったセリスはチョコボを止めた。
「マッシュ?」
「セリス、引き返さないか?」
 マッシュは蒼い目を逸らした。
「何故?」
「もうここも跡形もなく崩壊してしまったんだよ」
「まだ諦めるのは早い。モブリズもニケアもサウスフィガロも何とか見つけ出したじゃない」
「……ロックがいるかもしれないからか?」
「マッシュ」
 セリスは狼狽する。
「彼を見つけたいのなら付き合うよ」
「どういう意味?」
 セリスの怒気を含んだ声がマッシュの視線を動かせた。
「君にとって大事な人だろう? 俺は兄貴が無事だったからそれでいい」
「それでいいって、どういう事?! 仲間を探してケフカを倒すことが目的でしょう」
 マッシュは小さく首を振った。蒼い瞳は冷たく嘲笑しているかのように見える。
「空を飛べないのにどうやってケフカのところへ行くんだ?」
 セリスのアクアマリンが微かに翳って揺れるが、「あなたらしくないわ。どうしたの!?」と吐き出すかのような言葉は何かを払拭しようとしているかのようにも聞こえた。
「俺らしくないだと? セリスの言う、“俺”ってどういう奴なんだよ」
 セリスは何かを言いかけようとして口を閉ざした。いつも笑顔を絶やさないマッシュの、黄金の太陽のように眩しい光がどこにもなかった。
「あの日、ブラックジャックから投げ出されたのに生きていた。だが、それは奇跡だったんだ。空中での崩壊を見た君にもわかるだろう? あの状態で生きているのが奇跡だよ!」
「ええ。確かに奇跡よ」
 セリスは孤島でのことを思い出す。シドを失って北の崖から身投げしたことを。
「でも、こうやって三人再会できたじゃない。希望を持ちましょう」
「希望か……。この先には更なる絶望しかない気がしてならない」
 墨染めの厚い雲を見上げたマッシュの蒼を見たセリスは言葉をなくす。薄暗い灰色に染まったガラス玉の上に静かに踊る白い小さな粒。
「俺は、兄貴が無事だったから、それでいいんだ。
 俺には兄貴が全てだった。双子として生まれて互いが分身のように生きてきた。兄貴が死んでしまうなんて考えたこともないし、考えたくもない。
 あの人がいなくなったら俺は生きていけない。だからもうこれ以上、兄貴を危険に晒したくないんだ」
「マッシュ、あなたの言っていることは変よ!」
 セリスは声を荒立てた。
「エドガーは……。
 エドガーは国や民を守るために戦うわ。あなたが一番わかっているでしょう。 第一、ケフカを殺らなくて平和なんて有り得ない!! 目を覚ましなさいよ」
 マッシュのチョコボが弱々しい泣き声を発するとセリスのチョコボもそれに続いた。
「寒いのか。俺もだ。雪には慣れていないからな」
 大きな手でチョコボの小さな頭を撫でる。積もった雪が風に乗って流れていった。
「セリスの言うとおりだ。あの人は自分の命を犠牲にしても国や世界を守ろうとするだろうな」
「エドガーの支えになるのはあなたでしょう。守ってあげられるのは、あなたでしょう?」
「さぁ、それは……。どうかな……」
 混沌としたセリスの視線から逃れるようにマッシュは前を向いた。
「ごめん。俺らしく、、、、)……なかったな…。行こう。こいつらも腹をすかしているようだ」
 マッシュの後に続いたセリスは彼の大きな背中が薄っぺらに見えた。
 沈黙と風の音だけが流れ、辺りはすっかり暗くなっていた。二人は目も合わさず、言葉も交わさず進んだ。雪が一段と白さを増した。風に従うように、ただチョコボを走らせた。
 どちらからともなく速度を落とした二人は雪畳での野宿を決めた時、チョコボ達が甲高い鳴き声を発した。
 チョコボのつぶらな瞳に映ったのは一条の光明。マッシュ達の瞳に映ったのは痩せた灯火。それでも彼らは目的地に漸く辿り着くことができたようだ。
 小さな村コーリンゲン。
 西の風が潮の香りを運び、新緑に囲まれた穏やかな村だったが、今ではその面影が全くなかった。
 月も星もない淀んだ天空から絶間無く降り続く雪は、大地と集落の境界を消し去っていた。まばらに揺らめく灯が、嘗てのコーリンゲンを思わせる。
「ここ、コーリンゲンかな?」
「だろうな。だが、この村も相当な痛手を負ってそうだな」
 セリスは微かに頷いた。
