〜 11 〜

 

      暗がりの中、ベットに横たわるカイン。意識は無い。

      その前に佇むのは、ルシアン一人。表情は、沈鬱。

      いや、ただ「沈鬱」と表現できるほど単純ではない。

     哀しみと辛さと申し訳なさ…様々な感情が入り交じっている。

     「……カイン君………アタシ、“魔女”なんだって。」

      か細い声で呟く。

     「…知らなかった……うぅん、ひょっとしたら、どこか気付いていたのかもしれない…

     でも、心の奥で認めたくなかったから、無意識に、継承したことを忘れてたのかも……

     多分、怖かったんだと思う。」

      あくまで淡々と、独白は続く。

     「……ママが殺されたことや、たくさんの魔女が酷い目にあったこと…

     そういうことに対してじゃない。…ん、それもあるかもだけど……

     それより、自分の為に誰かが傷ついたり、より激しい争いが起こったりすることが、怖かった。

     …そうなったら、自分が耐えられないから。自分が辛いから。」

      ルシアンは両手の平で、自らの顔を覆った。頬の端から、滴が流れる。

     「……狡いよね、そんなの…ただ、逃げてるだけ……ごめんね、きっとカイン君を呼んだのも、

     アタシ……アタシのせいで、カイン君をこんなにも苦しませて……

     アタシが無理矢理、こんな世界に喚んだりしなければ…」

     『気にするな。…俺は、ココに来れて…会えて良かった、と…そう、思ってる。』

     「え?」

      掌を離し、涙を拭ってカインを見る。

     カインは、眠ったままだ。しかし、その顔は心なしか穏やかに見えた。

     「………いつだって、優しいすぎるよ、カイン君は……」

      ルシアンは、思わず破顔した。

      が、その瞬間、別のところから妙な冷たい感覚が奔るのを感じた。

     「な、なに? この良くない感じ……?」

      それは、徐々に自らに迫って来ているように思えた。

 

 

      広大なセントラルタワーの一角、魔学研究所。

      その中にあるミーティングルームには、帰還してきたエルクス達近衛隊と、

     ベリーニ、右肩に包帯を巻いたティツィアーノがいた。

      だが、作戦終了にも関わらず、ベリーニは未だ落ち着かない。

     「くそ、くそっ、あとちょっとでコロせたのに!!」

      帰還中のハイ・シップの中から、ずっとその繰り返しだ。

      実際のところ、彼にとって殺す殺さないはどうでも良かった。

     ただ、敵に圧されたまま…屈辱を受けたままの状態で退却したのが、悔しいのだ。

     それも、自分の方が力が上なら尚更だ。

      ベリーニは魔研で素質を見いだされ、特別な処置を施された魔道戦士。

     故に、一種独特のエリート意識がある。

     いわゆる秀才に見られがちな‘出来る者・出来ない者’程度の意識差ではなく、

     それこそ自分は選ばれし人種であり、他の人間とは根本的に次元が違うんだ、という意識。

     だから、普段通常だと人を小馬鹿にした態度になる。

      そういった意識が根底にあるからこそ、‘選ばれし人間’

     ではない者に後れをとることを非常に嫌うのだ。

     「くそっ〜〜〜、あそこでアドさんが止めたりしなけりゃ!!」

      ベリーニの愚痴はまだ続く。

     「いい加減にしろ。」

      さすがに業を煮やしたのか、今まで黙っていたエルクスが睨み付けて言った。

     「アドニス様の決定は絶対だ。それに逆らうことは許さん。」

     「黙れよッ!!」

      ベリーニは声を荒げて噛みつく。

     「なんだ、偉そうにアドニス様アドニス様って! 

