第三章  「愛」と、「哀」の日

 

         ……それは、全ての苦しみを背負った存在だった。

        …それを軽減できるものは、ただ一つ。  

 

       しかし、それを得ることの出来る者と、出来ない者がいる。  

       「もう少しだけ、素直になれたら……?」

       「もう少しだけ、今が続けば……?」     

 

       それは、永遠の悔恨。  

 

        …………『愛』って、なに?

 

〜 1 〜  

 

       静寂の支配する、常闇の世界。

       いや、静寂という以前に、音という概念が存在しないのかもしれない。

       暗黒は底なく拡がり、「無」を演出する。

       生命の存在を…否、有機無機の拘わりなく、あらゆる存在を否定するような、

      許さないような、拒むような…そんな、世界。

       だが、今其処は、何も無い世界では、なかった。

       そこには、彼が在る。  

 

      「……………此処は、どこだ…?」

       カインは、漸く戻った意識で(それすら虚ろで不確かなのだが)、辺りを見渡す。

       そこは、闇である。

       暖かくも、寒くもない。ただ、何かゾッとするような精神の冷たさのみ感じさせる、暗闇。

      「……黒い、世界?」

       カインはその暗黒を知っていた。ぼやけた思考ながら、自らの記憶を探る。

      「俺は…魔力炉に突っ込んで……黒に包まれ……そして…」

       闇に、取り込まれたのだった。

       戻った記憶と共に、暗黒に包まれた時の、おぞましい感覚が蘇る。

      「……俺は…死んだのか?」

       死……これが死ぬっていう感覚?

       拠りどころも無く、ただ闇を漂うような、そんな感覚?  

       それが、死?

 

        『……いえ、貴方はまだ、生きている……』

 

        「…?」

       カインはその声を聞くと同時に、自分一人だけだった世界に、他の存在が現れるのを知った。

       漂う彼の前に現れたのは、一人の女性。

      闇に溶け込むような漆黒の髪と、対照的に、闇の中にあって映える白い肌。

       その身体は、掴めば折れそうなほどに、細く華奢である。

      長い睫毛と、どこか幸薄さを感じさせる瞳が印象的だった。

       震えるような、美。それが、彼女。

      「……誰だ?」

      問いかけに、ゆっくりと口を開く。

      『…私は、魔女。魔女・ミリオネーア。』

      その声は、耳から聞こえたのではなく、意識に感じた。

      「魔女?ルシィ達が言っていた…」

      『ええ。あの魔力炉の奥深くに、魔力の源として、封じられていました。』

       その声に、ふと、カインは思い当たるものがある。

      「戦闘中、語りかけてきたのは、あんただな?」

      美貌の魔女、ミリオネーアは音も無く頷いた。

      「……それなら、まず礼を言っておく。おかげで、ルシィを助けることが出来た。」

       ミリオネーアは頷くままだ。

      「…だが、礼だけでは済まされない。

      あれは…あんたのくれた、あの恐ろしい力は何なんだ? ジャンクションとは、一体…」

       そこまで行き、漸くミリオネーアが答える。

      『あれは、私が与えた力ではありません。貴方自身の、力。』

      「俺自身、だと?」

      『…ジャンクションとは、心の波長が合う者同士が繋がることで、それぞれの力を何倍にも高めるもの……』

      「………。」

      『……貴方がジャンクションした竜は、貴方の心から生まれた者。

      貴方の正なる心から生まれた、貴方の最も純粋な部分。』

       カインは、試練の山でルーザと会った時のことを思い出した。

       試練でカインを救ったナッツイーターの化身。それがルーザ。

       そのナッツイーターは、試練において具現した、カインの心の『正』だったのだ。

      『元より貴方の心から生まれた者なら、波長は同じ。

      貴方が純粋な意思を持った時、その波長はさらに完全に同期します。あの時は、

      ただ少女を救いたいという、その気持ちが引き金となりました。』

      「………。」

      『同じ心を持つ者同士のジャンクション…それは、並のジャンクションを遥かに超えた力となるのです。』

      「………それじゃ…それじゃ、あれも、俺自身だっていうのか? 

