〜 3 〜
<ミッション「シャリュトリューズ・ステア」施行日前夜 2018時 エスタール後部ハッチ周辺>
辺りは闇に包まれ、空には星が煌いている。
木々を揺らす風にも冷たさが感じられ始めた。
エスタールの外壁及び甲板作業は既に完了しており、人影は見当たらない――一人を除いて。
後部ハッチのすぐ傍の、なだらかに傾斜する装甲の上に立つのはヨシノである。
刀を腰に、腕は組むといういつものポーズだが、珍しく瞳は開いている。
その漆黒の瞳が見つめるものは、夜空の星々であった。
彼は何事か起きる(起こす)前に必ず星を見る。
彼らの一族独特の文化の、一種の星占いのようなものだ。
「……“剣”の星に“憶”の星が近付いている?……記憶に関するものが来る、というのか?」
瞬間、彼の脳裏に過去の記憶がフィードバックする。燃え盛る炎。彼を呼ぶ声。
「…………ユキ……」
ふと口にした名に、頭を振った。長い髪が乱れる。
「……今は、私情で戦うな。剣が曇る。」
自らに言い聞かせる。後、彼の表情は落ち着きを取り戻した。
と、一陣の風が吹く。冷たいが、柔らかな風だ。乱れた髪が直されるかのように靡いた。
<同日 2022時 エスタール内 居住区の一室>
「さあ、お食べ。」
「きゅえ!!」
「あ、慌てないで、良く噛んで。」
ここはパロムとポロムにあてがわれた部屋である。
ポロムが、ルーザに餌をやっていた。ルーザは竜には珍しく雑食で、何でも食べた。
と、言うより、人間と同じものを食べると言ったほうが正確であろう。
今食べていたのはリンゴに似た木の実である。エスタールの乗組員が、近くの森で取ってきてくれたものだ。
ルーザは食べ物を味わうとき、細い目をして幸せそうに噛み締める。まるで、人間のそれだ。
「お前、変わってるよね。御主人に似たのかしら?」
「きゅる?」
「あ、なんでもないの、食べて食べて。」
ポロムはバスケットから新たな木の実を取り出すと、ルーザに差し出した。
ルーザは一飲みにして、再び口内で噛み味わう。
そんな様子を見てるだけで、思わず笑みがこぼれる。
と、突然部屋に甲高い機械音が響く。
「わっ……あ、チャイムか。」
エスタールに来て数日、まだチャイムには慣れない。
パロムなどは面白がってよく鳴らしているが、ポロムは未だにノックしてしまうことの方が多い。
ノックでも聞こえないこともないが、どうしても微弱になってしまう。それに鉄の扉ではちょっと痛い。
機械慣れしていないポロムは、鳴らす方も受けるほうも戸惑いが大きいのだ。
とはいえ、今ではかなりマシになった。慣れない手付きで、ベット際のインターホンを操作する。
「はい、どなたです?」
『カインだ。ちょっといいか?』
「カ、カイン様!?」
先程噂していた人物だけに、慌ててしまう。
さらに、カインがインターホンを使ったことも意外だったため、より驚きが大きい。
『どうかしたか?』
「あ、いえ、今開けます。」
急いでドアに向かい、ドア横の機械を操作する。と、扉が開く。
目の前に立っていたのは紛れもなくカインだ。一人である。
「すまないな、突然。」
「い、いえ、どうぞ入って下さい。」
未だ動揺の治まらないポロムであるが、なんとかカインを部屋内へ案内する。
そしてなんとかそれを隠そうとして、話題をふった。
「あ、あのカイン様、凄いですね、もうチャイムを使いこなすなんて。私なんてまだまだで……」
「ああ、ルシィに連れ回されてるうちに覚えただけだ。説明も何回もされたしな。」
カインは特に大した風でもなく答えた。そして、なんの気なしの会話を続ける。
「そういえば、パロムはどうしたんだ?」
「え? ああ、さっきガフさんに連れられて、お風呂に行きましたが…パロムに何か御用ですか?」
「いや、そうじゃないんだが…」
その時ポロムはハッとする。
用事があるのはパロムじゃない…ということは自分!?