     お前なんか、アドさんのことも魔研のことも何も知らないじゃないか!!」

     「な…に?」

      ベリーニの突然の言葉に、エルクスは怪訝そうな顔をした。

     「だってそうだろ!? お前は二十年前の“炎の日”のことも知らないし、

     “プロジェクト・アドニス”のことだって…」

     「ヤメロ、ベリーニ。」

      その声に、ベリーニは口を止めて振り返る。ティツィアーノだ。

     「オ前、ソレ以上言ウ。アドニス様、オ前処分スル。」

     「くっ…」

      ベリーニは急に大人しくなった。…と思ったら、駆けだして部屋を出た。

     ティツィアーノは後を追うように部屋の入り口へと歩いたが、途中、立ち止まると

     「…ダガ、ベリーニノ言ウ事モ解ル。オ前、所詮部外者。」

     それだけ言い残し、部屋を後にした。

      後に残されたエルクスは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

     「……私は…彼らよりずっと、アドニス様から遠い…」

      それは、解っていたことではあった。自分は、軍から派遣されてきた者である。

     生粋の魔研所属者とは、やはり差がある。

      …しかし。

     「…私は、誰よりアドニス様を想っている筈だ。」

      そう自認することが、彼女を奮い立たせていた。

     だが、拭いきれない不安は常に彼女と共にある。

      常勝無敗の軍人も、‘一人の女性’であることに他ならなかった。

 

     「……………………………………ぅ、ん………?」

      薄明かりの小部屋。その中央に置いてあるベットの上で、キールは目を覚ました。

     「……どこだ、此処は?」

      辺りを確認しようと、身体を起こすとする。

     ……重い。気怠い疲労があった。ジャンクションの後遺症か、暗黒闘気の使いすぎか。

      それでもなんとか半身を起こす。

     勢い、シーツが前に捲れる。

     「……む?」

      その時、キールは自分が左肩に負った筈の傷が、ほとんど治っているのに気がついた。

     「バカな…あの時、確かにヤツの槍に貫かれたハズ…」

      しかし、左肩は僅かな傷痕を残すのみだ。痛みも、殆ど無い。

     「どうなってる?…それに、俺は一体何故、助かったんだ?」

      キールは、カインの攻撃を受けた前後の記憶が曖昧になっていた。

      意識を失う前、何かを見た気がする。……白い、翼?

      光景が、輪郭を帯びだしたその時、小部屋のドアが開いた。

     「……気がついたのね。」

      入ってきたのは、ミモザだった。手にしたトレイの上には、水やら薬やらがのっている。

      服装は、いつもの白衣だ。

     と、キールの脳裏で曖昧だった光景が、徐々にハッキリしてくる。

     「……お前が、俺を助けたのか?」

     「………そう、なるわね。」

      ミモザは呟くように言うと、トレイをベットの傍らの机に置き、

     水差しの水をコップに移し、薬を溶かし込む。

      そして、そのコップを、無言でキールに差し出した。

     だがキールは、

     「…余計なお世話だ!!」

     そう叫ぶと共に、ミモザの手を払い飛ばした。コップが床に転がり、水たまりが拡がる。

      しかしキールが叫んだのは、その水に対してではない。

     「何故、助けたりした!? 憐れみか? 

     俺は、貴様に助けられるくらいなら、死んだ方がマシだ!!!」

      激昂する。強く握り引かれたシーツは、少し裂かれた。

     「俺は、俺は…誰かに庇われるくらいなら、死んだ方が……」

     そのまま視線を落とす。肩が、小刻みに震えている。

      それは単に、プライドの高さからくる感情だけであろうか。

     ……それとも、友人を死なせてしまったことに対する……。

      そんなキールの様子を、ミモザは黙って見つめていた。

      場の空気はそのまま暫く止まり、時間のみが流れる。

     「………………………笑ってくれて、いいんだぜ?」

      どのくらい後であろうか。キールが、自らも自嘲気味に笑みながら言った。

     「あれだけ偉そうなことを言いながら……他の力まで借りながら……

     それでも、俺はヤツを、カインを倒せない! 唯一の親友の仇すら、取れやしない! 

