2日後、3人はカームの街に着いた。ここまで来れば、ミッドガルまでもう目と鼻の先である。ほとんど傷の癒えたヴィンセントは、すっきりとした格好で食糧やこまごまとしたアイテムを買いにいき、イファルナたち母子おやこ)は洋服屋のほうに消えた。
 ヴィンセントが目的のものを仕入れて待ちあわせの場所に向かおうとしたとき、武器&防具屋からでてきたイファルナたちとちょうど鉢あわせした。
 何故こんなところから、と思うより早く、エアリスが駆け寄ってきて満面の笑みを向ける。
「見て見て! お母さんに買ってもらったの!!」
 そう言って、栗色の髪をきれいに結っているごく普通のリボンを得意そうに見せる。彼女にとって、これが生まれて初めて母親からプレゼントされたものなのだ。うれしさもまたひとしおである。
「おじさんの分もあるの!」
 そう言って、エアリスは嬉々として小さな袋を差し出した。
「えっ?」
 さすがに唇の端が引きつる。いくら結える長さの髪だからといって、まさかリボンをプレゼントされるとは思わなかった。
「エアリス、ちゃんと言わなくちゃだめでしょう」
「わたしが選んだの! おじさんに似合いそうなの」
 大きな袋をかかえたイファルナに、やさしくたしなまれて付け足された言葉は、やはりヴィンセントを困惑させた。
「ねえねえ、開けてみて、早く」
 せがまれて、とりあえず袋を開けてみる。
「これは……」
 中から出てきたのは、リボンではなく赤いバンダナだった。
「前髪、いつも邪魔そうだったから。つけてみて?」
「あ、ああ……」
 珍しく動揺を露にしながら、額を覆うように巻く。
「わあ、似合う似合う! おじさん、かっこいいっ」
「本当に、よく似合うわ」
 イファルナにも太鼓判を押され、さらに通行人からも注目されて急に照れ臭くなる。
「それから、これはわたしから」
 手渡された大きな包みの中には、金色のガントレットがあった。保護するためのものではない、左腕を隠すためのものだ。
「……ありがとう」
 こぼれるように、自然と言葉がでてきた。
 そのとき、ヴィンセントの耳が通行人の言葉をとらえた。
「神羅軍が到着したぞ」
「やれやれ、ありがたいんだかありがたくないんだか」
 さっと緊張する。追手とは思えなかったが、用心に越したことはない。ヴィンセントは素早くガントレットを装備すると、イファルナに神羅軍到来を耳打ちした。
「普通に振る舞って、車に乗り込んだら何があってもそのままミッドガルまで行く。あとはどうにかなるだろう。いざとなったら、わたしが連中を引きつける」
「あーっ、内緒話はいけないんだ。なに話してるの?」
 エアリスが母親の袖を引っ張りながら背伸びする。
「すぐ、ミッドガルに行きましょうって」
 イファルナはそう言って娘の頭をなでながら屈みこむと、ぎゅっと抱きしめた。幼い利発な娘から、勇気を分けてもらおうというように。
「でも……」
 エアリスは急に渋ると、今度はヴィンセントのマントをつかんだ。
「ミッドガルについたら、おじさんとはさよなら、なんでしょ?」
「そういう約束だ」
 母子おやこ)と別れの時が近づいており、少女がそれを渋っているというのに、やはりヴィンセントは素気ない。
「ねえ、ミッドガルに着いても、一緒にいてくれてもいいでしょ?」
 街の入り口前の大広場を横切りながら、エアリスが懇願する。
「だめだ、わたしには戻らなければならないところがある」
「どこ?」
 過去へ――。危うくそう答えそうになり、さすがに思いとどまる。
「遠くだ。とても遠いところに」
 エアリスは、素直にふくれた。
「じゃあ、もう会えないの?」
「そうだな」
 少女に対して、空飛ぶおじさんはあくまでも無表情である。
「でも……」
 言いかけて、小さな足がぴたりと止まる。視線の先には神羅の青い制服があった。軍用トラックを街の外に停め、初めに降り立った兵士たちだ。
「お……おじさん」
 大胆なはずの少女の声音が初めて震える。エアリスにとって一番の恐怖は、再び“獄”に連れ戻されることだろう。
 こちらの車はまだ見えない。追手ではないにしろ、戦時中とはいえここは駐屯地ではない。何故軍がこの街にやってきたのかがわからなかった。モンスターを狩るため、という発想は、このときのヴィンセントにはなかった。いずれにしろ、不用意に顔をさらすわけにはいかない。追手ではなくても軍内部に手配書は出回っているかもしれないのだ。
