第二章 竜の吼える日
運命は再び、彼を戦いへと導く。
運命?……否。それは彼自身の求めるものだったのかもしれない。
戦えば、彼は存在の理由を感じられる。
戦えば、彼には仲間ができる。
戦えば…………。
竜は吼える。
戦いにしか生きられない哀れな男を想ってか。
それとも、彼の真実を憂いてか………
〜 1 〜
世界国家セントラ。高度に発達した科学と、森羅万象を超越した魔学の融合によって、
全てを治める、文字通り世界最大の国家である。
その国の原初たるセントラ大陸、その中心にセントラの首都セントラル・シティはあった。
「中央」の名が示すとおり、セントラル・シティはセントラの中心であり、と同時に、世界の中心でもあった。
さらにその中心には、世界最高の建築物セントラルタワーがある。
政府、軍の鎮守府、さらには魔学研究所まで、全てそこに収められている。
まさしく、セントラの心臓部であり、ブレーンであった。
そのタワーの一角を歩み行く一人の男がいる。
都市治安部隊の特殊な軍服に身を包み、その上にはライトアーマー。腰には、大剣。
背はすらりと高く、引き締まった身体は相当に鍛え上げられている。
顔立ちはよく整っており、十分に美形といえるだろう。
ただ、そこにはどこか気位、プライドの高さを感じさせるものがある。
さらに、いつもであれば自信に満ち溢れているであろうその表情は、今日は眉間に皺がよる程険しい。
そのため、余計に近寄りがたい印象を与える。
その左頬には、大きな白いバンソウコウが張られていた。
そして、最も特徴的な紫の髪と瞳。
そう、彼こそはキール=アンペリアルである。
彼は、今屈辱に打ち震えていた。
彼の父は軍の高官であった。セントラはおろか、近隣にまで名を轟かせた、生粋の武人である。
ただ、長らく後継ぎが生まれず、50にもなろうかいう時やっと生まれたのが、キールである。
その分、彼に寄せられる期待は大きかった。
キールは幼い頃から、軍人としての徹底した英才教育を受けた。
また、彼もその期待に応えようと、率先して学んだ。
彼は、あらゆる面で負ける事を許されなかった。勝つ事が義務であった。
そのため、その軍人教育は苛烈を極めた。普通、子供に耐えられるものではなかった。
しかし彼は、天性の資質と、父の期待に応えたい一心で、耐えぬいた。
やがて15歳で士官学校に入学。そこでも、彼はずば抜けた存在だった。
入学後まもなく父が病死するが、彼の歩みは止まらなかった。
彼にとって、もはや強くなるのは父のためではなく、自分の意義になっていたのだ。
彼はあらゆる教科に優れたが、中でも近接戦闘に関しては非凡な才能を発揮した。
剣においては試合はおろか、訓練でさえ在学中に敗北したことは一度も無い。
いや、それは卒業してからも同じであった。
卒業後、無論彼は軍に入った。当然のごとく出世していく。
それは父の名に因るものではなく、彼自身の実力からだ。
そして彼は24歳という若さで、エリート中のエリートと言われる首都治安維持部の第三特務隊、
通称・治安剣士隊の隊長の座についたのだ。
第三特務隊はソード装備の隊で、剣のエキスパートが集まっている。
つまりキールの剣の技が特に認められたワケだが、それにしてもその出世スピードは異例のことであり、
回りからの嫉妬の目も少なからず向けられた。
しかし彼は自分に対する絶対の自信と誇りから、そんな嫉妬や嫌がらせなど物ともしなかったのである。
まさに、軍人としては栄光の人生であると言って良い。
その彼が、屈辱に震える程のこととは。
「………カイン=ハイウィンド……ッ」
どこの者ともしれない、一人の男、カイン。彼のせいだ。
反乱分子の拿捕に失敗したこともあるが、それより、一対一で敗北した方が大きい。
いや、それは敗北というほどのものではないかもしれない。
あのまま戦えば、キールが勝っていたかもしれない。
