〜 10 〜

 

      キールはカインの力に慄然としていた。

     だがそれは、彼にとって喜びでもある。

     「あの動き…あの力…そうだ、それでこそ倒し甲斐がある!!」

      臆することなく、再びカインに向かって空を駆る。

      だが、カインの方はそうはいかない。

     なれない超移動法と、イエーガーのメガ波動砲を受け止めたことで、激しく消耗していた。

     「カイン、動きが止まってるぞ!」

     「くっ!?」

       ジャキンッ

      間一髪で振り返り、剣を槍で止める。

     「…ハァ…ハァ…」

     「どうした、息が荒いぞ? あの程度で参ったか!」

     「ほざけ!!」

     カインは槍を薙ぎ払い、間合いを作る。

      しかし強がる言葉とは裏腹に、体力的にはかなり厳しかった。

     「まだまだいくぞ!!」

     「…くそっ」

     逆にキールは絶好調で攻撃を繰り出す。

      次第にカインは、キールの重く速い剣戟に圧されていく。

     「デス・ブリンガー!!」

      気合いと共に、数発の黒弾が放たれた。

     「ぐ…あッ!」

      カインは衝撃に跳ね飛ばされ、エスタールの甲板へと落ちていく。

 

     「カイン君!!」

     悲痛な声を上げるルシアン。

      ブリッジからも、甲板に衝突するカインの姿が見えた。

     「く、ジェノサイダーはなんとか撃退したものをっ、アイツにはどうしようもないのか!!」

      ギムレットが拳を握りしめ、自らの座するシートに打ち据える。

     魔人に対して、エスタールは何も有効な攻撃が取れないのは、

     先刻の主砲を弾かれたことで既に解っていた。

      しかも、艦内の侵入者達の侵攻も治まっていない。

     イエーガーは撤退したとはいえ、状況はまだまだ悪かった。

     「……いくら計算しても、あれを抑えるだけの方法は…」

      さすがのリッキーも、桁外れの力を持つキールに対しては計算のしようもない。

     頭を抱えながらふと顔を上げると、その視界にルシアンが入った。

     「……ルシィ?」

      ルシアンは、先程叫んで以来、その場に立ち尽くしたままだ。

     よく見ると、瞳が虚空を泳いでいる。

     「ルシィ!」

     二度目の呼び掛けにも無反応。聞こえていない。

     「……このままじゃカイン君が…艦の皆も……カイン君……」

      ルシアンには、カインの姿だけでなく、艦内での至る所が感じられた。

      そこには、戦うヨシノやクラーレットの姿、敵兵の侵入を防ごうとする艦員達の必死な姿、

     逃げ惑うパロムとポロムの姿、動かなくなったガフの姿……

      それらの景色が、ルシアンの中で現在と過去を結び付ける。

     「……イヤよ、嫌、あんな想いはもう……」

     「おい、ルシアン!!」

      ギムレットも、ルシアンの異常に気が付いた。

     席を立って、その肩を掴む。だが、ルシアンは感知しない。

      彼女の感覚は今、‘他を見ている’からだ。

 

     『………ごめん、ね、ルシィ…………』

 

      逝く間際の、母親の姿。

      そして現実の瞳は、倒れたカインに迫る魔人を見た。

     「…イヤ……もう無くすのはイヤァーーーーーーーッ」

     瞬間、その身体から淡い碧の光が沸き上がった。

 

     「ハハハ、もらったぞ、カイーーーーーーン!!」

      キールは刃を構え、真っ直ぐに降下していく。

      目指す先は、甲板に伏すカイン。

     「串刺しにしてやる!!」

     「くぅっ」

      漸く仰向いたカインは、迫り来るキールの姿を見て、覚悟した。

     だが、寸前にまで迫ったその瞬間。

     「……なっ!?」

      キールの身体がその空間から大きく弾かれた。

     まるで、何か大きな力に跳ね飛ばされたかのように。

     「こ、これは、重力子フィールドか!?…グアッ」

      今度は苛烈な重圧がかかり、キールが甲板に押しつけられる番だった。

     「どうなってる? こ、こんな強力なフィールドが張れる筈は…」

 

      ブリッジは、ルシアンの発する光で完全に包まれていた。

     「…これは一体!?」

     そんな中、キャプテンシートに動力炉から回線が繋がる。

     「なんだ、こんな時に!」

     《か、艦長、魔力炉のエネルギーが急激に上昇していきます! 