 二人は仲間の情報を少しでも得ることができればと民家、酒場、宿屋と明かりが灯されている建物の戸を開いた。
 村人の表情は暗く口数も少ない。大破した民家や店の瓦礫。酒場通りの喧騒はすっかり消えていた。
 仲間達の特徴を詳しく話し、村の人から話を聞いた。だが得られた情報は僅か。ある民家の女性の話からカイエンらしき人物の生存を確認したものの、彼の行方はわからず終いであった。
 雪は深まり民家の明かりも消え、村は眠ろうとしていた。野宿をするにはあまりにも寒い。二人は酒場の二階に旅人を泊めてくれる部屋があるという店に向かった。
 狭く薄暗い店内。客はカウンターに一人いるようだ。
「おいっ! 起きろ!! もう閉店だ。部屋へ帰ってくれ!」
 店主らしき男がカウンターの客に怒鳴っているが酔い潰れているようだ。
「あの……」
 セリス達はカウンターへ近付いた。
「もう閉店だよ! お客さん」
 揺らめく蝋燭の炎が、髭面で強面の店主と、顔を伏せて眠っている酔漢の背中に広がる長い銀の髪を照らした。
「セッツァー?!」
 黒い外套を纏った男の肩を激しく揺さぶる。泥酔していた男は悪夢から覚め目頭を擦りながら徐に瞼を開いた。
「セッツァー!! 生きていたのね!」
 薄紫の眼球にもう二度と会うこともなかったはずの二人が映った。
「セリス……?! に…マッシュ……か……。生きていたんだな」
 薄紫が瞬時に滅紫けしむらさき)に塗り替えられたのを二人は見逃さなかった。
「あんたら、コイツの知り合いか?」
 セリスが頷くと店主は小さく溜め息をついた。
「助かったよ。この酔っ払いを部屋へ連れて行ってくれ。部屋は二階の突き当たりだ」
「暖炉もねぇボロ宿に多額の金払ってやってんのは誰だと思ってんだ」
 舌打ちして立ち上がったセッツァーは千鳥足で階段へ向かった。セリスとマッシュは彼に続いた。湿った古木の階段では何度か足を踏み外しそうになるのをマッシュが後ろから支えて階上へ進んだ。
 二人がセッツァーの酒に溺れた姿を見たのは初めてだ。彼は仲間でただ一人の前でしかその姿を見せたことはなかった。
 階段を登りきると階下に比べ寒さが増した。セッツァーが間借りしている部屋の扉を開けた途端異臭が鼻を突く。
「寒いし散らかっているが、野宿よりマシだろ」
 部屋へ入るように促したセッツァーは燭台の蝋燭に火を灯した。簡素なベッドが二つと木の机以外調度品は何もない。床には空の酒瓶が足の踏み場もないほどに転がっている。
「ここにずっといたの?」
 セッツァーは二人にベッドに座るよう指で示す。
「何か飲むか? 酒しかねぇけどな」
 セリスは小さく首を左右に振って床に視線を落とした。
 投げ捨てられたガラスの空き瓶達は波打つ橙の炎に照らされて個性豊かなボディを晒していた。そこから漂うスコッチ、コニャック、バーボン、ワイン、ウォッカなどの芳醇な香り。それらがセリスの脳を気持ちよくさせると同時に、溺れまいと葛藤する意識に重く圧し掛かる不安。魔導研究所の無機質な白い天井が浮かぶ。頭を大きく左右に振って悲鳴を抑えた。
「セッツァー! 仲間を探して、ケフカを倒しに行きましょう!!」
 突然声を張り上げたセリスに驚きはしたが、セッツァーは鼻で笑うかのような声を出してサイドテーブルへ視線を落とした。濃厚な琥珀色のコニャックをグラスに注ぎ、一口で飲み干す。
「翼……がないのに?」
 マッシュと同じ答えだ。
「青い空を飛び続ける。それが俺の生きている証だった。アイツを失って俺の翼も折れた。夢も希望も無くしちまった」
「だからこそ、ケフカを倒して世界を…青い空を取り戻しましょう!」
 セッツァーは紫煙をくゆらせる。空のグラスに酒を注ぎながら、おざなりに呟いた。
「若さってものは、恐れをしらねぇ……。それ故に夢や希望へ向かって」
「何て!!」
 立ち上がったセリスは、セッツァーの言葉を遮り、サイドテーブルに掌を打ちつけた。薄い木の板は鈍い音をたて小さな振動を起こし、酒瓶が倒れる。
 床に転がった酒瓶を拾い、顔を上げたセッツァーは微かに震えるセリスの肩を見た。艶やかなアッシュブロンドが彼女の両頬を隠し表情は窺えない。
「セッツァー。私はあなたの言うとおり、まだ若い。帝国では負けを知らぬ常勝将軍と囁かれたこともあった。
