PFM '75 来日公演ライブ・レポート その1
by 烏天狗さん


管理人より

 今回”烏天狗さん”のご厚意により,’75年のPFM来日公演から’02年の再来日公演までを視野に入れた素晴らしいレポートを掲示板に連載していただけることになりました.
 以前より’75年の初来日公演を体験された方の生の声を伺いたいと切望していましたが,今回期待を遙かに超える詳細かつ興味深い記事を投稿いただけたので,ぜひより多くの人に読んでいただきたいと思い,弊HPに掲載させていただくことになりました.掲載を快諾下さった烏天狗さんに改めてお礼申し上げます.(2002/06)

PFM 来日公演レポート〜PFM'75 その(1)

 さて、PFMの75年の来日当時の事ですが、いろいろ考えた末、まず自分とPFMとの出会いについて書いておく必要があると思い、当時の雑誌をひっくり返したり昔の音源を聞きなおしたりもしてみました。なかなか何を書いていいのか判らなかったり、新たな疑問も出てきたりで混乱もしています。数回に分けて書いてみますので、面白いとかつまらないとかご意見をいただけると幸いです。

 PFMが始めて日本に紹介されたのは73年の11月号における音楽専科及びミュージックマガジン誌だそうで、アルバム『幻の映像』が絶賛をあびたとの事です。僕は残念ながらこの時はまだ中3で、プログレのプの字も知りませんでした。(歳がばれますね(笑))

 中学の3年間は生まれて初めて洋楽と出会い、主にポップスと呼ばれるヒット・チャート物やビートルズ(既に解散してましたが)に熱中していました。プログレに出会ったのは高校生になってからです。主に3大バンド(イエス、クリムゾン、ピンクフロイド)+ELPを同級生から1枚づつ借り、気に入ったものは自分でも購入する、新譜は人が買わない物を買って他の人に貸すなんてことをしてましたね。

 人から借りて買いなおしたもの(僕のお気に入り)ではYESの『危機』『こわれもの』、フロイドの『狂気』がありました。LPの片面で1曲という構成には唖然とさせられたものです。当時は(見には行ってませんが)リック・ウェイクマン、フォーカス、ムーディー・ブルース、ストローブスが来日したりアルバムを出したりで彼らにも大いに興味をそそられたものです。

 この頃聴いていたのはプログレだけではなく、相変わらずビートルズの残党達、ヒットポップス物、エリック・クラプトンやレオン・ラッセル、和物ではニュー・ミュージックも話題になり始めたころで、荒井由実やバックのティン・パン・アレイの人達の音源を捜したり、シュガー・ベイブ(山下達郎の居たバンド)、2人組のオフコースなどまで幅広くいろんな音を聴いていました。ハード・ロックも全盛期でパープルやツェッペリンもかなり人気があって、プログレ派閥とハードロック派閥がありました。(僕はプログレ派。でも当事のハード・ロックを今聴くと結構良いなと思ったりする曲もある。)

 それでもプログレは自分の意識の中で40%ぐらいは占めていて、新譜では人が買わないもの担当ってことで、フラッシュ(YESの元ギタリストのバンド)、J・ヘイワード&J・ロッジ(ムーディー・ブルースのGとB)、フォーカスのベスト盤、コスモス・ファクトリー(日本のプログレバンド)、四人囃子のシングル盤なんかを買ってましたね。そもそも情報を得るのは雑誌のレコード評や広告頁だけが頼りで、今思えば当事評価CやDがついていたものがCD化された時には絶賛されていたり、評論家や雑誌の作り手の好き嫌いだけで市場が左右されていたようにも思えます。PFMというバンドがあるという事は音楽専科の74年3月号で後に『甦る世界』と呼ばれる事になるアルバムのレコ-ディングレポートを読んで知っていましたが、7月号での新譜紹介では評価Bがついていたので購入しませんでした。雑誌の広告もロックだけではなくソウル、レゲエ、日本のロック/ニューミュージック、はたまた映画音楽やポピュラーと呼ばれるジャンルも1つの雑誌の中に混在している状態で、少ないお小遣いで買うLPを厳選するのは至難のわざでしたね。

 なんで、ここまで書いたのかというと、当事手にしたレコード、それも人があまり評価しないもので優れた自分好みのレコードを探し当てた時の喜びは今とは大違いだった。一生の印象に残るくらいのインパクトがあったということを言いたかったのです。

 ということでやっとPFMに戻りますと、僕が最初に買ったのは『PFM Live,Cook!』でありました。これはたまたま聴いていたFMでA面全部がかかっていて、『原始への回帰』でのミニムーグの音とスピード感、続く『何処...何時...』や『通りすぎる人々』のきれいなメロディやプレモリ、ムッシーダのソロ、そして『セレブレイション』の躍動感、どれをとっても新鮮でした。このアルバムの日本発売は75年1月ですから、その直後のことだったと思います。もしもこの番組を聴いていなかったら、僕は彼らの音は一生聴かなかったかも知れないし、他のイタリアのバンドも聴いていなかったかもしれないのでした。

 その後は、コンサートまで半年以上間が開くことになるのですが、『幻の映像』や、やっと都内の輸入盤店に出回るようになった伊盤の2枚を徐々に買って後追いでPFMを聴いていくことになります。『甦る世界』も確か最初に手に入れたのは緑盤のほうでした。(青盤は同級生が先に買ってましたので...)

伊盤の2枚、マンティコアの2枚も大好きではあったのですが、何しろライブ盤を先に聴いてしまったので、スタジオ盤よりも『Cook!』のほうが僕は好きでした。さきに長々と書いたように、始めて買ったアーティストの最初のレコードにはひとしきり思い入れがあるものです。多くのかたは逆の聴き方をされていると思いますので『幻の映像』を最高作とされるのだと思います。結局そのバンドに抱いた最初の印象、それが次のを聴いたときにその印象がどう変わるかって事なのですよね。僕の場合はライブの後に聴いたスタジオ盤の繊細さ夢幻さも含めてなおさら彼らに共感を覚えたのは言うまでもありません。(関係無いけど僕はビートルズも前期、後期どちらも好きですしね。)

(次回 PFM’75 その(2)に続く)


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