     それに合わせて重力子もより強力に…》

     「なんだと、魔力炉が?」

      ギムレットはハッとしてルシアンを見やる。

     「…魔力炉の力の増減は、魔力源による……まさか、ルシアンが?」

      その言葉を聞いて、リッキーには感づくものがあった。

     「…ルシィ、まさか君は……!!」

      その驚きは、ルシアン自身にとっても同じことだった。

     「アタシ……ママと同じ……」

      自分が発している力。それは、間違いなく魔力。

     「…受け継いでいたのは……アタシ!?」

 

     「やはり! やはりそうだったか!!」

      常に冷静なDr.アドニスも、興奮のあまり立ち上がる。

     「ふふふ、私の予測どおりだ…三つ目の“鍵”はついに覚醒めた……」

      アドニスは、いつもの微笑を大きく歪めて、笑った。

     「見つけたぞ、最後にして最高の力を持つ、“魔女”!!」

 

     「ね、パロム、なんか魔力が一気に回復してない??」

      ベリーニの攻撃をかわしながら、ポロムが傍らのパロムに言う。

     「あ、ポロムもか? うん、回復してる。こんな感じ、初めてだ…」

      パロムも少なからず動揺している。

      なんの前触れもなく、突然魔力が戻るなんて今まであり得ないことだった。

     「何ぶつぶつ言ってんのさ!?」

      浮きながらベリーニは、また新たにサンダラを放つ。

      雷は装甲を焦がし、パロムとポロムの間を走った。

     「うわっ……くそ、勝手やりやがって。理由は知んないけど、魔力が戻ったんだ。

     もう逃げるばかりじゃないぞ!」

      パロムは念を込め、溢れんばかりの魔力を魔法に変換する。

     「たまにはお前も喰らってみろ! サンダー!!」

     パロムの左手から雷撃が飛びだし、ベリーニを襲う。

      それをベリーニは、身体を逸らしてギリギリでかわした。

     「アハ、そうこなくちゃ! それじゃ、こっちも本気でやるよ!!」

      ベリーニはより力を乗せて、両手を突き出す。

     「サンダガ!!」

      激しい稲妻が現れ、パロム達を狙う。

     だが、同時にパロムも魔法を繰り出していた。

     「サンダラ!!」

     「ハハ、サンダラなんかで止められるはず……え!?」

      ベリーニの目の前で、雷は雷を相殺した。

     いや、さすがに多少ベリーニのサンダガの方が強く、パロムの周りに余波が飛んだが、

     ダメージを与えるものではない。

     「な、なんでサンダラで…!!」

      ベリーニは初めて驚愕を示した。

     対して、パロムは得意満面だ。

     「ハッハー、オイラがただ逃げ回ってたと思ってんのか? 

     その間、ずうっと“つよがって”たんだよ!!」

      “つよがる”…パロムの得意技。

      それを行うことによって知性が高まり、魔法の威力が高まる、とされるが…要は、

     一種の精神集中のようなもので、それをすることで魔術に関するメンタル面の強化がなされ、

     魔法攻撃力が上昇するのだ。

     「くそぉ、ボクを甘く見るなよ!!」

      ベリーニは表情に怒りを露わにし、力を蓄える。

     だが、それでもパロムには余裕があった。

     「そっちこそ、甘くみるな。…ポロム!!」

     「はい、ヘイスト!」

      ポロムが唱えると共に、二人に同時にヘイストがかかる。

     「よっしゃ、いくぜ、“ふたりがけ”!!」

      ヘイストの効果で、二人に魔力が集まるのも速い。

     「きたわ!」

     「おおーーし!」

      だが、さすがに魔法を放ったのはベリーニが先だった。

     「くらいな、ファイガ!!」

      渾身の大火球が、パロムとポロムに迫る。

     だが、衝突前に二人の魔法も完成した。

     「プチフレア!!」

      息もよろしく、二人の声が重なる。

     と、その眼前の空間に熱と爆光が炸裂した。

      その力は、ファイガの火球を止め、そして。

     「な?…お、圧される!?」

       ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオッ

     爆音とともに、光が拡がる。

      プチフレアがファイガを飲み込む形となった。爆撃は、ベリーニの近辺にまで及んだ。

     「やったぁ!」

     「ううん、まだ!」

      喜び勇むパロムを、ポロムが諫める。

     爆煙の中に、シルエットを確認したからだ。

      煙の中から現れたのは、服をボロボロにしたベリーニ。間髪で直撃をかわしていたのだ。

     「………くーーーーそおおぉぉぉぉぉぉ!!!」

     突然、ベリーニが絶叫する。

     「ボクは、ボクはスパークリング・タイプだぞ!? 