しかも、こんな夜更け(といっても午後8時だが)に、一人で会いに来るなんて…
そう考えた瞬間に、心臓の動きが一気に早まる。
……どきどきどきどき……
「ポロム。」
「は、はい!!」
ポロムには呼ばれるまでの時間がもの凄く長く感じられたのだが、
実際にはほんの数秒、いや、それ以下の間である。
「な、なんでしょう?」
「ルーザを貸してくれないか?」
「ほえ?」
予想外の言葉に、思わず気の抜けた声を出してしまうポロム。
慌てて気を引き締め直す。
「ルーザちゃんをですか?」
「ああ。」
「はあ……はい、どうぞ。」
ポロムが返事すると同時に、ルーザはカインの肩に乗り移った。
「すまないな。世話してくれて、礼を言うよ。じゃあ。」
カインは軽く手を振ると、そのまま部屋を後にした。
ポロムは暫く呆然としていたが、ふと、自分の想像を思いだす。
「わ、私ってば……きゃあっ」
耳の先まで赤くしたポロムは、暫くその場で唸ったり喚いたりし続けた。
<同日 2032時 エスタール内 大浴場>
「うひゃあああでっけーーーー!!」
パロムが歓喜の声を上げる。そこは浴槽だけで幅が十メートルはありそうな大浴場であった。
パロムが今まで見てきたどんな風呂よりも大きい。
エスタールは物資不足であるが、海水のろ過装置を完備しているため、水は豊富だった。
また、エンジンの放射熱を利用して水を沸かすため、湯も省エネで得ることができるのである。
そのため、大浴場は作戦行動中以外、ほとんどいつでも使用することができるのだ。
「はっはー、どうだすごいだろう? 部屋のシャワーなんて比じゃないぜ。」
続いて浴場に入ったガフが自分のことのように得意気に言う。
「うん、こんな風呂、オイラ初めて…!?」
振り返ったポロムの言葉が止まる。ガフの姿を見た瞬間だ。
ガフは既に服を脱ぎ、タオル一枚を腰にしただけだ。だが、そんなことは問題ではない。
パロムが驚いたのは傷だ。ガフの肉体に刻まれた傷。切り傷、銃創。
それらが数え切れない程、古傷として残っているのだ。
「ん、どうした? お前も早く脱いで来いよ。」
「う、うん。」
ガフの言葉に、出来るだけ平静を装って返事をする。そのまま駆けって浴場外の脱衣所に出た。
その際、ちらっとだけガフの背中を見る。すると、驚いたことにその背中はほとんど無傷だった。
パロムが裸になって浴場に戻ると、ガフは既に浴槽に浸かっていた。
「あー、洗う前に入っちゃいけないんだぞ!」
パロムが指さし注意する。
先程の事を忘れたわけではないが、どんな者に対しても、パロムは態度を変えないのだ。
「なんだ、うるさいなあ。じゃあお前が背中流してくれよ。」
「お、おう!!」
ガフは浴槽から出て、パロムに背を向け、座る。
パロムは石鹸を擦りつけたタオルで、目の前の大きな背を洗い出した。
「お、なかなかいい感じだぞ。これからはお前に頼むかなあ。」
「へん、オイラが磨いてやるのは一回だけのサービスさ。次は自分で洗え!」
ガフは微笑して頷く。何か楽しそうだ。自分の幼い頃でも思い出しているのだろうか…
と、ポロムの手が止まる。その目は何かを見つめている。
今まで無傷だと思っていた背の右肩の辺りに、銃痕を見つけたのだ。
「おい、どうした?」
「この傷……背中に一つだけ…」
「ああ、それか。それはオレの古傷の中で、一番誇りに思ってるヤツさ。」
ガフは何かを回想するように言った。得意気でもない。
「背中の傷が一番の誇り?」
パロムにはワケが解らない。普通なら、敵に背を向けた不名誉なものと思うはずであろう。
「………ま、何が大切で何がそうでないかってことだな。」
ガフがつぶやくように言う。
「???」
「解らないか?……まあ、そのうちお前にも解るさ。…いや、ガキんちょには無理かもな」