 兵士たちが街に落ち着いてからでは遅すぎる。が、今逃げるのは得策ではなかったかもしれない。しかし……今しかないのだ。ヴィンセントは何か大きな荷物をかかえているイファルナに、買物袋を――当座の食糧が入った袋を持たせて前を歩かせ、自分はエアリスを庇うように真後についた。
 街を出ると、兵士たちが幾台ものトラックに群がって、武器が入った木箱や備品を運びだしているところに出くわした。彼らを指揮していた将校が、自分たちと入れ違うようにカームから出て行こうとしている一行をちらりと見、なんだ、といいたげにすぐに顔をそむけた。が、ほっとしたのも束の間だった。将校はやにわに振り返ると、何かを思い出そうとしているかのようにヴィンセントを凝視した。
 ヴィンセントは、そっとホルスターに手を伸ばした。車まで、あと約十メートル。
「おい、お前」
 将校が小首を傾げながら近づいてきた。エアリスがびくりと震えるさまが、ガントレットを通して伝わってくる。
「ちょっと待ってくれないか。もしかして、お前……」  ヴィンセントは左手でエアリスの肩をつかんで一緒に振り向かせざま、銃口を将校に突きつけた。
 将校がぎょっとして立ち止まり、すばらしい速さで銃を抜く。とっさに気づいた兵士たちも、ホルスターに収まった拳銃や携帯していたマシンガンに手を伸ばした。
「動くな」
 決して大きくはないが、よく通る低い声がその場にいた全員の動きを封じる。
 ピースメーカーの銃口は、エアリスのこめかみに向けられていた。
「エアリス!!」
 振り返ったイファルナが悲鳴をあげる。エアリスは事態を把握しきれずに困惑し、ヴィンセントを見あげていたが、兵士たちが申しあわせでもしたかのようにいっせいに空飛ぶおじさんに銃口を向けると、力いっぱい叫んだ。 「やめて!!」
 だが、兵士たちはそれがヴィンセントを庇うための台詞だとは取らなかった。
「車に乗れ。運転席だ」
 ヴィンセントは車ににじり寄りながら今度は銃口をイファルナに向け、淡々と命じた。イファルナが運転できることは、自分が怪我をしていたときに替わってもらっていたので知っている。
「ど……どうして……?」
 何が起こっているのか理解できずに、車のそばまで来ていたイファルナはその場に立ち尽くした。
 その足元に、銃弾が飛ぶ。
 兵士たちに緊張が走る。が、発砲することはできなかった。ピースメーカーは、再び少女のこめかみに向けられていた。
「ば……ばかな真似はやめろ」
 将校が銃を持った手を挙げて、説得にかかる。あまりに突然すぎて状況がまるでわからない。てっきりこの3人は親子か知りあいだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。そういえば、この男はずっと少女の真後にいた。そのときから(理由は定かではないが)男はすでに少女を人質にとっていたのかもしれない。不用意に自分が話しかけたため、ばれたと思ったのだろう。
「娘の命が惜しかったら、車に乗るんだ」
 ヴィンセントに高圧的に命じられて、ようやくイファルナは状況を把握した。ヴィンセントは自分たちを人質にした振りをして、この場を切り抜けようとしているのだ。車の鍵は、買物袋を受け取ったときに渡されている。とっさに思いついた芝居だろう。だが、そう思っても困惑を隠すことはできなかった。そのうろたえぶりが、兵士たちには「哀れな人質」に映る。
 イファルナは震える手で運転席側のドアを開け、荷物を後部座席に放りこんでから乗りこむと、助手席側のドアをを開けた。さらにエンジンをかけて二人が来るのを待つ。
「ど、どうして、おじさん……?」
 エアリスは、ただ、空飛ぶおじさんに銃口を向けられている事実に耐えられなくて、半分泣きそうになって訴えた。恐くなどない。どうしておじさんが、急に『悪い人』みたいになってしまったのかがわからないだけだ。初めは、ふざけているのかな、と思った。けれども、おじさんは、こんなふうにふざけたりしない。絶対にお母さんに向けて銃を撃ったりしない。しない、しない、しない!!
