〜 2 〜

 

「……ん?」

 大陸の端…辺境守備隊に所属する、哨戒中の一艇のシップの中で、乗組員の一人はレーダーに顔を近づけた。

「どうした?」

 傍らの席にいたもう一人の乗組員が、覗き込んでくる。

「あ、いや…一瞬レーダーに飛行物体が映ったように見えたんだ。」

自信なさげに言うそのレーダー係に対し、もう一人の男は顔色を変える。

「なんだと? そりゃ大事じゃないか。敵だったらどうするんだ!」

苛立ったように言う同僚を相手にしても、レーダー係はまだ反応が悪い。

「いや、しかし…速度計測値が578HWだったから…」

「578HW!?」

 男は素っ頓狂な声を上げ、同時に笑いだす。

「はっはっは、そりゃレーダーの故障だぜ。500HW以上で飛べる艇なんかあるかよ。」

「俺もそう思ったんだ。けど…」

 まだ腑に落ちない表情。

「けど、なんだよ?」

「妙にハッキリと映ったんだ。計測値だけの故障ならまだしも、レーダー画面まで一緒に故障すると思うか?」

 それを聞いて、笑う艇員も再び深刻そうな顔になる。

「確かにおかしいな。……それが映ったのは遠距離レーダーで、だろ?」

「ああ。」

「一応周辺レーダーに変えてみな。その速度がホントなら、近くに居てもおかしく…う、うわ!?」

 喋り終わらないうちに、突如、艇が轟音を上げて揺れた。

「な、なんだ今のは!?」

 急いで、今の瞬間の外部映像をモニターに出す。

するとそこには、艇のすぐ隣りを何か蒼い影のようなものが駆け抜けていく様が映っていた。

剰りの速さに、その姿は完全には判別できない。

 おまけに、艇の側面部がまるで削り取られたかのように剔れている。直に接触したわけでもないのに、だ。

「な、なんだこれ…化け物??」

「まさか…反乱軍の新兵器か?」

 得体の知れない存在に、二人は暫し呆然となった。

が、レーダー係が、やおら慌ててキーを叩く。結果、予想通りのデータが画面に現れた。

「この方向…首都に向かってるぞ!」

「なんだと? まずい、直ぐに本部に連絡だ!!」

 彼らは、彼らの所属する隊の本部へ無線で電波を飛ばした。

「……それにしても、怖ろしいもんに会っちまったもんだぜ…」

 同僚が交信している間、操縦係の男は肩を抑えて身震いした。

 しかし、彼らは第一発見者となって、幸運だったかもしれない。

何故なら、彼らの艇の速度では、もう‘それ’に追いつくことは出来ないから…

 