     挙げ句、女に八つ当たりする……情け無いヤツだ。」

      キールが自分をそこまで貶めて言うのは初めての事だった。

     それほどの無念があったのだろう。

     「…嗤えよ、俺はその程度の人間なんだ。」

     「……笑わないわよ。」

      何も言わないままだったミモザが、初めて口を開いた。

      キールは、思わず顔を上げる。ミモザの青い瞳は、ジッと自分の方を見ていた。

     互いの視線が膠着したまま、暫時が過ぎた。

     「……私には、貴方が羨ましいもの。」

      ふっと、ミモザが言う。

     「羨ましい?」

     「ええ。……自分の感情に素直に動ける貴方。

     思ったままの感情を吐き出せる貴方。…私には、出来ないから…。」

      そう言って目を伏せたミモザに、キールは今までと違ったものを感じた。

     「私は、動くどころか、言うことさえも出来ない。

     あの人を止めたいと思っても…暗闇の底から救いたいと思っても……何も、出来ない。

     ただ言われるままに動くだけの、操り人形…」

     「じゃあ何故、俺を助けたんだ?」

      突然の問いに、ミモザは再び、瞳をキールに向ける。

     「お前ら魔研の者にとって、俺はただの研究対象に過ぎないんだろ? 

     死んだら、それも研究結果の一つの筈だ。

     自分の身を危うくしてまで、助ける必要が何処にある?」

      その指摘は正確だった。

     本来なら、状況が危ぶまれれば、魔研のハイ・シップは早々に退避すべきなのだ。

      それがわざわざ、危険を冒して敵艦に接近…

     あまつさえ、艇の外に出てまでキールを救った真意は…

     「……解らない。あの時には、何も考えないで…ただ、そうしたかった…」

     「…それが、感情のままに動くってことじゃないのか?」

      ミモザはハッと瞳を見開いた。自分自身に、驚いたのだ。

     「私も…同じ?」

     「そうだ、お前は人形なんかじゃない。だから、いじけて見せるのは、よせ。

     ……俺も、言える立場じゃないが、な。」

      言い方はぶっきらぼうだが、どこか、暖かだった。

      キールの熱さは感じていたが、そうした温もりみたいなものは、初めて知った。

     『この人にも、そんな部分があるんだ…』

      知らないのも当たり前か、と思った。

     何故なら、自分のことさえちゃんと認識していなかったのだから…

      なんだか、ホッとした気分になった。途端、気が抜けたのか、眩暈が襲う。

     「お、おいっ…」

      ベットに向かって前のめりになるミモザを、咄嗟に、両手を伸ばして受け止める。

     「急に、どうしたんだ?」

     「ご、ごめんなさい、セラフィムの使い過ぎで…」

      喘ぐように言うミモザの顔には、よく見ると消耗の色が見て取れた。

      G.J.セラフィム。翼は、セラフィムのものだったのだ。

      それに気付くと同時に、キールはもう一つの事象も理解する。

     「お前…俺の怪我を治す為に?」

      セラフィムには回復の能力がある。それなら、怪我が一朝夕に完治しているのも合点がいく。

      しかし、キールの傷はかなり深かった。G.J.の使い手は、凄まじい体力消費を要した筈だ。

      言葉を無くしたキールに対し、

     「…大丈夫、ちょっと眩暈がしただけだから…」

      そう言って、なんとか顔を上げたミモザの直ぐ眼の前に、キールの顔があった。

      そこで二人は漸く、お互いの状況を理解した。

     ベットで半身起こしたキールが、倒れ込んだミモザを抱える格好になっているのだ。

      キールは、思わず顔を逸らす。慌てているのが見て取れた。

      それが逆に、ミモザの方を落ち着かせた。

     「……暫く、こうしてていい?」

     「あ、ああ…」

      疲労が自分の為と解っては、さすがに無下にも出来ず、キールは頷いた。

     ……否、自分自身も、今の不思議な心地よさを望んでいた。

      キールは、ミモザの体温にどこか懐かしさのような…安心を感じたのだ。

     それは、怪我を治してくれているときのセラフィムの感覚だったのかもしれないし、

     それ以外のものかもしれない。

      またミモザも、安らいでいた。

     荒々しい性質を持ったキールに、何故安らぎを感じるのか…

     それは、奥底にある、キールの本質を感じていたからだ。彼はただ、限りなく純粋なのだ。

      自然、両手が背に回り、自分からも抱き締めた。そうすることで、より落ち着いた。

      が、キールの方はそうでは無かったらしい。抱き締めた身体に緊張が走るのを感じた。

     「……愛されることに慣れてないのね……私と、同じに……」

     「…んっ」

      キールは、唇に柔らかな感触が重なるのを感じた。

      彼にとってはあまりに唐突だったので、呼吸を乱され、即座に離してしまう。

     「……大丈夫、もっと安らげるから……」

      再び、キス。今度は、離さない。離したくなかった。

      そのまま、より強く、お互いを抱き合って―

 