「なんだと!!」
「はっはっは、冗談冗談。」
そうやってからかってみせるガフは、もういつものガフだった。
<同日同時刻 エスタール内 居住区の一室>
居住区の中でも特に甲板よりの一室。そこはクラーレットの部屋だ。
クラーレットはそこで一人、明日の装備の点検と手入れをしていた。
独特の形の剣を磨く。磨かれる度、剣は輝きを増していく。
ついには鏡のようにクラーレットの顔を写すまでになった。
赤い髪、赤い瞳。そして、褐色の肌。
それらが、彼女がセントラとは違う異民族であることを示している。
クラーレットは刃に写る自らの瞳を見つめる。
燃えるような瞳は、強固な意志を示していた。
その瞳も、髪も、彼女の美しさを十分に引き立てている。
しかし、彼女はそれを一族の誇りとは思っても、美しいと思うことは無かった。
否。美しいと思うことは「無くなっていた」と言うべきか。
彼女は瞳の次に髪を見つめる。機敏さのみを求めたショートヘアだ。
ふと、表情が動く。が、感情を強く表す程ではない。
手を伸ばし、ベット横の机の引き出しを開ける。そこには、束ねられた長い赤髪。
暫時、それを見つめたままとなる。
やがて引き出しを閉めると、再び作業に戻った。
「……私は、もう昔の弱い私ではない……」
彼女は想う。
彼女を守り、血を流した仲間達のことを……
そして、彼女を救い、導いた者を……
「……守られるのは、終わりだ。今度は私が守る!!」
瞳に、より強い炎が灯る。そしてそれは、より美しく澄んでいた。
<同日 2044時 カシュクバール平原の一角>
カシュクバール武器工場のほど近くにその身を隠し、停泊している飛空艇。
それこそロブ=ロイが艦長を努めるフォルト級飛空艇「アンゴスチュラ」である。
真紅のボディカラーを持つアンゴスチュラであるが、夜の闇に紛れそのシルエットを浮かべるだけである。
その飛空艇のミーティングルームに、二人の男が居た。
艦の長たるロブと、本日付けでこの艦に期限つき赴任した士官キールである。
ロブは椅子に腰掛け、コーヒーを飲んでいる。
そのリラックスしたロブとは対照的に、キールは眉間に皺を寄せ、窓の傍に立ち外を見つめている。
そんな友人の様子を見て、ロブは溜め息をついた。
「おいキール、外を眺めてれば敵が来るってもんじゃあないぞ。来ればすぐにレーダーが教えてくれるさ。」
だが、キールに振り向く様子は無い。そのままの状態で答えた。
「……解ってる。だが、俺の中の何かが治まらないんだ。」
ロブはカップを置き、キールの後姿をよく見てみる。
いつもと変わらない、見なれたキールだ。
だがロブは、長い付き合いの中で見てきたキールとは何かが違う、そう感じた。良くない感覚だ。
ロブは立ちあがって、キールに並ぶ。
「…キール、根を詰め過ぎるな。命を削るぞ。」
キールは初めてロブの方を向き、笑ってみせた。
「心配するな、ロブ。俺は負けはしない。新しいG.J.も得たしな。」
そういって、右手に握っていた宝石を見せる。だが、ロブは浮かない顔だ。
「……そのことだがな、キール、あのDr.アドニスには気をつけた方がいいぞ。」
今度はキールが不思議な顔をする。
「Dr.に? 何故だ?」
「…俺にはどうも、あの男がただの科学者だとは思えない。何か…何か底の見えない闇の部分を感じるんだ。」
キールは驚いた。いつもの明るいロブではない。
しかも、ロブの判断力には定評がある。それを買われて艦長になったようなものだ。
だからこそ、では無いが、キールはロブの意見はいつも参考にしていた。
しかしそれにしても、ロブの今言ったことは、キールには突拍子も無さ過ぎた。
「何かを企んでるって言うのか? まさか。あいつはただ、自分の実験を試したがってる学者バカさ。」
「……そうだといいんだが……」