「第6辺境守備隊が壊滅!?」

 セントラルタワー内、軍部最高執務室。

そこにおいて、セントラル治安及び周辺軍の総司令官ザルツ・シュプリッツェン大将は、

その突然の報告を受けていた。

「しかも、やられた相手が解らないだと?」

 少々のことでは動じない豪胆なザルツ将軍だが、今回の異常事態にはさすがに驚し、声を荒げる。

「は、はい、敵の進路を塞ごうとしたところ、構わず突っ込んできたとかで…」

 伝達する士官は、恐縮しきりだ。

「それで、体当たりで飛空艇がやられたというのか? そんな馬鹿な話があるか!」

「も、申し訳ございません!!」

 士官は、自分が悪いわけでもないのにひたすら頭を下げる。

 ザルツは不機嫌そうに、豪奢な腰掛けに肩肘を突いた。

「チッ、使えん奴らめ…」

「そう部下を虐めるものではありませんよ。」

 突然、部屋の扉が開き、白衣の男が入ってくる。

 通常では許される筈もない無礼な行為ではあったが、彼は特別だった。

ザルツも、怒りはしない。むしろ、待っていたかのような表情を見せた。

「おお、Dr.アドニス。既に状況は知っていたか。」

 その言葉にニッコリ笑って返したアドニスは、伝達員の隣まで来て立ち止まった。

Dr.、よかったら意見を聞かせて欲しい。」

「ええ、そのつもりで来ました。

…恐らく、敵はエスタールの者に間違いないでしょう。しかも例の蒼い竜人…」

 アドニスの言葉に、ザルツは興味と畏怖の入り交じったような顔をした。

「カシュクバールの報告書にあったヤツか。」

「ええ。それがココに向かったとなると、少々厄介ですね。

首都周辺軍を集結させて、直ちに撃沈・撃退を謀るべきでしょう。」

 そう言いながら、ちっとも困ったような顔は見せずに、アドニスは言った。

 アドニスの判断に全幅の信頼を置く、ザルツの決断は早い。

「よし、周辺の全軍を、首都の北部へ!敵を近づけるな!!」

「ハッ!!」

 伝達員は最敬礼すると、踵を返して急いで退室した。

部屋には、ザルツとアドニスの二人が残った。

「……閣下、畏れながら。」

アドニスが一歩前にでてくる。

「なんだ?」

「魔研のレーダーでは、竜人の後方にエスタールも捉えました。」

「なんだと!?」

 ザルツは驚いて思わず立ち上がった。それは、怖れからの驚きではない。

 エスタールが直接乗り込んでくることは、革命軍にとって殆ど自殺行為であり、

考えられないことであったからだ。

「エスタールが首都に近付くなどとは、初めてのことではないか?」

「ええ、恐らく敵は総力戦を仕掛けてくるつもりなのでしょう。」

 驚くザルツに対して、アドニスはあくまで表情を変えず、淡々と続けた。

「ふ、む…竜人の力に乗じて、一か八かの賭けに出たという訳か…愚かなことだな。」

 ザルツはせせら笑った。彼にしてみれば、どのみち反乱軍には未来は無いと思っている。

 ただ、その最期が早まっただけだ。

「…しかし、我が偉大なるセントラ軍に敗北は有り得ないにしても、

首都に危険が及んでしまう可能性があります。」

 そのアドニスの指摘に、ザルツは頷いた。

「なるほど、確かに追いつめられた鼠は何をするか解らんしな。」

 だが、次のアドニスの提案には驚いた。

「…ここは、超重甲型キャッスル級を使うのが得策かと思われますが。」

「超重甲型!?…“ソドム”と“ゴモラ”を出せというのか? 

だがあれは最新鋭のキャッスル級飛空艦……いわば、我が軍の切り札だぞ? 

それを、たかが反乱分子などに…」

「ですが閣下、その反乱分子以外に、もはやセントラの敵は存在しますまい。

ここであれを使っておかなくては、あれの力を示す機会が無くなるかと存知ますが。」

 アドニスは笑って言った。その発言には含みがある。

 ザルツは、それを確かに感じ取った。

 新造の超重甲型飛空艦は、首都周辺軍の所属…従って、ザルツが制作プロジェクトを指揮してきた。

つまりは、彼の虎の子である。その力を示すということは、同時に彼の力を示すことになるのだ。

 それは、反乱分子のみならず、軍内部への恫喝にもなる。

名実ともに、ザルツが軍の最高権力者であることを表すことになるのだ。

 だが、兵器というものはやはり相応の相手がいなくては、力を見せつける事はできない。

 そういう意味で、今回の反乱軍の特攻は逆にチャンスである、とアドニスは言っているのだ。

「それに、セントラルタワー内にいらっしゃっては、反乱軍の恰好の標的になってしまいますので。」

 追い打ちをかけるアドニスの言葉。

 セントラルタワーはセントラの中心。軍部も政府も全て集中している。

敵が首都に攻め入るとなれば、当然真っ先に狙うはずだろう。

 移動要塞となりうる飛空艦の中にいる方が、より安全であるとは言える。

「……解った。私が直接“ソドム”を指揮しよう。」

 言いながらザルツは雛壇を降り、アドニスに寄る。

Dr.は、“ゴモラ”を操してはくれまいか? 他の艦長共より、遙かに頼もしい。」

「私で良ければ。」

 アドニスは気後れする事もなく、笑顔で応じた。

 ザルツは満足げに頷いて、

「では頼むぞ。私は早速“ソドム”に向かう。」

その足で部屋の出入り口へと歩き、出ていった。

 一人残ったアドニスは、目を細めて笑っていた。

 