      あれだけの破壊を繰り広げた力…あれも、俺に内在する感情だと!?」

       ミリオネーアは、初めてその表情を変える。それは、哀しみ。

      『……貴方が、純粋であればあるほど…感情はシンプルに、より強く、働くのです。

      そして、力も増大していく。だから貴方は、守りたいものを守るという感情で動いた時、

      敵を排除することで消えてしまう命にまで、想いがいかなかった。ただ、守りたい一心で……』

       混沌とした感情が、カインに沸き起こる。

      守りたい……その心によって行われた自らの行為は、正しいと言えるのか。それとも…

      『……正と悪は、そう簡単に区分できるものではありません。』

       ミリオネーアが、カインの感情にそう答えた。 だが。

      「…人を……命を踏み躙ることは、何があろうと許されることじゃ、ない…」

      『……』

      「あんなのは、闘いじゃあない!戦争でもない!ただの、殺戮…そのものじゃないか!!」

       カインは激昂する。いつしか、その身体に力が漲ってきていた。

      『……すみません。貴方の力が…心の力が、あれほどまでとは、私にも想像がつかなかった……』

      「心の力…」

      『……貴方の心は、大きな苦しみを内在している。その鬩ぎ合いが、より大きな力を生み出す……

      貴方は、戦うには純粋すぎるわ。だから、罪を知ってしまった…』

      「…何?何を言っている…?」

      『………けれど、そんな貴方だからこそ、この世界へと喚ばれたのかもしれない……』

       この世界へ呼ばれる。それがカインに新たな疑惑を生ませる。

      「呼んだ…俺を、この世界に呼んだのは、誰だ?何故、俺がこの世界に?」

      『…貴方を喚んだのは……恐らく、魔女。私とは別の…』

      「…魔女?」

       カインは目の前の魔女を見つめる。

      『……魔女は、拠り所…騎士を必要とするときがあります。魔女が強く騎士を求める想いが、

      貴方の持っていた魔力炉で増幅されて、貴方を引き寄せた。』

      「魔力炉だと!?俺は、魔力炉なんてこっちに来るまで知らなかったぞ?」

      『しかし、貴方は持っていた。固形化された、魔力炉を……』

       途端、カインはこっちの世界に来るまで運んでいたはずだった、黒い球体を思い出した。

      「…あれは、バブイルの巨人の核……核は、魔力炉だったのか?

      ……と、いうことは、魔力源が、クリスタル?」

      『クリスタル!?』

      今度は、カインの言葉にミリオネーアが反応した。

      『貴方達の世界では、魔力元素が結晶化しているのですか?』

      「…ああ。地水火風の四つのクリスタルと、それぞれの、光と闇。合わせて八つのクリスタルがな。」

      『そうですか……それで、魔女以外のものが魔法を使えるほど、魔力が安定しているのですね。

      ……この世界では、魔力は魔女という‘人間’に流れ込んでしまう。元素も混在するままに。

      だから、魔力も安定しない。』

       カインは、この世界に来た時の、フワフワとした落ち着かない感覚を思い出した。

      それは、魔力の流れが一定で無かったからなのだ。

      『魔女は、精神的には普通の人間です。それなのに、アンバランスな巨大な力を得てしまっている。

      だから、魔女はいつも不安なのです。』

      「……だから、拠り所として『魔女の騎士』を求める、と?」

      『そうです。そして、貴方を喚んだ。…どうか、その魔女を守って欲しい。』

      ミリオネーアが懇願する。

      「冗談じゃない。そんな勝手な話、あるか?