そう言いつつも、ロブの懸念は消えない。今度はキールが呆れる番だ。
続けて何かを言おうとしたその時。
「お、こんなところに居やがったのか!」
突然ミーティングルームのドアが開き、二人の男が入って来た。
最初に入ってきて声をかけたのは、妙に痩せた小男。ギラついた目が、どこか陰険さと粗暴さを思わせる。
続いて入って来たのは体格のいい長身の男だ。髪はオールバック。
不気味なほど無表情だが、細い目は異常に鋭い。
「ホーセズ少佐!? どうしてここに……」
ロブが、長身の方の男を見て声を上げる。
「へへ、俺達の艦も武器工場の防護任務についたんでな。挨拶ってわけだ。」
答えたのは小男の方だ。だが、キールにはそんなヤツはどうでもよかった。
問題はもう一人の長身の男、ホーセズだ。
そのキールの視線に応えるかのように、ホーセズがキールを見下ろす。ゾッとするような冷たい眼だ。
並みの者であれば、その眼力だけで震え上がるだろう。
だが、キールも並大抵の精神力ではない。負けずに、睨み返す。
「……お前がアンペリアル家の後継ぎか。」
キールの意力を感じたのか、初めてホーセズが口を開いた。
「キール=アンペリアル大尉です。名を知っていただけたとは、光栄です。」
一応上官に対しての言葉使いではあるものの、実際はお互いの覇気をぶつけあっている状態だ。
そんな中、小男がキールの眼前に割り込む。
「そうか、お前がキールかぁ。あの噂の超エリートだろ。
それがこんなトコに飛ばされるとは、エリートも落ちたもんだねぇ。」
あからさまな挑発。だが、キールは動じない。眼中に無い、と言った感じだ。
それが小男の癇に障る。
「ちっ、スカしやがって! お前らむかつくんだよ、大体!!
若僧のクセしやがって、いきなり大尉になんてなりやがって!!」
そう言って、キールとロブの顔を交互に見やる。
何のことは無い、彼は歳若い二人に出世を追い越されているのが気に入らないのだ。
だが、そういう者に対してのキールやロブの対応は慣れたものだった。すなわち―相手にしない。
大抵の者はこの辺りで虚しくなってやめるのだが、この小男、どうやら相当に嫉妬深いらしい。
さらに雑言を続ける。
「け、どっちにしろキール、テメエは飛ばされたんだ。ざまあないな」
「…………。」
「チッ……俺達みたいに最新鋭の兵器を使わねえからだよ。古臭い剣なんていまだに使ってるからだ。」
「なんだとッ!?」
キールが初めて反応した。これには、挑発していた小男の方が驚いた。
が、すぐにいやらしい笑みを浮かべて続ける。
「へ、古臭いものを古臭いって言って何が悪いんだよ?貴様の剣士隊は時代遅れなんだよ!」
「貴様! 剣ばかりか我が隊まで愚弄するかッ!」
キールは激昂して小男に掴みかかろうとするが、それをロブが背を掴んで必死に抑える。
「落ち着けキール!」
「離せロブ!! コイツは俺の『戦い』を侮辱したんだぞ!!」
そうなのだ。キールは己の身分や階級をバカにされて怒るタイプではない。
彼は自らの『戦い』にこそ、最も誇りを持っている。だからこそ、それを汚されたとき、怒りを見せるのだ。
それを知った小男は、さらにキールを挑発する。
「バカじゃねえか? 地位こそ第一だろうが。そのために戦うんだ。
戦いそのものが一番なんて、く〜だらねえ。」
「下らない!? 俺の戦いが下らないというのか!!」
ますます怒りを強くして気を荒げるキールに、小男は笑みを強める。それこそが、彼の喜びなのだ。
「ああ、何度でも言ってやるぜ!お前の戦いなんて…」
「やめろ、スティンガー。」
大きくはないが、低く、威圧感のある声。
言いかけていた小男が怯えたように身を縮ませ、恐る恐る声の主の顔を伺う。
「ホ、ホーセズ少佐……」
声の主、ホーセズは自分の部下である小男…スティンガーを無表情に見下ろしている。