     「……ミモザ。」

     「……なに?」

     「名前、なんて言うんだ?…ミモザは、ファミリーネームだろ?」

     「ん…シャルドール。」

     「シャルドール……シャルルか。」

     「うぅん…“ドール”って呼ばれてた。………あんまり、好きじゃないけど。」

     「どうして?」

     「……あんまりにも、自分に似合い過ぎてたから。‘人形’のような自分に。」

     「…お前は、人形じゃないって言っただろ?」

     「うん…でも、やっぱり、ね。」

     「………“ドール”……善い名前じゃないか。」

     「何故?」

     「……俺の名前に、響きが似てる。」

     「!……フフッ、勝手な人。」

     「…よく言われる。」

     「…でも、いつでも自信たっぷりなのに……どこか透明で、

      消え入りそうで…壊れてしまいそうで、切なくて……」

     「……壊れやしないさ、俺は……」

      ―そう言って笑った横顔が、何より脆く儚く見えたのは、彼女の気のせいだったろうか?

 

 

     『………カイン君ッ…』

     「ルシィ!?」

      カインはいきなり起きあがる。と、体中に痛みが走った。

     当然である。カインは、先の戦いで重傷を負ったのだ。

     「ぐっ………今のは?」

      辺りを見回す。そこは、エスタール内の自室だった。自分以外、誰もいない。

     「気のせいか?……いや、今のは確かに…」

      やがてカインは、痛みを堪えてベットから降り立つと、

     重い身体を引きずるようにして歩き出した。

     「……間違いない、ルシィは、俺を呼んだ…」

 

      カインは、甲板に出た。なんとなく、こっちに引かれたのだ。

     外は、星空だった。周りは、森。

      激しい損傷を受けたエスタールは、修理の為に碇泊しているのだ。

      暗い甲板の上には、誰一人いない。夜の静けさが、辺りを包んでいた。

      だが、カインの感覚は、その甲板に在る“何か”を知覚する。

     「……誰だ? 誰か、居るな!?」

      やがてカインは甲板上の一点を見据えた。微かな、気配。

     「……へぇ、よく見破りましたね。

     コキュートスで光の屈折率を変え、完全に姿を消していたのに。」

      さも感心、といった感じの声とともに、ゆっくりとその場に人の姿が現れていく。

      それは遠目から見れば、女性と見まごう程に細身で、中性的な顔立ちの男だった。

     白銀の髪と、透き通るような白い肌が印象的だ。

      だが、カインの関心はその男自身ではなく、彼の肩に担いでいるものの方だった。

     「ルシィ!!」

      そう、男が肩にしているのは、確かに気を失ったルシアンだ。

      カインは思わず、男に向かって駆け出す。

     「おっと、それ以上近付かない方がいいですよ。」

      男はニッコリと微笑んでそう言った。

      途端、カインは言いようのない戦慄を感じ、立ち止まる。

     『な、なんだコイツ?…こんな優男から、どうしてこんな凄まじい威圧感が…』

      カインは男の笑顔の奥に、恐ろしく深く暗い感情を見た。

      それに似たものを、カインは知っていた。

 

     『…我が名はゼロムス。全てを、憎む…』

 