「やだっ!」
 車の真横でそう叫んだとき、エアリスは何か不思議な力が全身を満たすのを感じた。
 それは、普通の人間にはなんでもない力だった。だが、ジェノバ細胞を小量でも宿す者には、絶大な効果があった。
 もしも車がなかったら、ヴィンセントの体は遠くまで弾き飛ばされていただろう。派手な音をたてて背中をしたた)かに車にぶつけ、一瞬金縛りにあったように硬直する。
 突然起こった背後での大きな音に、何が起こったのかわからないまま、エアリスが驚いて振り返る。
 その、目の前で、数発の弾丸が空飛ぶおじさんの身体を貫いた。
 心臓と、右肩と、額を。
 返り血が、わずかに顔にかかった。
 悲鳴をあげる前に、おじさんが動いた。
 ヴィンセントはエアリスをつかみざま投げるように助手席に放り、ただ、「逃げろ」と言った。
「乗って、早く!」
 てっきり二人一緒に乗り込むと思っていたので、後のドアは閉ざされたままだ。イファルナは叫びながら後のドアを開けようとした。それなのに――アクセルなど踏んでいないのに、助手席側のドアが閉じると同時に、いきなり車が発進した。
「おじさん!」
 エアリスが悲鳴に近い絶叫をあげる。
「とめてお母さん、とめて、早く!!」
 そうしたいのはイファルナも同じだ。が、彼女にはわかっていた。彼には、手を触れずにものを動かす力がある。彼は、その力を使って車を動かしているのだ。ただ、どうして自分だけ残ることにしたのか、それだけがわからなかった。銃声がして彼が撃たれたことはわかったが、たとえ急所に当たったとしても、普通の弾丸では彼の命を奪うことはできないはずだ。――そうではなかったのか? 弾丸は彼の急所にあたり、彼は……死を間近にして残ることを選んだのか?
「おじさん! おじさん! おじさん!!」
 エアリスの叫び声をかき消すように、凄まじい銃声が鳴り響く。その音が遠くなった頃、ようやくハンドル操作がこちらの思うようになった。だが、イファルナは戻ろうとはしなかった。彼は逃げろと言った。その意志を無にすることはできない。
 何度も聞いたのに、結局、彼は一度も名乗らなかった。
 命の恩人の名前も知らないなんて。
 いつしかエアリスの叫びは嗚咽にかわり、イファルナも流れ落ちる涙を懸命にぬぐいながら、震える手でハンドルを握り続けた。



 初めに銃弾を浴びたとき、ヴィンセントは、もう二人と一緒に行くことはできないと悟った。だから「逃げろ」と言い、車を走らせた。
 神羅軍の意識をこちらに向けさせるため、兵士たちに銃口を向けて、あたらないように発砲した。
 とたんに、全兵士の銃弾がヴィンセントに集中した。
 真新しいガントレットに傷がつく。ピースメーカーが弾かれて空を舞う。だが、拳銃が地面に落ちる前に、ヴィンセントはその場に崩折れ、惨状を隠すかのようにマントがその上を覆った。
「やめろ!」
 将校の鋭い一喝を最後に、いきなり静寂が辺りを満たす。
 将校は、静寂を乱すことを恐れるように静かに男の死体に近づいていった。それにならうように、近くにいた兵士たちも恐る恐る前進する。
 知っている男に似ていたような気がして、声をかけただけだった。
 この男が何者なのか、いったい何をしでかしたのかなど知る由もない。今から思えば、男には初めから人質を傷つけるつもりはないようだった。もしも自分が声をかけたりしなかったら、男はこんなところでこんな惨めな最期を遂げることもなかっただろう。
 そんなことを思いながら半分ほど進んだとき、マントがぴくりと動いた。
 将校の足がとまる。それに気づかなかった兵士たちはなおも近づこうとしたが、将校に身振りでとめられ、黙ったまま再び銃を構えた。
 死んだはずの身体が急速に何倍にもふくれあがり、貫通した銃創を埋め、体内に残っていた弾丸を全て弾きだしながら、男はゆっくりと立ち上がった。
 兵士たちは、このとき悲鳴をあげるか、ただ絶句して息を呑むか、そのどちらかしかしなかった。
 そこには、人間などいなかった。見たこともない巨大な人型モンスターが立ちはだかっていた。
 再び集中砲火が始まる。だが、弾丸はモンスターに傷ひとつつけることもできずに、まるでおもちゃの銀玉のようにモンスターの足元に散らばった。
「逃げろ!」
 幸いモンスターの動きはそれほど早くない。得物の弾丸が底をついた将校は、そう叫ぶとカームの街を指差した。すでに浮き足だっていた兵士たちは、号令を聞くなりいっせいにカームに殺到した。
