PFM '75 来日公演ライブ・レポート その2
by 烏天狗さん


PFM 来日公演レポート〜PFM'75 その(2)

 (その1)では、75年1月日本発売の『PFM Live,Cook!』を聴いた以降の自分とPFMとの関わりを書いたのですが、今回は、実際に初来日コンサートに行くまでの経過を記しておこうと思います。

 そもそも僕が来日の話をいつどこで知ったのかは残念ながら記憶が定かではありませんが、雑誌『音楽専科』8月号(7月発売)には、

  ■PFMは11月に延期となりました

と記載されているので7月より前のことだと思います。最初は9月来日だったのではとの記憶もあるのですが確信はありません。

続く9月号では、

  ★PFM11月下旬初来日決定
   11月23日(日)東京=渋谷公会堂
      25日(火)大阪=厚生年金
      28日(金)名古屋=市公会堂
      29日(土)東京=中野サンプラザ・ホール
   開演は6時半。入場料はS=3000、A=2500、B=2000、C=1500円。
   問い合わせはウドー音楽事務所(東京400・○△×□)

と記載されていて、ご丁寧にもラインマーカーが塗ってありました。当時の自分はかなり気合が入っていたようです(苦笑)。それにしてもS=3000円って今に比べるとずいぶん安いですね。日本盤のLP1枚がちょうど2300円から2500円に上がった頃で、ヨーロッパ盤が少なくとも3200円以上はしたと記憶してますので、かなりお得感があります。

 実際のチケット発売日は今となっては手元にある資料等では不明で、どこで買ったのかの記憶も全く欠落しているのですが、チケットの裏面には、小田急赤木屋プレイガイドのスタンプが押してあるので、新宿あたりまで早々に買いに行ったように思えます。当時のチケットは今みたいにチケットぴあなんぞはなかったので、オンラインで席が決まるのではなく、各地に点在するプレイガイドにあらかじめ席順が割り当てられた
現物チケットが置いてありました。だからより良い席を探すのにプレイガイドのはしごをする人も居たと思います。(恐らく交通の便の良い店ほど早く良い席のチケットから売れていったのでしょう。)

 また、チケット自体も今みたいに味気ないものではなくって、各アーティスト毎に個別にデザインされていました。

 例えばYahooとかで検索すると下記みたいな頁で当事のチケットが見れます。
  http://www.led-zeppelin.co.jp/ticket/tickin.html
  http://www.ne.jp/asahi/mangaichi/home/ticketheaven/index.htm
  http://homepage1.nifty.com/mfm003/ticket/ticket.htm
  http://www.bremen.or.jp/hemmi-m/rock70s/pfm.html  (PFMのはここにありました。僕と同じ日です。)

 ちなみに僕のチケットは11/29サンプラザの1階13列27番でした。

 10月号では特に記事はありません。続く11月号(10月発売)では、2ページに渡って佐藤斗司夫氏による来日に期待する旨の記事が掲載されていました。ここでは、彼らの経歴の他、初来日の期待として2点を挙げています。1つ目は新しいボーカリストの参加。2つ目は、7月から制作しているニューアルバムが『チョコレート・キングス』であり、来日記念盤として11月25日頃に発売になるという事です。

僕自身の期待としては、
 1.『PFM Live,Cook!』の日本での再現
 2.『PFM Live,Cook!』以外の曲は何を演奏するのか?
   初期の曲は演奏するのか?また、アレンジはどう変わるのか?
 3.新曲は演奏するのだろうか?
 4.新しいボーカルも含む動くPFMの目撃
といった感じでした。

と言うことで、来日記念盤『チョコレート・キングス』はかなりの期待と思い入れを持って待ち続けることになります。

 ところが12月号(11月20日発売?)のワーナーパイオニアの広告ページでは、いまだに近日発売となっており、この期におよんでまだ発売日が決まってない!!のでありました。(お〜い、間に合わないじゃないか!!)

 この件は結論を先に書いてしまうと、この後約5ヶ月も(76/4/10に日本盤発売予定の広告がミュージック・ライフ誌76年4月号に出ていた。ここではまだジャケ写がNow printingなので、ひょっとするとさらに発売は遅れたかも...)待たされる事になるのでした。この間、伊盤の情報も輸入盤店に出てきませんでした。昨今イタリア本国での発売が75年9月との情報もありますが、シングル盤『チョコレート・キングス』の発売月と間違えているのではないでしょうか?そして日本盤がやっと発売されたときには、もちろん来日記念盤の文字はどこにも書かれていません。

 さて、『チョコレート・キングス』以前のアルバムは全て聴いたうえでコンサートに臨んだのですが、当日のコンサートの模様は...次回にゆずるとして(おいおい!終わりかよ!!(~~);)75年のロック等の音楽の状況を書いておきましょう。僕の様な熱狂的ファン以外の人からみるとPFMがかなりマイナーなバンドだった事がある程度判るかもしれません。