だが、キールはそんなことは微塵も思わない。
絶対の自信を持つ近接戦闘において、キールは圧された。さらに、G.J.も破られた。
そしてなにより、自分は一撃くらいながら、相手には傷一つ負わせることが出来なかったのである。
それは、キールにとって十分すぎる敗北の条件であった。
左頬に触れる。大した傷ではない。が、それ以上の傷が、彼のプライドには残されていた。
「……おのれ、今度会った時には、必ずッ」
彼は、やられっぱなしでいる訳にはいかない、そういう人間であった。
やがて彼は、一つの扉の前に辿り着く。扉横のキーを操作する。
扉上部には、点滅するランプ。エレベーターだ。
やがてランプが、この階を示す位置で停止する。と同時に扉が開く。
するとそこには、既に先客が乗っていた。軍服に身を包んだ一人の男。
背はキールより高く、体つきもガッチリしている。
「よお、キールじゃないか。」
「…ロブか。」
ロブと呼ばれた男は、にこやかな笑顔を返した。
ロバート=マグレガー。その赤毛から、通称ロブ=ロイ。
歳はキールより一つ上ではあるが、士官学校時代の同期である。
また、彼はキールと主席を争ったほど優秀でもあり、キールとともに同期の出世頭でもある。
現在は、フォルト級飛空艦の艦長である。キールほど特殊な位ではないが、それでも異例の出世である。
だがプライドの高いキールと違って人当りも良く、キールよりずっと大人でもある。
そんな彼の気性と、お互いの実力の認め合いから、二人は親友と言っていい間柄であった。
キールは遠慮なくエレベーターに乗り込むと、壁にもたれ掛かった。
扉がしまり、動きだす。
「……どうした、随分ご機嫌ナナメじゃないか。例の手配人物を取り逃がした事か?」
ロブは同じく壁にもたれて話しかける。キールにこんな事が言えるのは、彼位だろう。
キールは視線を向いの壁に向けたままだ。
ロブは続ける。
「…そんなに気にするなよ。
あれは、隊の移動中に偶然遭遇したんだろう?いくらお前でも、逃がしたって仕方ないさ。」
キールは視線をそのままに、口を開く。
「……そのことじゃない。」
「え?」
問い返したが、キールは再び黙ってしまう。
ロブは、軽く溜め息をついた。
「…やっぱお前、治安部隊には向いてないんじゃないか?
俺の艦の兵士になって、前線に出た方がいいかもな。」
「……ああ、頼むことになるかもな。」
予想外のキールの応えに、ロブはギョッとする。軽い冗談のつもりで言ったのだ。当たり前だ。
フォルト級艦の一兵士と治安部隊の隊長とでは、格が違いすぎる。
「お前、ホントにどうしたんだ?いつものお前らしくないぞ?」
「どうもしないさ。ただ、俺はヤツと戦えるんなら、特務隊長の座なんて、何時でも捨てる!」
察しの良いロブは気付く。きっと、反乱分子の者と何かあったのだろう。
そしてコイツは、地位より己のプライドを取る奴だ……。
エレベーターが止まり、扉が開く。二人は、供に降りた。
「ロブ、お前もこの階なのか?」
「ああ、将軍に呼ばれてな。お前もかよ。」
「……まあな。」
二人はそのまま歩いて行くと、一つの巨大な扉の前で立ち止まった。と、扉に向い敬礼する。
「キール=アンペリアル大尉、参上しました!」
「同じくロバート=マグレガー大尉、参上しました!」
『入るがよい』
どこからともなく声が響いたかと思うと、扉がゆっくりと開きだす。
そこは、広大な執務室であった。中央には、会議用の円形のテーブルと椅子。
その先には、壇があり、豪奢な座が置かれていた。
そして、それに身を預けている男こそ、二人を呼んだ人物である。
ザルツ=シュプリッツェン大将。セントラル周辺守備隊および治安維持隊を統括する将軍だ。
また、実質上の軍の最高指導者でもある。
軍の位的には、まだ上に元帥がいるし、他の大将もいる。しかし、彼に口出しできはしない。
それは、彼こそが現在のセントラの軍事政策を作り上げた人物であり、