今まで粋がっていたスティンガーも、この上官の無言の威圧には敵わない。
「す、すみません…調子に乗りすぎちまって……」
小さくなって、ホーセズの後ろへと引き下がる。
ホーセズはその冷たい視線を、今度はキールに向ける。
「…貴様も思ったほどの男ではないな。たかが戯言に冷静さを欠くとは。」
「……」
キールは、何も言わない。ただ睨み返すだけだ。
「……いきがるだけでは何もできんガキと同じだ。行くぞ、スティンガー。」
「は、はいっ」
ホーセズは踵を返すと、コツコツと規則正しい足音を鳴らしながら、部屋を後にした。
スティンガーはその後を追いつつ、キール達の方を見やって、醜悪な笑いを作る。
それもキールの癇に障ったが、再び怒ってみせたりはしなかった。
ミーティングルームのドアが閉まり、部屋は再び二人だけとなる。
突然、キールは目の前の机を叩く。
「くそっ…頭にくる奴らだ!!」
キールの怒りは表面的なものだけではなかった。何か、言い知れぬ嫌悪感…それを、感じたのだ。
「ロブ、あいつらは何者だ? 知り合いなのか?」
その問いに、ロブが口を開く。彼も、気分の悪そうな表情だ。
「……知り合いってほどじゃあないがな。前線で何度か会った。
……ジェノサイダーって名は、聞いたことがあるだろう?」
「ジェノサイダー!?」
キールは驚きを隠さない。それほど、その固有名詞にはインパクトがあった。
セントラ第二前線軍所属、特殊兵装実戦試験隊……通称、ジェノサイダー。
彼らは前線において、あらゆる新兵器の実地試験の任を担うという、
数ある特殊部隊の中でも、特に特別かつ、重要視されている部隊だ。
兵器というものは、試さなくては威力が解らない。そのため、彼らは無理にでも戦おうとする。
殺そうとする。相手が降参しようとも、女子供であろうとも。
彼らの戦った相手は、必ず皆殺しとなる。そのため、付いたあだ名がジェノサイダー(殺戮者)なのだ。
「あの、ジェノサイダーが、奴らだっていうのか…」
キールは、自分の抱いた嫌悪感の意味が解った。
ジェノサイダーにとって『戦い』とは、兵器の試しの場にすぎない。
戦う相手も、ただのモルモットなのだ。
それは、キールの至上とする『戦い』とは程遠いものだった。いや、彼の最も嫌う戦いの観念であった。
それを肌で感じたから、彼は奴らを嫌悪したのだ。
「それがなんで、こんなところに?」
「理由は簡単さ。セントラは大きくなった。世界に敵になる国家など、もうない。
今の最大の敵はエスタールの反乱軍だ。だったら、武器を試すのはそいつらしかいないだろ?」
ロブは平静に言ってみせたが、彼も嫌悪は隠さない。
元々人格者である彼にとっても、ジェノサイダーは忌むべき相手なのだ。
そんな相手と共闘しなくてはならないなんて、苦痛でしかなかった。
「ちっ……まあいい。奴らが何をしようと関係ない。俺の目的は、あの男…カインだけだ!!」
キールは乱れた髪を掻き上げながら、吐き捨てるように言った。
<同日同時刻 セントラルタワー内 魔学研究所>
研究所の一室。そこは照明も点けられず、部屋のあちこちの計器類が時折点滅を見せるだけである。
しかし、部屋はぼんやりと明るい。
それは、部屋の中央の透明な筒の放つ仄かな光のせいだ。
「……ふむ、出力が安定してきてますね……」
部屋に存在するただ一人の男―Dr.アドニスは呟いた。
彼の見つめるものはその筒だ。いや、筒の中に浮かぶ、黒い球体であった。
球体は筒に満たされた液体の中で、鈍い光を放っている。
と、部屋の扉が開き、一人の女性が入って来る。白衣を纏った、柔らかな光を写す美しいブロンドの女性だ。
「……フォーティファイド様、お呼びですか?」
女性研究員はアドニスの名を呼んだ。