     フォーティファイドや、フレーヴァードより、新型なんだ! 

     凡人とは違う、選ばれた存在なんだ!! そのボクが、こんなヤツらに負ける筈がないィィ!!」

      気合いを込めるベリーニに、火・氷・雷の三元素の光が集まっていく。

     「なんだ、何をする気だ?」

      さすがのパロムも、その尋常でない力の集中に動揺する。

     「ボクの本気を見せてやる! いくぞ、G.J.……」

     『待ちなさい、ベリーニ君。』

      頭に直接響く声。途端、ベリーニの動きが止まる。

     「ア、アドさん?」

     『目的は終了しました。退避するのです。』

     「そんな!ボクはコイツらをヤルまでは帰らないよ、帰れるもんか!!」

      ベリーニは不服を唱え、また魔力を集めようとする。

      だが。

     『……ジョヴァンニ、私の言うことが聞けないのですか?』

        ゾクッ

      ベリーニは背筋の凍る感覚を、リアルに感じた。

      力を持つ者だからこそ、その身に覚える、畏怖。

     「わ、解ったよ、帰る……」

      ベリーニは集めていた魔力を放棄し、四散させた。

     そして、現れたときからは想像もつかないような烈火の形相でパロム達を睨むと、

     「…お前ら、憶えていろ! 次会ったときこそ、ボクの力が上だと証明してやる!!」

      そう言って、出てきた大穴に消えていった。

     それまで必死に構えていた二人だったが、ベリーニの姿が見えなくなった途端、

     急にその場にへたり込む。

     「ふぃ〜なんだか知らないけど助かった。最後のは危なかったなぁ。」

      パロムの、素直な感想だ。無鉄砲でも、相手の力は解る。それが魔力なら、尚更だ。

     「でも、どうして急に帰ったのかしら?」

      ポロムは首を傾げた。

     「知るか。それより、中に入ろうぜ。オイラ、疲れたよ。」

 

     『エルクス君。』

     「は、アドニス様?」

      クラーレットとの戦闘中、エルクスはその声を聞いた。

     「?」

      急に動きの止まったエルクスを不審に思い、クラーレットは間合いを取った。

     『エルクス君、作戦は完了しました。退きなさい。』

     「はい、アドニス様。」

      エルクスに疑問も反問も何もない。彼女にとって、アドニスの命令は絶対なのだ。

     そして、眼前の敵を見据える。

     「クラーレットとか言ったな、この決着は後日!」

     「な?…逃がすか!!」

      敵が去ろうとするのを放っておくクラーレットではない。刀を手に、斬りかかる。

     だが、エルクスがサーベルを振りながら

     「G.J.スノウ!!」

     と叫ぶと、吹雪が巻き起こり視界が阻まれる。

     「な…氷のG.J.!?」

     荒れ狂う雪嵐は、暫くクラーレットの行動を制限する。

      そしてその吹雪が止む頃には、エルクスの姿は消え去っていた。

     「…逃がしたか…」

      しかし、彼女の今の任務は艦の防衛だ。深追いしてはならない。

      そう自分に言い聞かせ、他のブロックへと走った。

      走りながら、ふと、先程自分を襲った感覚…哀しみを思い起こしたが、その時にはまだ、

     その理由に見当もつかなかった。そう、その時は、まだ―

 