また、最大の兵力を誇る首都の軍を握っているからだ。
そしてなにより、彼には強力なバックボーンがあった。
キールとロブはまだ部屋の外で最敬礼している。
「こっちへ来たまえ。」
ザルツ大将が声をかける。それでようやく二人は、部屋に踏み入った。
と同時に扉がゆっくりと閉まっていく。
二人は壇の前まで来ると、直立不動となった。
「閣下、お呼びでしょうか。」
「うむ。キール大尉、先日は反乱分子と交戦したそうだな。」
ザルツの言葉に、キールは身を固くする。
「申し訳ございません、このキール、不覚をとってしまいました。」
キールは深く頭を下げる。だが、ザルツは怒った風ではない。
「よいよい。咎めようというのではないのだ。ただ、聞きたいことがある。」
その言葉に、キールは頭を上げる。
「聞きたいこと、と申しますと?」
「貴公の隊から連絡を受け、反乱分子を追った周辺守備隊の艇が、四つも墜とされた。
それは、知っているな。」
「はい。」
「だが、救助された連中がおかしなことを言う。飛んでくる人間に墜とされた、とな。」
「!!」
キールにはそれが何を指すのか、すぐに解った。自分に屈辱を味あわせたあの男……。
「……やはり、心当たりがあるのだな?」
「はい!妙な鎧をきた男です。名を、カイン=ハイウィンド。
今までの反乱分子手配には登録されていない、新顔です。」
「そうか、まさか本当に艇を墜とせる人間がいたとはな……アドニス殿、どう思う?」
ザルツが振り向いた。
キールもロブも今まで気付かなかったが、そこには二人の男女がいたのだ。
その男の方は、キールも知った顔だ。
(Dr.アドニス?こんなところにまで……)
「そうですね。サンプルデータとしては興味あります。」
壇後方から歩み出てきて、白衣を羽織ったその男が言った。
細身であり、非常に線の細い印象を受ける。肌も透き通るように白い。
一見して優男風であるその顔は、常に微笑みを湛えている。肩までの銀髪も印象的だ。
彼こそ、国家直属の魔学研究所の所長であり、セントラ最高の頭脳と称えられる、
若き天才・フォーティファイド=シェリー=アドニス。Dr.アドニスその人である。
魔学研究所はただの研究機関ではない。
その研究の是非が、軍のみならずセントラ全体に影響するのだ。
権力的にも、政府から独立した機関である分、強力であると言っていい。
巷でも「セントラの今日を決めるのは軍であり、明日を決めるのは魔研である」と噂されるほどだ。
その魔研との繋がりこそが、ザルツの権力源の一端であった。
士官でもないアドニスに中佐の位を与え、相談役にしていることからも、それがいかに重要であるかが解る。
「……どちらにしろ、やっかいな相手にはなるでしょうね。」
そう言いながらも、微笑んでいるままだ。アドニスの真意は、誰にも読めない。
「おそれながら!」
キールが一歩前に出て片膝つく。
「このキールに、反乱分子追跡の任をお与えください!そして、ヤツともどもこの手でッ」
握り締めた拳が奮えている。
「逸る気は解らんではないが、奴等の位置も掴めてはいまい?何処を追うというのだ。」
「……クッ」
キールが唇をかみ締める。ザルツの言う事は尤もだ。
エスタールは常に移動する本拠地であり、だからこそ補足が難しいのだ。
「居所は掴めなくても、来る場所なら解りますよ。」
アドニスがさらりと言ってのける。
「何、本当かDr.アドニス?」
「ええ閣下。今、御覧にいれます。ミモザ君。」
「はい。」
アドニスの後方に控えていた白衣の女性が、壁に備え付けられているモニターを操作する。
すると、セントラ大陸の地図が表れた。アドニスはその前に立つ。
「……彼らに今一番足りないもの、それは武器です。」
ザルツも大きく頷く。
「そうだ。膠着しているのもそれによるところが大きい。」
「ええ。ですが、膠着状態が長ければ、余計にこちら側が軍備を整えることとなります。