「これは…?」

 ふと、目が止まる。

 …時間は多少前後する。その日、エルクス=オウン少佐は、魔研内を探索していた。

 アドニスに、ベリーニ達と待機しているように命じられていたのだが、その肝心のベリーニがいない。

勝手気ままな彼は、予定時刻になっても集合場所に現れなかった。

 実直なエルクスは、ベリーニを探して広い魔研を歩き回っていたのだ。

 そして行き着いた、とある部屋。そこは、資料室だった。

エルクスの知る限り、そこは常に閉じられていた筈だった。当然、彼女は入った事がない。

 他意は無かった。ただ、いつも閉じられている部屋が空いているということは、

そこにベリーニが入って悪戯しているのかもしれない―そんな程度の気持ちで、

鍵のかかっていない扉を開いた。

 その薄暗い部屋には、背の高い棚が幾つも並べられていて、

そこには数え切れない量のファイルが処狭しと詰め込まれていた。

 そして、冒頭に戻る。彼女はベリーニを探し歩く内に、一つのファイルに目が止まった。

 『プロジェクト・アドニス』―エルクスは、それを聞いたことがあった。

前回の作戦終了後、昂揚したベリーニが思わず口にした単語。彼女が、彼らとの距離を感じた事柄。

 何より、「アドニス」という名が彼女を惹き、思わずその分厚いファイルを手にとってしまった。

 言い知れぬ緊張が走り、咽を鳴らす。そこには、自分の知らないアドニスがいるのである。

 暫時の後、徐にファイルを開く。

 開いてすぐ、「アドニス」の文字が目に飛び込んできた。

  『'76・2・2、アドニス・ラボにて実験開始。サンプリング・フォーティファイド。』

「フォーティファイド…アドニス様の御名前?」

 以下、エルクスには理解できない数値の羅列が続く。

 その辺りを飛ばして、ページを何枚かパラパラと捲る。

……『'76・6・13、フォーティファイドタイプ・コードF、実験中に暴走。廃棄。』

  『'76・10・2、フォーティファイドタイプ・コードD、反応に失敗、絶命。廃棄。』

  『'76・12・27、フォーティファイドタイプ・コードJ、発狂。廃棄。』……

「な、何?」

 数値や専門用語、データグラフ等以外に続くのは、そういった『廃棄』の記録ばかりである。

「どういうことだ?…‘フォーティファイド’とは、名前では無いのか?」

 そうして何十ページ捲ったであろうか。初めて、廃棄以外の情報を見つける。

  『'78・5・9、新型【フレーヴァード・タイプ】のラボ投入。』

「フレーヴァード・タイプ?」

 知らない単語だ。さらに、読み進める。

……『'78・6・7、フレーヴァードタイプ・コードV、第一次注入実験クリア。』

  『'78・8・6、フレーヴァードタイプ・コードV、G.J.の埋込に成功。』

  『'78・10・28、フレーヴァードタイプ・コードV、最高出力・ラボ記録更新。』……

「この、‘コードV’の記録が多いな…」

 フレーヴァード・タイプ投入以後、殆どがフレーヴァード・タイプの記録となり、

その大部分を‘コードV’が占めていた。『フォーティファイド』は殆ど見られない。それでも稀に、

  『'78・9・9、フォーティファイドタイプ・コードS、遺伝子複合実験実施。』

  『'79・12・19、フォーティファイドタイプ・コードS、埋込実験実施。』

等の記録が載っていたが。

 そして、最後のページ。

  『'80・4・29、フレーヴァードタイプ・コードV、融合炉実験前・最終調整終了。』

……その記録で終わっていた。

「…調整、で終わっている? 何故、結果が残されてないんだ?」

 その後は一切白紙。何もない。

「……'80といえば、ちょうど20年前…ベリーニの言っていた“炎の日”と何か関係が…?」

 だが、エルクスがいくら考えても、解る事ではなかった。

 いや、このファイルに記されたこと自体、殆ど理解できない。

 ただ、『フォーティファイド』が只の名前ではないことは解った。