「ああ、ミモザ君。ちょっと来てください。」
アドニスは初めて振り返り、いつもの笑顔で彼女を手招く。
ミモザはアドニスの傍らまで歩みよると、次の言葉を待つ。
「…見てくださいミモザ君、この物質を。」
アドニスに促され、筒の中の黒い球体を観察する。
「……例の、セントラル郊外で発見された隕石ですね。」
「そうです。研究のためということで我々魔学研究所が即時に入手しましたから、
これの存在を知るものは軍でも僅かです」
アドニスは常に表情を変えない。笑顔のまま、続ける。
「ミモザ君は、これをなんだと思いますか?」
突然の質問だが、ミモザにあわてた様子はない。
研究者として、そういった質問を受けるのはいつものことなのだろう。
暫時の後、ミモザは答える。
「発見時の高エネルギー反応から考えると、地上物質とは分子構造の異なる、
高重力の宇宙物質だと思いますが。」
「それでは、現在の低エネルギー状態をどう説明しますか?」
ミモザは僅かの逡巡の後、
「地上の重力の影響により、分子構造が徐々に解体されているから…ではないでしょうか。」
と答えた。聞いていたアドニスは微かに笑った。
「それなら、エネルギーは右下がりのグラフを描かなくてはなりません。
しかし、この物質は最初の高エネルギーから一気に下がり、今の状態の低エネルギーになると、
そのままの値を持続しているのですよ?」
ミモザはアドニスの説明に、持論があっさりと崩れるのを知った。
「……それでは…フォーティファイド様はどう思われますか?」
「…私は、これは魔力炉の一種だと思います。」
ミモザは驚きの表情を浮かべる。
「魔力炉? 例の基地で実験中のですか?」
「ええ。」
「し、しかし魔力炉物質は液体のはず…これは完全な固体では……」
「おそらく、これを造った物達は、我々より遙かに優れた精製技術を持っていたのでしょうね」
アドニスは事も無げに言うが、ミモザには理解し難い。
「セントラより進んだ技術?一体どこにそんなものが……」
「例えば、異世界、とか。」
アドニスは微笑みをミモザに向けて言った。
「い、異世界?」
「ええ。別に有り得ないことではないですよ。
世界は幾つも形成されているという可能性は、遙か昔の学者だって言ってることです。
あの『ハイン』も、元々は異世界住人では無いか、と考えてる者もいますし。
ある意味、『神である』という意見より信憑性があります。」
ミモザは言葉を失った。あらゆる可能性―例え神話であっても―を模索できる天才、それがアドニスなのだ。
「そしてもう一つ、気になることがあります。」
アドニスは続ける。
「気になること、ですか?」
「ええ。この隕石が発見されたと同じ日に、現れた者…そう、キール大尉が言っていた、カインという男。」
「………」
「聞いた話だと、彼の能力は我々の人智を超えている。そう、まるで異世界の住人でもあるかのように……」
「…フォーティファイド様は、その男とこの物質の関わりをお考えで?」
アドニスは頷いて、その目を球体へと向ける。
「……この魔力炉は、私の『目的』をより完成へと導いてくれる…
そのためにも、これに関係するものを調べつくし、これを完全に使いこなさなくては。
その時こそ、我が夢の完成……」
ミモザはハッとしてアドニスの方を向く。アドニスの赤い瞳に、強烈な意志の光が見えた。
「しかし、シェリー様、それでは……」
途端に、キッとアドニスがミモザを睨み付けた。
「ミモザ、その名で呼ぶなと言っただろう!?」
その瞬間、そう、その僅かな間だけ、アドニスの笑顔が消えた。
が、すぐにいつもの表情に戻る。
「……その名前は封印したのです。誰にも口にすることは許さない……」
「す、すみません。…でも、それならせめて、アドニス様と呼ばさせてはいただけませんか?