 今回このようなPFM関係の文章を書かせていただくにあたって当時の雑誌(1年分そろってるわけではないが)『音楽専科』を引っ張り出してきたのですが、しばしば記事になり目立っていたのは下記の様な人達でした。

・クイーン
(音楽専科誌で前年からかなりプッシュしていた。人気爆発!)
・ベイシティー・ローラーズ
(ビートルズ以来の社会現象に...)
・バッド・カンパニー
(元クリムゾンのボズ・バレルも参加したバンド、結構人気もありこの年来日も実現。)
・ブルース・スプリングスティーン
(ボーン・トゥ・ランのヒットで一躍スターに。)
・KISS
(顔のメイクやステージのパフォーマンスで話題になり人気も出た。このバンドも今まだ現役。なお、メイクや衣裳のアイデアは聖鬼魔IIでデーモン小暮が後にパクっている。)

 その他、ミッシェル・ポルナレフ、ヘレン・レディ等ポピュラー/ポップス界の大物の来日、フィリックス・パパラルディ/ジェフ・ベック/ニューヨーク・ドールズが日本のバンドと共に、後楽園球場で開催された『ワールド・ロック・フェスティバル』に参加したのも大きな話題になってます。ここには四人囃子、イエロー、カルメン・マキ&オズ、クリエイション等の日本勢が参加しています。イーグルスが『呪われた夜』でウェスト・コースト・ロックのスターに輝いたのもこの年だし、サイモン&ガーファンクルが『マイ・リトル・タウン』で一時的に再結成したのもこの年のことです。

★PFMの前後に来日した人達(抜粋)
●10月
・スージー・クワトロ
(皮のつなぎを着た女性ベーシスト兼ボーカリストです。アイドルぽい顔とハードな楽曲のギャップで人気がありました。)
・ジョン・デンバー
(宮崎駿の『耳をすませば』でもカバーされている『カントリー・ロード』のヒットをもつフォーク系シンガーソングライターで、当事は出す曲が連続でヒットしてました。)
・エリック・クラプトン
(2度目の来日、10/22-11/2までの公演、『いとしのレイラ』でモデルとなったかなわぬ恋の相手ジョージ・ハリソン夫人パティと来日して話題に...ちなみに僕も武道館で目撃。)
●11月
・PFM(待ちに待った彼ら)
・シャナナ
(ロックンロールバンド、日本のダウン・タウン・ブギウギ・バンドとも共演)
・ポール・マッカートニー&ウィングス
(直前まで予定されていたが、最終的に入国管理局の許可おりず幻の日本公演となった。各音楽誌で特集が組まれ話題に...ポールは数年後に来日した時にも空港で逮捕される事になる。)
●12月
・クロスビー&ナッシュ
(YESが彼ら+スティルス、ヤング(CSN&Y)のコーラスに影響をうけていたのは有名...)
・ディープ・パープル
(トミー・ボーリンにギターが交替して初めての来日、ちなみに元ギターのリッチー・ブラックモアはこの年脱退しレインボーを結成している。)

★プログレの動向(抜粋)
・ピンク・フロイド
(アルバム『炎』を発表し大ヒット、日本では賛否両論で各音楽誌をにぎわす。コラム等で評論家どうしのバトルも見られた。ちなみに僕は賛成派。)
・イエス
(前年にアルバム『リレイヤー』を発表後、各メンバーのソロアルバム制作活動が盛んとなる。ちょっと停滞ぎみ。)
・キング・クリムゾン
(既に解散中、『USA』『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・キング・クリムゾン』を発表。ちなみに『ヤング・...』は僕もよく聴いてたなあ。)
・ELP
(前年の『レディース・アンド・ジェントルマン』発表後、沈黙状態。)
・ムーディー・ブルース
(各メンバーソロ活動やアルバム制作がさかんな時期。次にバンドが復活するのはかなり後になる。)
・ジェネシス
(Pガブリエル脱退、Sハケットが1stソロ発表。)
・キャメル
(『白雁(スノー・グース』発表。)
・リック・ウェイクマン
(『アーサー王と円卓の騎士達』が大ヒット、『リストマニア』も発表。)
・マイク・オールドフィールド
(3作目『オマドーン』発表。)
・フォーカス
(6月に2度目の来日後、暮れには『マザー・フォーカス』を発表。)
・ルネッサンス
(『運命のカード(TURN OF THE CARDS)』が75/07/25RCAから日本発売。)

 大物バンドで活気があったのはフロイドのみ。プログレ全体の活気が徐々に下火になっていく前兆だったのでしょうか?なお、キャメルやジェネシスは当時より今のほうが人気がある気がします。

 いずれにしてもこの年は英米のヒットチャートで人気のある大物が沢山来日する中で、ヨーロッパ勢のフォーカスやPFMの2組、しかも全体でみれば一般的には認知度も低いプログレバンドが来日したということはかなり異例の事のように思えます。まあ、それだからこそ伝説的公演と言われるのかもしれませんが...


(次回 PFM’75 その(3)に続く)


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