     「……あの、ゼロムスと、同じ程の憎悪!?…それを、コイツが持っているというのか?」

      大凡、外見からは想像もつかない。四肢も、力を込めて掴めば、すぐ折れそうな気がする。

      だが、カインの中の感覚がその危険を告げているのだ。

     「……お前は、何を其処まで憎む?」

      驚愕と戦慄の中、カインは聞いた。

     それを聞き、男はまた驚いたような表情を見せた。

     「…一目見て、私の感情を読み取ったのは、貴方が初めてですよ。

     さすが、“原罪”を知りし者ですね、カイン君。」

     「俺の、名を!?」

      男はフッと笑った。

     「貴方の事は、戦場でいつも拝見させていただきましたよ。

     尤も、‘こっちの世界’に限りますが。」

     『俺が、元々この世界の者でないことも知っている!?』

      カインは、全てを達観したような雰囲気を持つこの線の細い男に、恐怖に似たものを感じた。

     「お前、何者だ?」

     「おっと、これは失礼、自己紹介がまだでしたね。

     私は、Dr.アドニス。セントラの、魔学研究所の所長ですよ。」

      魔学研究所―その名はカインも聞いたことがあった。

     確か、魔女を捕らえ、魔力を抜き集めていたところだ。

      瞬間、カインは髪を逆立てて激怒する。

     「ルシィを…ルシィの力も奪うつもりか!!」

      カインは槍を構え、猛烈な勢いで飛びだした。

     先程までの驚愕も緊張も、身体の痛みも関係ない。

     ただ、ルシアンを利用すること…苦しめることが許せなかった。その思いだけだ。

     「やれやれ、近付かないでと言ったのに。」

      アドニスは空いている方の腕を上げ、カインに向ける。

     「G.J.トライエッジ…トラインスパーク!」

     刹那、空を裂く音が駆けめぐり、稲妻となって炸裂した。

     「ぐッ…うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

      カインは衝撃をまともに浴び、弾き飛ばされる。

      そのまま背から甲板に激突し、二転三転する。

     「フフ…今の貴方のコンディションでは、私に勝つことは不可能ですよ。

     今度は、万全を期してから来て下さい。

     その時は、私も“切り札”を見せますから。…では。」

      アドニスは背を向け、そのまま去ろうとする。

      だが、

     「ま、待て…」

     その呼び声に立ち止まり、顔だけ振り返った。

      そこには、槍を支えにして立ち上がったカインがいた。

     「ほぅ…これは驚きました。加減したとはいえ、今の体調でトラインスパークを喰らって、

     まだ立ち上がれるとは。賞賛ものです。」

      アドニスは微笑んで褒めた。

      しかし、カインはそんなことは聞いてはいない。

     「ルシィを…離せッ」

      ボロボロになりながらも、その目だけは激しい気力に満ち溢れていた。

      アドニスは、笑った。それは、どこか冷笑の雰囲気があった。

     「よほど彼女が大切らしいですね。ですが、返すわけにはいかない。

     私にとっても、彼女は重要な“鍵”でしてね。」

     「ほざけ!」

      カインは再び槍を構える。

     あまりのダメージに、目が眩みそうになるが、それでも気力のみで立つ。

      その時、だった。

 

     『…けて……シェリー……を……たす…て…』

 

     カインは、確かにその‘声’を聞いた。

     「なんだ?……シェリー…?」

      そのカインの呟きを聞いたアドニスの貌色が変わる。

     「貴様、何故その名を!」

      いつもの微笑が消え、変わりに、銀の瞳が紅に染まった。

     と、同時に凄まじい波動がアドニスの周囲に巻き起こる。

     「こ、この力…!? コイツ、一体どれほどの…」

     「G.J.ティアマト!‘ダーク・フレア’!!」

      黒い光は爆熱となり、周辺を焦がす。

       ドゴオオオオオオオオオオオオオオッ

      カインはその威力の余波を浴びて、跳ね飛ばされた。

     「ぐ、あう……」

      転がり倒れるカインの前に、寄ってきたアドニスが、立つ。

     「……今は殺さない。今は、まだな。貴様には、まだ働いてもらわなければならない。」

     紅い瞳が、冷淡に見下ろす。

     「…ルシィを…離せ…」

     「まだ意識があるか。…返して欲しくば、自分で取りに来るんだな。」

      アドニスは、嘲笑した。そのまま、宙に浮く。

     「空間転移…マインド・スライド!」

      途端、アドニスと彼の抱えるルシアンの身体が揺れ霞み、瞬きほどの間に消え失せた。

      後に残ったカインは、その場に伏したままピクリとも動けない。

      在るのは自分の不甲斐なさに対する怒りと、言いようもない喪失感だった。

     「……アドニス………ルシィは、必ず……」

      決意を残し、カインは再度甲板の上で、混沌とした失意識の世界へ誘われていく―

 

               第三章・終

                      

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