フォーティファイドという名は、あまりにも……」
ミモザが切なげな顔で懇願する。
「……君に『フォーティファイド』と呼ばせるのは、私の当初の怒りを常に忘れないためです。解ってください。」
アドニスは笑って言った。それがミモザには見ていられない。
黙ったまま、うつむく。
アドニスはそれでも表情を変えず、ミモザに別の話題を投げかける。
「……あの新種のガーディアンはどうなりましたか?」
ミモザは顔を上げると、慌てて手にしていた資料を見る。どんなときでも、アドニスの質問は絶対なのだ。
「は、はい、今までに類を見ない強力さですが、あまりに自我が強すぎて、宝石形に固定することが難しく……」
「それで、いいのですよ。」
その言葉に驚いて、顔を上げる。
「ジュエルではガーディアンの能力を限られたものにしてしまいます。
より大きな力を使うには、使用者との、もっと強力な結びつきでないと…そう、精神的な接続が必要です。」
「し、しかし、それに耐えうる者が……」
「いますよ。一人、見つけました。」
アドニスは薄く笑う。
「カシュクバールで生き残ったなら、彼に授けてみましょう。
そうすれば、より異世界人のデータも引き出せます……」
ミモザはこの時、アドニスの全ての思考があの一つの目的のために為されていることを知った。
「それでは、後頼みますね。」
アドニスはいつの間にか部屋の入り口に移動しており、そのまま部屋を後にした。
ミモザは、出ていくアドニスに何も言えなかった。
アドニスの、理由。
「……あの方は、ずっと………」
それを知っていたから、ミモザには彼を止めることができないのだ。
彼女は恨めしげに透明な筒に浮かぶモノを眺めた……
<同日 2100時 エスタール内 通路>
廊下を一人歩くカイン。その肩には、ルーザが乗っている。
いつもであればもう寝る時間のルーザであるが、今日は眠そうな様子はまったくない。
やがてカインは、大きな扉の前に辿り着く。
「部屋にもいないとすれば……ここだな。」
カインは扉のスイッチを操作する。部屋のドアとは違い、多少ぎこちなかったが、なんとか開いた。
その先は…森の木々と、夜空。甲板だった。
カインは甲板に出ると、すぐに目的の人物を見つけた。
一人佇む少女は、ルシアン。
カインは急ぐでもなく歩みよっていく。
「やはり、ここだったか。」
「あ、カイン君。」
ルシアンは驚いたように振り返る。
カインは苦笑した。
「フ、気付いていたんだろう? わざとらしいぞ。」
「あ、やっぱりばれた?」
ルシアンは舌を出して見せる。カインは溜め息をついた。
「呆れた?」
「いや、ほっとしたんだ。思ったより、元気そうだったからな。」
その言葉にルシアンは首を振った。
「ちっとも元気じゃないよ、置いてけぼりなんだもん。」
明日の事を言ってるのだ。
「アタシも、皆と行きたかったなあ〜」
「……どうしてそんなに戦いたがる? 戦いなんて、ロクなもんじゃないぞ。」
カインはルシアンの心底に何となしに気付きながらも、聞いてみた。
「…別に、戦いたいわけじゃないよ。アタシは皆の役に立ちたいの。皆の為に、何かしたいの。」
「………」
「ホントは、パパやママの仇だって、セントラだって、どうだっていい。
革命とか反乱とかも、やらなくったっていい。」
「………」
「ただ、皆と幸せに暮らせれば、それでいい……」
やはり、カインには解っていた。彼女が、望んで戦場を欲しているのではないことが。
しかし。
「それを得るために、戦うのか?」
「……分かんない。ひょっとしたら、皆と一緒にいたいだけかも……」
「だが、結果は同じことだ。直接戦いに出なくても、協力すれば、やってることは同じなんだ。」
カインの言葉は厳しい。彼が幾多の戦場を渡ってきたからこその、言葉だ。
「……それなら…それならもっとだよ!