 だからと言って、私が挫折を知らないとでも思うのか!?」
 セリスの口調が出会った頃に戻った。顔を上げた彼女の透き通った青い瞳はまっすぐにセッツァーの瞳を射抜いた。
「世界が崩壊し、大勢の人々が死んでしまい、私たちの仲間の生死もわからない。
 大事な人を失い一人ぼっちになって、絶望に瀕し、自らの命を絶とうとした者も多い。そんな中、奇跡か偶然にも私たちは再会した。
 だからこそ、少しの希望でも諦めてはいけない。ケフカの暴走を止められず生き残った私たちは再び立ち向かうべきではない?」
 短く深い呼吸を吐いたセリスの口から白い息が零れた。
 セッツァーは手にしていたグラスを空け、セリスに渡す。
「体が温まるぜ」
 セリスに手渡されたグラスの中に小さな黄金の漣がたった。その純度の高いアルコールを一口で飲み干す姿は戦場に向かう将軍のようだ。だが今の彼女は、ただ戦いに向かうのではない。
「お前、この1年で随分と変ったな。こんな酒びたりの俺の方が情けねぇな……」
 誰かを想うということは絶望さえも希望に変えてしまう。セリスの情熱がセッツァーの忘れていた何かに触れた。
「セッツァー! 行ってくれるの?」
 セリスの表情がほぐれる。
「ああ。付き合うぜ。だがよ、これからどうする?」
「とにかく夜が明けたら城に戻りましょう」
「城? 埋もれてしまったんじゃないのか?」
 セッツァーは目に見えた現実しか信じない。
 修道女や村人から城が浮上できなくなった事を聞きつけた彼は、砂漠を埋め尽くした雪の上を何日も歩き探した。だが白い絨毯はセッツァーを絶望に導くのに十分なほど凍てついていた。
「兄貴が生きていて、数日前城を浮上させたんだ」
 セリスとセッツァーのやりとりを黙って眺めていたマッシュが静かに口を開き、滅紫の瞳に視線を合わせた。
「エドガー……生きていたのか」
 セッツァーの乾いた瞳の上で蝋燭の炎が揺れ、その奥に光を射したかのように菫色に染まった。だがマッシュの瞳は光を通さなかった。
「これからどうするか、兄貴とも相談しよう」




 三人は漆黒の空が藍墨茶にかわった頃に村を出てフィガロ城へ急ぎチョコボを走らせた。コーリンゲンが見えなくなると白いだけの世界が四方に広がった。
 一昨日城を出た時より、いくばくかチョコボの足取りが軽い。やがて雪化粧を施したフィガロ城が浮かぶ。お伽噺にある白いお菓子の城のようだ。
「まぁ、セッツァー様。よくぞご無事で」
 出迎えた神官長は恭しく頭を垂れた。ゆっくりと上げた顔にはいくつもの皺が強調されるほどの笑み。
「温かいお茶を煎れましょう。夕食までに旅の疲れを癒してください」
 廊下ですれ違う人々は衛兵や官職に就いている男たち。彼らは殿下と神官長に会釈はするものの忙しなく通り過ぎて行く。
「ばあや、兄貴は?」
「早朝から町や村の代表の方とお会いになられています」
 慌しい城内に女性の姿が殆ど見当たらない。普段見慣れないような人々の出入りも激しいようだ。
 回廊を抜けると先にある廊下がやけに静かだ。衛兵達が左右に整列し目にも鮮やかな濃紺の絨毯が真っ直ぐに道をつくっていた。その上を歩く人の衣擦れの音が瞬時に別世界へと塗り替えられる。
 大臣と近衛連隊長に指示を与えているエドガーは前を向くとマッシュ達に気付いたようだ。
「セッツ!」
「よう、久しぶりだな」
 軽く返したセッツァーだが、エドガーの瞳が充血しているのに気付く。一睡もしていない様子は窺えるが、その目は涙を堪えたようにも見えた。
「兄貴……。大丈夫か?」
「思ったより酷いようだ。あとでコーリンゲンのことを詳しく聞かせてほしい」
「ああ。無理するなよ」
「セッツゆっくり休んでくれ。セリスもマッシュも」
 レディ)に失礼するよと声をかけ忘れないエドガーだが急ぎその場を立ち去った。
 その夜エドガーは姿を見せなかった。
 三人は今後について話し合ったが何も進展はなかった。


 夜が明けても鈍色の厚い雲は光を遮り大地を照らすことはない。連綿と続く灰色の雪が終わりはないと語りかけてくる。



青い空を
青い瞳を
取り戻したい

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