だが、それが解ったからといって、アドニスのことが少しでも知れたかと言えば、そうではない。

寧ろ、以前より更に遠い存在になったような気がした。

「これで解っただろ? キミには永遠にアドさんは理解できないのさ。」

 背後からの声に振り向くと、棚の一番上に座るベリーニがいた。

「貴様…ワザと此処を開けたのか?」

「ま、ね。」

 嗤って、飛び降りる。

「これからは偉そうな口を叩くのはヤメルんだね。ボク達とキミとでは世界が違うんだ。」

 ベリーニはあどけない笑顔の中に一瞬鋭い眼を見せた。

 エルクスは、何も言うことができない。

それは、彼女自身がより明確に“距離”を感じたばかりだったからだ。

 暫く、混沌とした意識のまま佇む。

が、突如響いたけたたましい機械音によって、彼女は現実へと引き戻される。

「警報…出撃準備!?」

 ハッと周りを見渡したが、既にベリーニは居なかった。警報以前に、部屋を後にしていたのだ。

エルクスは、それすら気が付かなかった。

 兎に角、急いで部屋を出て、魔研専用の碇泊場へと駆ける。

 だが、軍人としての行動を取りながら、頭の中は別の思いばかりが浮かんでくる。

 霞みがかった先のような、魔研の存在。アドニスの考え。

「……それでも……私は、アドニス様を……」

 軍人として、戦士として生き続けてきた彼女が、初めて知った心からの愛情。

それ故に、彼女は誰より純粋で、盲信的なのかもしれなかった。

 

 首都セントラル・シティの軍港から、夥しい数の飛空艇が出撃していく。

フォルト級艦が何十隻にも及び、シップ級に至っては数えることも困難だ。

まさに、空を埋め尽くさんばかりの船、船、船。

 それらの全てが、首都の北方へと向かう。迫り来る、たった一人の竜人を食い止める為に。

「フ、無駄なことだな。今更幾ら艇を出したところで、アイツには敵わんさ。」

 無数の艇の中に混じり、浮かぶ黒いハイシップ。

その中で外の景色を映すスクリーンを見ながら、キールは嘲笑った。

「ヤツとまともに闘えるのは俺だけだ。…そして、ヤツを倒せるのもな。」

 右手で自らの前髪を弄びながら言うキールには、どこか自信があった。

 彼の言うことは決して自意識過剰ではない。

事実、現段階で、カインと互角に渡り合えるのは彼だけであろう。

相手はもはや、数でどうこうできる存在ではないのだ。

 そして、そうした事実以外に、もう一つの要因。

 彼は傍らのミモザを振り返った。

「……先のことは何も解らない。とりあえず、俺の今の最大目的はカインを倒すことだ。」

 ミモザは黙って、聞いている。

「…だが、その後は、俺は……」

 言葉は失われ、真摯な瞳のみが語る。それは、あくまで透き通る紫色だった。

 ミモザは何か後ろめたさと、自分へ憤りを感じ、瞳を逸らした。

 キールは、言葉を変える。

「ドール……お前は、俺とは違う。戦いには向いていない。…なのに、何故携わってきた?」

 問い詰める、という風ではない。ただ、彼は彼以外の者が戦う理由を知りたかった。

…彼女ならば、特に。

 ミモザは逡巡の後、

「……私は………他に、居場所が無いから……唯一の居場所が……あの人だった。」

と、殆ど消え入りそうな声で、だがしっかりと言った。

背けられない自分の感情に立ち向かうかのように。

 キールは、彼女が自分の視線の直視に耐えかねた理由を理解した。

いや、それはとうに知っていた事だった。

ミモザの心には、自分とは違う別の存在が棲んでいる…そして、それが誰であるかも解っている。

「…だが、……俺へも、偽物でないのも知っている。少なくとも、あの時だけは……今は、それでいい。」

 キールの瞳はあくまで澄んで柔らかく…だが、少しだけ淋しそうに見つめた。

 その姿が、徐々に潤み、ぼやけていく。…ミモザの涙だった。

 

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