アタシだけ何もやらない、嫌なことはしない、手を汚さない……そんなのは嫌!!」
ルシアンは真剣な眼差しでカインに食い下がる。カインはその深黒の瞳に宿る輝きを、まぶしく思った。
カインは、笑った。
「解ったよ、ならお前にも仕事をやる。」
「え?」
不思議そうなルシアンに向けて、カインはルーザを飛ばした。
「わっ」
ルーザはそのままルシアンに抱きつく。
「きゅえっ」
「カ、カイン君、これって……」
何のことだか掴めきれないルシアン。ルーザはルシアンから離れて、頭上をクルクルと飛び回る。
「お前の仕事。それは、俺が戦ってる間、そいつを守ることだ。
それで俺は、安心して戦える。お前は、戦争に荷担したってわけだ。」
カインが天を仰ぐポーズをとってみせた。ルシアンの顔いっぱいに笑みが広がる。
「カイン君!!」
「わっ!?」
今度はルシアンがカインに飛びついた。
「ありがとうカイン君、アタシ、がんばるから!」
「あ、ああ……」
かなりどぎまぎしながらも、頷いた。
浮いたままの両手が、何ともし難い。
とはいえ、次第に落ち着いてくる。
『……人は、あたたかいんだな……』
ルシアンの頭ごしの星空を見つめながら、カインは、そんなことを想った。
<同日同時刻 エスタール ブリッジ>
「お願いします!!」
キャプテンシートに座るギムレットに向って頭を下げてるのは、リッキーだ。
ギムレットは含むブリッジ要員達は、明日の作戦に向けての最終点検をしているところだった。
そこに、リッキーが乗り込んで来たのだ。
「いや、しかし、B班は危険だぞ? 脱出チャンスが限られる分、A班より危険かもしれない。」
ギムレットが困惑した顔で言う。リッキーの心中を計りかねているのだ。
「危険は承知の上です! お願いします!!」
リッキーは一度顔を上げて、ギムレットの瞳を見据えると、再び頭を下げた。
リッキーの願いとは、明日の作戦で、自分をシャルトリューズの爆弾工作班に入れてくれ、というものだ。
元々は後方支援のシップ級の乗組員にされていたにも拘わらず。
どっちが危険度が高いかは一目瞭然だ。普通、考えられない提案である。気弱なリッキーなら尚更だ。
「それにしても、どうしていきなりB班に入りたいなんて言い出したんだ?」
ギムレットの疑問は、当然の事だ。
リッキーは唇を噛み締め、顔を上げる。
「……僕は…僕はこのままじゃだめなんだ。強く、もっと強くならなくちゃ、僕は……だから!!」
その表情から、揺るぎない決意が伝わってくる。ギムレットがかつて見たことのある…
「…解った。リッキー、お前をB班に加えよう。」
「!! ありがとうございます!」
リッキーは喜びの表情に変わる。それは、少年のそれだ。
ギムレットは、若すぎる命を、死の危険にさらすことに不安を感じずにはいられなかった。
リッキーが喜び勇んで出ていった後、操舵士のパナシェが口を開く。
「艦長、いいんですかい? あいつは戦向きなタイプじゃありませんよ。」
彼もギムレットの古い戦友だ。その言葉はギムレットも同感だった。
だが。
「……あいつの目に、隊長と同じ光を見た。」
「ジン少佐と!? そうか……」
パナシェは頷いて、もう何も言わなかった。それだけの力が、「ジン」にはあったのだ。
「……ああいう若い力が、何かを変えていけるのかもな……」
そのギムレットの呟きを聞いた者はいなかった。
そして、夜は明ける。それぞれの、想いを乗せて……