     「はあああッ!!」

      ヨシノは激剣を振るい、ティツィアーノの赤銅の身体に斬りかかる。

     だが、その無敵の皮膚に阻まれるのみだ。

     「…グアォ!!」

      ギガントソードが振られ、ヨシノは弾かれる。

      それでも宙返りで体勢を立て直し、着地した。

     だが敵は、巨体に似合わない機敏な反応を見せる。

     「ガァァァァ!!」

      ティツィアーノは直ぐさま大きく剣を振り上げ、ヨシノに向かってくる。

      万事休すか。

     「……そんなに腕を動かさない方がいいぞ。」

      ヨシノがそう言うと同時に、ティツィアーノの右肩から激しく血が噴き出した。

     「グァッ!?」

     「いくら強固とはいえ、壊れないものはない。奥義で一点を狙い続ければな。」

      ヨシノは驕るでもなく、静かに言ってのけた。

     「グアアアアァォォォォオオオ!!!」

      痛みのせいか、ティツィアーノの目の色が変わる。

     左手を握りしめ、ヨシノに向かって突進してきた。

     「手負いながら、来るか!」

      ヨシノは落ち着いて刀を構える。

      だが剣を交える寸前のところで、ティツィアーノは突然静止する。

     「……なんだ?」

      例に漏れず、アドニスの声。

     『ティツィアーノ、戻りなさい。』

     「…………。」

     突如ティツィアーノは元の痩せた姿に戻り、踵を返して走り出した。

     流れる血に構うこともない。

     「ま、待て!……うッ」

     追おうとするヨシノだったが、眩暈を起こし、しゃがみ込んでしまう。

     「く…奥義を、使い過ぎたか……」

     奥義は、体力・精神の両方とも並の消耗ではない。

      それを使い続けたヨシノは、疲労困憊だった。

     「彼奴…手強い……」

     呟くと、壁に手を当て何とか身体を支え、そのまま歩き出した。

      まだ敵が残っているかもしれない。…彼の強固な意志は、自らに休む間を与えなかった。

 

     「ここしかない!」

      キールの不調を見て、カインは残る全ての力を振り絞り、甲板の上を水平に飛んだ。

     「くらえっ!!」

     「う!?」

      キールが調度立ち上がった瞬間、カインの槍が繰り出された。

     心臓目掛けた必殺の一撃。だが、キールの凄まじい反射神経は、それすらかわした。

      だが、さすがに完全に避けることは叶わず、槍は左肩を貫く。

     「ぐああああっ……くぉッ」

      キールは絶叫しながらも剣を振り、槍を身体から引き離す。

     しかしダメージは大きい。間合いを取ったが、蹌踉めいてしまう。

      それを見逃すカインではない。

     「もらったぞ!」

      上段から弧を描いて向かってくる槍。

     『……俺が、終わる!?』

     「G.J.ゴーレム!!」

      一瞬死を覚悟したキールの耳に、どこからともなくG.J.を使う声が飛び込んでくる。

     途端、カインとキールの間の甲板が跳ね上がり、壁となってカインの槍を阻む。

     「な!?」

     「なんだ?」

      キールは、先程声が聞こえた空を見上げた。

      其処には、白い翼を持った女性が、降下してきていた。

     「………天使?」

      柔らかい光を湛えた金髪に、白い衣を纏ったその姿は、天使と形容してもおかしくない。

     だが、傍らに着地したその存在は、キールの知った人物だった。

     「…お前…ミモザ?」

     「早く!」

      出血の為、朦朧とするキールに無理矢理肩を貸すと、ミモザは翼を以て一気に跳躍する。

     瞬間、壁が粉砕されて今までキールがいた場を槍が貫いた。

     「…逃れたか…」

      カインは遙か甲板の端に着地するミモザとキールを見た。

     しかしそれは、竜人にとれば一つ飛びの距離だ。

      だが、カインは飛び立てない。

     「く…今ので力を……」

     渾身の攻撃は、残る体力を削り取っていた。

      その視界に、甲板に接近する黒いシップが入る。

     ミモザとキールが、飛んでそれに乗り移るのが見えた。

     「…手際のいい……ことだ……」

      その映像を最後に、カインはその場に倒れ伏す。

     ジャンクションする以前にも激しいダメージを受けていたその身体は、もう限界だったのだ。

     「………守る筈の‘騎士’が……最後に、守られたな……」

      彼には、自分が誰に助けられたのか解っていた。

      だがその思考を最後にして、遠ざかるハイ・シップの飛行音と同様に、

     意識も遠のいていく――

 

      激しい損傷を受けたが、なんとかエスタールは窮地を脱した。

     しかし、失われたものは多く…そして、大きい。

 