      いきなり見知らぬ世界に呼び込んでおいて、守ってくれだなんて!」

     『……貴方の気持ちは解ります。

     けれど、貴方が元の世界に戻るためにも、その魔女と、魔力炉が必要なのです。』

     「くっ」

       カインは頭を振った。悩ませる素材が、あまりに多すぎる。

      …ジャンクションで得た力は、自らが生み出したもの。

      …自分が運んでいた物質の正体、魔力炉。

      …そして、自らを喚んだ‘魔女’という存在……

      「…元の世界に戻る為には、その魔女に会う必要があるんだな?」

       ミリオネーアは頷いた。

      『喚んだ時と同じ力が、等しく発揮されなくては…その為には、その魔女と魔力炉が必要なのです。』

      「……解ったよ。とりあえず、会ってみるさ。守るかどうかは、そいつ次第だな。」

      カインは溜め息混じりに言った。

      「………どちらにしろ、今は、まだ帰れないからな………」

       沈鬱な表情で呟いた。

       ‘あの力’を発揮するのは嫌だった。

      だが、皆を…ルシアンを放って帰ることも考えられなかった。

       ミリオネーアはそんなカインの感情を察していた。だからこそ、申し訳ないと思う。

      なぜなら、彼女は苦しみから逃れることが出来るから。

      『………そろそろ、時間です。貴方は貴方の、私は私の、いくべき処へ、いかなくては…』

      「あんたの、いくべき処?」

       ミリオネーアは俯いた。

      『…私は、貴方達のおかげで漸く、消えることが出来ます。』

      「消える?…魔女は…」

      『ですが、そのことが、貴方達により大きな苦しみを与えることになってしまった……』

      「…どういうことだ?」

       ミリオネーアは顔を上げ、カインの視線に応える。

      『……カイン、憶えておいて。人は、一人では生きてはいけないということを……』

      その言葉と共に、ミリオネーアの姿が、徐々に闇へと消えていく。

      「ま、待て、待ってくれ!まだ…」

      『…ありがとう……ごめんなさい………』

       それを最後に、ミリオネーアは完全に闇に溶け込んだ。

      「おい!……何!?」

       溶けたその瞬間、黒が全て白に変わり、光の奔流となってカインを包んだ。

      「うぅ…?」

       カインは再び意識が混濁していく感覚を覚えた。

 

      『……………………カイン君……』 

 

      「………………………………!!」

       遠くで誰かが呼んでいる様な気がする。

      そういえば、こんな感覚が前にもあったな――虚ろな意識の中、そんなことを思う。

      「…………ん………インくん……!!」

       妙だな、過去のことなのに、段々ハッキリとしてきた…

       ……温かい……誰かが触れてる? 俺なんかに?

       ………何をそんなに泣いてるんだ………泣くなよ…

 

      「……泣くなってば、ルシィ。」

      「!?…カイン君!!」

       目の前一杯に、涙を流すルシアンの顔。急に身体を起こしたカインに、驚いているようだ。

       ふと、カインは我に返る。

      「え?……ここは…」

      だが、辺りを見渡す前に、ルシアンが抱きついてきた。

      「カイン君!…良かった、カイン君……」

      「わ……おい…」

      だがルシアンは答えることなく、そのまま、また泣き出してしまう。

      「どうなってるんだ…ここは、エスタールか?」

      「うむ、エスタールの医務室だ。」

      そう答えたのは、ルシアンの後ろに立っていたヨシノだった。

      「ヨシノ!無事だったのか。」

      「…カイン殿のおかげで、潜入班は皆脱出できた。オーベル殿以外、な…」

      ヨシノは少し辛さを見せた。

       オーベルのことは、カインも知っていた。他のメンバーのことは、解らない。

      「皆、無事なんだな?」

      「いや、ガフ殿が撃たれて重傷だ。他で寝ている。クラレ殿がついてる。

      ウォルナッツ殿とアンシャンテ殿は、飛空艇整備中だ。手酷く、やられたからな…」

       それを聞きながら、カインは周りを観察する。部屋にいるのは、他に看護員だけだ。

       カインの横たわるベットの傍らには、薬やら何やらが置かれている。確かに、医務室のようだ。

      「……俺は、どうなったんだ?何故ココにいる?」

      「それは、こっちが聞きたい。

      工場の爆発の後、我々がエスタールに着く前に、既にエスタールの甲板に倒れていたらしいからな。」

       ミリオネーアが戻してくれたんだろうか?…それくらいにしか、思いつかなかった。

      「魔力炉……工場は?」

      「完全に消滅だ。工場どころか、爆発は平野全体に及んだ。

      聞いた話だと、カシュクバールは、草木の生えない死の大地…砂漠か荒野になるらしい。

      もう少し遅ければ、エスタール共々、な。」

       死の大地…なんとなく、予感はしていた。

      あの黒い力を見たときから、それだけの恐ろしさは感じていたのだ。

      だから、止めたかった。

      「……これから、どうなるんだ?」

      「それは、某にもわからん。工場は無くなったが、当方も損害を受けすぎた。

      とりあえず、セントラ大陸から離れて、身を隠すらしいが…詳しくは、ギムレット殿に聞いてくれ。

      後で、報告も欲しいそうだ。」

      「……解った、今いく。」

       そう言うと、カインはルシアンを離し、ベットから立ち上がろうとする。

      「カイン君!?ダメだよ、まだ動いちゃ…」

      だが、カインはふらつきもせずに立ち上がった。

      「大丈夫だ。…行こう。」

      「あ、ああ…解った。」

      ヨシノも多少驚きながらも、カインを伴って部屋を出た。

       慌てて、ルシアンも後を追った。

 