「トラックに逃げても無駄だ、荷物もいい、とにかく一旦街に逃げるんだ!」
 豪胆な将校は、側近たちに守られながらも全兵士が逃げるまで街に入ろうとはしなかった。その間に、少しずつモンスターはこちらに近づいてくる。
 人間がモンスターになるなど今まで聞いたこともない。だが、実際男は急所を撃たれ、さらに何十――いや何百発もの弾丸を身体に撃ちこまれたのに死なず、モンスターに変身したのだ。動きがぎこちないのは、変身した身体にすぐに慣れることができないからか……。
 今が、チャンスなのかもしれない。
 こんな奴をいつまでものさばらせておくわけにはいかない。
 とっさにそう思った将校は、奪うように側近からマシンガンをもぎとり、再びモンスターに乱射した。もう兵士たちは街に逃げ切っている。残るは自分たちだけだ。
 側近たちも全員がそこに踏みとどまり、銃の引き金を引く。ただマシンガンを上司に取られた兵士だけが、新たな得物をとりにトラックに走る。
 先程よりはずいぶんと至近距離になっているのに、モンスターはやはり応えたふうもなく、ゆっくりと近づいてくる。
 少しずつだが確実に距離が詰まる。
 どうして死なない! 誰もがそう思った。
 どうして逃げない! ヴィンセントはかろうじて残った意識の中で、そう叫んでいた。
 いかに強靭な意志でモンスターの力を抑えつけていても、致命的な傷を負うと制御ができなくなる。変身しないわけにはいかなくなるのだ。さらに一旦変身してしまうと、自分に立ち向かってくるものはそれが何者であれ、殺さずにはいられなくなる。
 だから、逃げる時間を与えるために、この猛烈な破壊衝動を抑えているのだ。相手が人間でさえなければ、事は一瞬ですんでいた。あのとき――将校が号令を下す前から逃げ出していた兵士さえ、余裕で殺せるだけの能力を存分に発揮しさえすれば。
 誰もいなくなれば、いずれ衝動は去っていく。だが、立ち向かうものがいると衝動はより激しさを増し、ヴィンセントから理性を奪う。
 殺したくない。殺したくない。殺したくない。
 だが、いくらそう思っても動きを完全に抑えることはできない。
 全身が渇望している血を、肉を、見てみたくて仕方なくなる。
 獲物を裂く感触を、力を出しきる快感を味わってみたくなる。
 もうだいぶ近づいたというのに、誰一人逃げようとしない。
 きっと、赤い服を着た男(将校)のせいだろう。この男さえ逃げ出せば……。
 そう思って矛先を赤い服の男に向けると、彼を庇うように青い服に金色の襟章をつけた男たちがその前に立ちはだかった。かなり部下に慕われている上官なのだろう。神羅にもまだそんな男がいるのか。そう思う一方で、そんなに死にたいのか、とも思った。
 死にたいのなら叶えてやる。苛立ちが殺意に変わり、赤い服の男を凝視する。
 そのとき、何かが脳裏をよぎった。
 ………男を、知っているような気がした。
 そんなはずはない。
 神羅の軍人に知りあいなどいない。……今は。
 そう、今は、いない。だが、昔は違う。
 遠い昔。記憶の奥底に封じ込めてしまったはるかな過去。
 神羅の入社式で知りあい、1年間同じ部署にいた男。その後異動で自分は総務部に配属になり、タークスになった。男は、新設されたばかりの軍に配属され、望まないまま軍人となった…………
 何十年ぶりかで、懐かしさを覚えた。
 ずいぶんと面差しが変わって貫禄がでているが、間違いない。
 彼なら、自分が以前何色の瞳をしていたか覚えているかもしれない。
 そう思って、今自分がどんな姿をしているのか忘れて、ゆっくりと右手を差し出した。
「久しぶりだな」
 そう言いたかった。声など出るはずもないのに。だが、ヴィンセントがそのことに気づく前に、かつての友人が叫んだ。明らかな憎悪をこめて。
「くたばれ、化け物!!」
 差し出しかけた異形の手が、とまる。
 そのとき、トラックで新たな武器を手にした兵士が、仲間に逃げるように叫んだ。手に持っているのは手榴弾だった。
 ヴィンセントはその忠告を聞いていなかった。手榴弾がいくつか投げこまれたことにも気づかなかった。
 凄まじい爆発が起こり、大気を、地面を震撼させる。
 爆炎がおさまり、将校たちが戻ってくる。だが、地面に大きく穿うが)たれた穴にも、もちろん周辺にも肉片ひとつ落ちておらず、モンスターの姿はどこにもなかった。

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