だから、彼らとしては早い内に行動を起こしたいはずです。
その為には、やはり武器を確保しなくてはならない。
で、手っ取り早いのが、相手から武器を奪うことですね。」
「我が軍の武器庫を襲おうというのか?」
「そうです。多分、今回の偵察は、武器庫の管理・防衛体制を調べるのが目的だったのでしょう。」
「それじゃあ、奴らはまたセントラルに来るってことですか!?」
キールがいきり立つ。
「いえ、それはないでしょう。首都まで来る危険は、今回十分解ったハズです。
それに、その偵察がバレたせいで、首都の防衛は現在より厚くなっています。」
「それでは、一体何処に?」
「……武器を盗めないなら、相手にも増やさせなければいい。そうでしょう?」
アドニスが意味ありげに片目を瞑ってみせる。
「………………! 武器工場が狙い!?」
ロブがいち早く気付いた。
「御名答。しかも、うまくいけば納品前の武器を手に入れることが出来ます。
工場の破壊と合わせて、正に一石二鳥ですね。」
まるで他人事のようにアドニスが言う。
「しかし、工場といっても一つではないぞ?どこにくるかも……」
「ご安心ください閣下。それは多分ココですよ。」
アドニスは、大型モニターの一部分を指した。
「カシュクバールの武器工場?どうして解る?」
「単純な話ですよ。ココは最大級の工場であると同時に、首都から最も離れています。
おそらく、ココに間違いないでしょう。」
キールもロブも、アドニスの分析力に舌を巻いた。さすがに、ただの研究員ではないらしい。
当のアドニスは、そんな驚く二人をニコニコと眺めているが。
「よし、それでは至急軍備を整えよう。ロバート大尉!」
「はい!」
「貴公には前線部隊から首都防衛隊に戻ってもらうつもりだった。
その初仕事だ。貴艦で早速、武器工場に向ってくれ。」
「は、直ちに!」
ロブが立ち去ろうとする前に、キールが歩み出た。
「閣下、私にも出撃許可を!!」
だが、ザルツは頷かない。
「貴公は治安維持隊であろう? そちらを優先せよ。」
しかしキールも食い下がる。
「それなら、治安維持隊の任から下ろし、ロブの部下にしてください!お願いします!!」
「キール、お前……」
付き合いの長いロブには、キールの気持ちが解っていた。
キールにとって一番大切なものは、位ではないのだ。
それは彼が、地位ではなく、自分自身にプライドを持っているからであろう。
「閣下、行かせてあげてもよろしいのではないですか?この作戦中だけでも。
それに、敵も作戦中なら首都の治安が乱れることはないでしょう。」
アドニスも口添えする。やはり、ザルツにとって、アドニスの意見は大きい。
「……解った。そこまで言うのであれば、ロバート大尉と供に行くがよい。」
「ありがとうございます、閣下!!それではキール大尉、出撃します!」
一礼すると、ロブと供に退室しようとする。再び、扉が開く
「あ、待ってくださいキール殿。」
止めたのはアドニスだ。
「なんでしょう、Dr.アドニス。」
「これをどうぞ。」
アドニスが渡したのは、一粒の宝石――ガーディアン・ジュエルだ。
「……これは?」
「新しいG.J.です。ファントムでは、貴方には役不足でしょう?」
「……そうですか、それでは有り難く頂戴します。」
キールはそれを受け取ると、ロブを伴って扉の向こうへ消えた。
少しの間の後、ザルツが口を開く。
「……Dr.アドニス、何故キールを行かせるよう勧めた?」
「先程言った通りです。他意はありませんよ。ただ……」
「ただ?」
「……彼はG.J.を使う天賦の才があります。
ですから、そのカインとかいう男にどこまでG.J.が通用するかを見るのには、最適ですね。
そのカイン自身のデータも欲しいですし。」
そう言いつつも、笑みを強くする。
ザルツには、彼が研究に強く好奇心を抱く学者として映っただろう。
しかし、彼の瞳の奥の光には気付かなかった――