      「それじゃ、あの力を発揮したのは初めてだったのか?」

       ギムレットが、思わず作業の手を止めて問い返した。

       カイン達が訪れたのは、艦の修復作業と状況確認に追われ、喧噪に満ちたブリッジだった。

       ギムレットもキャプテンシートで作業をしながら話を聞いていたのだ。

      それほどに、差し迫った状況だった。

      「……ああ。俺自身、イマイチよく解らないんだ。」

       カインは晴れない表情のまま、答えた。

      隣にはヨシノ、後ろには心配げなルシアンが控え目に立っていた。

      「しかし、理由も無くあれだけの力が発揮出来るワケは無い。

      特に、敵艦をあっさりと貫いた、あの力…」

      「例の、竜機(ドラグーン)か?」

       話を聞いていたパナシェが言った。操舵士は、巡航速度を守っていればそれほど忙しくもないようだ。

      「ドラグーン?…確か、ガフ殿もそんなことを言っていたな。なんのことだ?」

      ヨシノが聞いた。

      「セントラに伝わる伝説だよ。

      かつて、セントラ文明がまだ発祥して間もない頃、その集落は魔女によって統治されていた。」

      「魔女?」

       その単語に、カインは少し過剰に反応したが、不思議に思う者はいなかった。

      「ああ。良き魔女によって平和に統治されていたんだ。だが、ある日その平和が破られた。

      遙か北から、モンスターの大群が襲ってきたんだ。」

      「モンスターが?何故突然?」

       訝しがってヨシノが問う。

      「さあな。何分、伝説の類のことだから。…とにかく、セントラに危機が訪れた。

      そのとき、セントラを守る為に戦ったのが、魔女の騎士、オーディンだ。」

      「オーディン…魔女の騎士?」

      「ああ、天下無双の剣豪と謳われた、最強の騎士さ。

      だが、その騎士をもってしても、モンスターには苦戦を強いられた。

      何しろ、数が多すぎる。そこで、オーディンを助ける為、魔女がオーディンの二つの武器に命を与え、

      騎士の下僕たる最強の竜…竜機を生み出したんだ。」

      「即ち、紅き瞳の『ラグナロク』、蒼き瞳の『グングニル』、だったか?」

      続けたギムレットに、パナシェは頷いた。

     「ああ。竜機が翔れば、百のモンスターを一呑みにしたそうだ。かくして、セントラを守った、と。」

     「その竜機と、俺の闘気が似ていたのか?」

       カインの問いに、パナシェは両手を上げて、

     「さあ、誰も本物の竜機なんて見たこと無いからな。

     だが、その伝説を知ってる者なら、あれを見れば誰でも思い起こすと思うぜ、竜機『グングニル』を。」

      と、答えた。

       カインは複雑な思いに駆られた。‘魔女の騎士’になるべく呼ばれたらしい自分が、

      魔女によって生み出された竜機に似ている。それは、単なる偶然だろうか?

       しかし、確かに自分はあの時、無意識に叫んでいたのだ。

      『ドラグーン』と。

      「この際、あの技の名前を『グングニル』にでもしたらどうだ?」

       悩むカインに気付かず、パナシェが軽く言った。

      「あ?……ああ…」

      心ここにあらずで、何となく返事をしたカイン。

       その様子を心配したルシアンが声をかけようとしたとき、突然ブリッジの入り口が開いて、

      子供達がドヤドヤと入って来た。

      「カイン様!」

       彼を呼ぶ声。振り向くと、ポロムとパロムがいた。

      「お前達も、無事だったか…」

      「兄ちゃんこそ、もういいのかよ?」

       パロムが駆け寄って言う。

      「…ああ、本調子とはいかないがな。」

      「ごめんなさい、ケアルしようと思ったんですけど、この子で力を使いきっちゃって…」

      そう言ったポロムが抱いていたのは……

      「……ルーザ…」

      途端、鼓動が高鳴る。

      「きゅえっ」

      「この子ってば、さっきまで全然動かなかったんです。だから、全部の力を注いじゃって…」

      ポロムは言葉を続けるが、カインには聞こえていない。

       ルーザが引き金となって、思い出される、破壊の映像。力。炎。

      「…くっ」

       カインは思わず頭を抱えた。

      「カイン様?」

      「カイン君!?」

       傍らのルシアンが顔を覗き込む。 真っ青だ。

       カインはなんとか顔を上げ、ギムレットに向く。

      「……すまない、まだダメージが残ってるみたいだ。報告の続きは後にしてくれないか?」

      「あ、ああ、構わない。自室で休んだ方がいいだろう。」

      「…すまない。」

      カインは一人、歩き出す。

      「カイン君!」  

      追いかけるルシアンを、カインは制した。

      「大丈夫だ。……一人に、してくれ。」

       それを聞いたルシアンは、追う事が出来ずに立ち尽くすしかなかった。

      カインが得てしまったさらなる苦しみ。それは、あまりに大きい。

      また、涙が、頬を流れた。  

 

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