      ドックには人だかりが出来ていた。

     だが、見た目の混雑とは反対に、場は静寂に包まれていた。

      リッキーやウォルナッツ、ヨシノにアンシャンテもいる。

      ルシアンの姿はない。意識の戻らないカインについているのであろう。

     しかし、カインのことが無ければルシアンも必ずいた筈である。

      何故なら…そこに横たわる‘それ’は、エスタールの全ての者にとって、

     とても大切なものだったから。

     「…ココに!?」

      ドックの入り口が開き、新たな来訪者を迎える。クラーレットだ。

      皆、気付いたが、誰もそっちを向けない。顔を合わせられない。

     クラーレットは直ぐさま人だかりへと駆け寄り、掻き分け進む。

     …いや、掻き分けるまでもなく、誰もが道を開けた。

     「………!!」

      立ち尽くす。そのまま、言葉もない。

      彼女の目の前に、寝息も立てずに眠っているのは、シャンディ=ガフ。

     その貌は限りなく安らかだった。あまりにも安らかで、もう目を覚ますこともない。

      クラーレットは、先程流れた、たった一筋の涙の理由を理解した。

      だが今その瞳は潤みもしない。ただ、凍り付いていた。

     「…くそっ、なんでお前が逝くんだよ!? 

     いっつも死に損なってこそ、エスタールのガフだろうが!!」

      微動だにしないクラーレットに代わるように、ウォルナッツが爆発した。

     床を殴る拳に血が滲む。

     「お前が死んじまったら…誰が『夢幻』を使うんだよ!お前用に作ったんだぞ!?」

      万能棍『夢幻』。それは、材料工学のエキスパートであるウォルナッツが、

     ガフのリクエストに応えて作成したものだった。

      『夢幻』は、二度と自らを振るってくれることのない主人の、傍らに置かれている。

      ウォルナッツの叫びにつられるように、堪えきれなくなった人集りから嗚咽が漏れだした。

      リッキーも、例に洩れない。

     「ガフさん……」

      彼の脳裏に浮かぶ、ガフの思い出。

     食堂でからかわれたこと、出撃前に元気付けられたこと…それ以前のことも含めて、流れゆく。

     その流れは流れゆくままで、巻き戻ることはない。

     「こんな、こんなことって……どうして、ガフさんまでッ」

     「……どうしても何もない。それが、戦争だ。」

      そう言ったのは、初めて口を開いたクラーレットだった。

      声は、ひどく落ち着いていた。

     しかし、既に振り返って後ろを向いている為、その表情は見えない。

     「いつまでも哀しんでいたって、何も変わりはしない。無意味なことだ。」

      それだけ残して、その場から歩き去っていく。

     「クラレさん、そんな言い方って!……え?」

      思わず追おうとしたリッキーだったが、その肩を掴まれて場に留まる。

     振り向くと、アンシャンテがいた。

     「やめなさい。……リッキー、今のあなたなら、もう解ってもいいハズよ。…彼女の気持ち。」

      それでリッキーも察することが出来た。

      一番解っているのは、やはりアンシャンテであろう…そう思うことで、

     リッキーにも理解できたのだ。

     「…ごめん。」

     「解ればいいの。……哀しみ方は人それぞれなのだから…。」

      そう言ったアンシャンテの遠い目には、何が映っているのだろう。

      在りし日のオーベルか、クラーレットと自分を重ねているのか。

      リッキーは、呆然とそんなことを考えた。

 

      自室に入り、ドアが閉まっても、彼女は暫く立ち尽くしたままだった。

      明かりも付けない暗闇は、様々な想いを交錯させる。

     「………うぅ…うあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

      クラーレットは、もう、こみ上げてくるものを抑えることが出来なかった。

     そのまま地に手を突いて、冷たい床を叩く。

     「……私…私が、今度は私が守るって!

     …なのに…最後まで守れなかった……何もできなかった………私……」

      水滴が床の上で玉となる。

      生まれ育った国が滅んだときも、こんなには泣かなかったような気がする。

      ただ、大切な者を亡くしたというだけではない。

     まるで、自分の中の何かが抜け落ちたような…心の一部を失ったような…そんな感覚。

     「……私……なんの為に、生きればいい?」

      無意識に出た自分の言葉に、驚く。

      自分が生きるのは、自らの国や家族の仇を討つ為では無かったのか。

     いつの間にか、何かが変わり始めた自分。

      子供のようにポロポロと涙を零す自分が、クラーレットには不思議だった。

     ‘あの日’以来、常に前だけ向いて生きていたはず…しかし、今彼女を包むのは悔恨。

     「……まだ、何も言って……」 

      過ぎ去る刻は、永遠に取り戻せずに―

 

 

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