活躍の背景と舞台
「戦争と支配の天才か、嗜虐的な狂人か、祖国の救世主か、権力に燃える孤独な獣か、あるいはその全てか。」

(ブラム・ストーカーの「無知の」時代と異なり、ヴラド三世の実像は伝説の「虚像」と同じくらい暗闇の世界では例外的に強く写し出されている。)


登場以前の歴史
ドナウ川の雄大なほとりにかつてトラヤヌスがダキア属領を築いた記憶を元に、自らをローマ人達の末裔とするルーマニアの人々は、長い間付近に住み着いた「蛮族」達と一線を画する存在と自らをみなしてきた。カルパチア山脈を北西から南東に、トランシルヴァニア山脈を更に南において、トランシルヴァニア(北西部)、モルダヴィア(北東部)、ワラキア(南部)と三つの地域で中世の影が濃くなりまさる時代にあって、この地は長らく東西の中継地として重要性を持っていた。この地の貴族達は現地の言葉でボヤールBoyarと呼ばれ、王と呼ばれうるほど強大な勢力を手にした君主は死すべき者、血族を問わずにヴォイヴォドVoivodeと呼ばれていた。

西ローマが急速に分解の方向へと向かっても、コンスタンティノープルの栄華はローマの遺産を引き継ぐものとして長い間存続した。それでも千年の長い年月と共に、(時代の推移として農業技術が発展して高収穫が見こまれるようになり、古代のような集権化が必要なくなってテマ制が主流となると、)「不死の三頭政治(ドラコン、ベシュタル、アントニウス)」に支配されたビザンツ帝国の版図が徐々に縮小していき、スラブ人およびマジャール、アヴァールなどの地方政権が優位を占めるようになってくると、彼らは人間を蔑視し封建的支配体制を好むツィミィーシ族の影響もあって少数民族同士であい争うようになり、宗教的分裂や、イスラム帝国の脅威を控えて吸血鬼達に多くの「賎民」は家畜同然の生を強いられるようになった。「仮面舞踏会の掟」はここでは長らく重要なものとはみなされなかったし、吸血鬼達を脅かすだけの団結力や情報収集能力を持つ人間はいなかった。

西方では神聖ローマ帝国(住人は単にドイツと呼んでいた)がヴェントルーの公子達の支配の元に封建制を築いていたが、徐々にイギリスやフランスなどの西欧諸国の勢力増大と共に均衡の変化の影響が東方にも影響を及ぼし始める。ハプスブルグ家の勃興以前に、すでにハンガリーの王権がトランシルヴァニアに影響力を大きく及ぼし、ゲルマン系の公子達の援助の元にワラキア(ルーマニア南部)でもヴェントルーの公子が規模の大きい都市では見られるようになった。ムスリム達とその後ろで糸を引くアッサム教団やカッパドキア族、黒手団の暗躍も情勢の不安定化に一役買っていた。東欧につながるバルカンにはゲルマン移動以来、数多くの民族や言語が流入したが、もっとも強盛なのはマジャール人の創始したハンガリー王国で、スラヴ人などの支配する諸地域を最盛期にはトランシルヴァニアまでを支配化におき、ハンガリーが神聖ローマ帝国の影響を強く受けるようになると、東西の均衡が逆転した。後にハプスブルグ家がオーストリアとハンガリーを支配するようになると、いっそうその傾向は強まったのである。

ツィミィーシ族は非人間的な怪物としての美学、哲学を追求し、彼らのコルドゥンKordun魔術はグールの因子をある特定の個人だけでなく家族全てに埋めこむことに成功し、彼らはレヴナントと呼ばれるようになった。メトセラのヨラクYorakにより、大規模な《造躯》の応用から「人肉の大聖堂Cathedral of Flesh」が造られて、「変容の道Path of Metamorphosis」の聖地と目されるようになった。この時代は栄光の時代でもあったが、また吸血鬼達がその本来の獣的な本能やジハドへの本能的な没入と言う試練を経ずに、能力なしに長老支配を保つことが出来た時代でもあった。

しかし1022年、ヘルメス教団の統率者の一人であるトレメールがツィミィーシ族から血の秘密を奪い、吸血鬼と化した彼らがトランシルヴァニア山中のセオーリスCeorisに拠点を構えると、ツィミィーシ族の劣勢がその構造の弱化と統制力の欠如と共に明らかになった。1133年にトレメールがサウロットを同族喰らいして強大化すると、ツィミィーシの《造躯》で作り変えられたヴォズド、ツラチタなどのウォーグール達はトレメールの実験の産物であるガーゴイル族や一糸乱れぬ統率下に用いられる《魔術》の訓えの前に旧態依然の姿をさらし、彼らは徐々に内部分裂に陥った。(Vampire Dark Agesの舞台はこの時代である。)トレメールは徐々にヴェントルーやトレアドールと同盟してツィミィーシと対抗することを始めた。後のカマリリャの母体である。

トルコ人達がやってきてセルジューク朝を樹立して聖地への道を閉ざしたのは、十字軍のきっかけとなったが、また悪名高い第四回十字軍のコンスタンティノープル占領と、ひいてもバルカン・キリスト教世界の衰退を促進する結果にもつながった。トレメールの高弟、ゴラトリックスは聖堂騎士団とむすんで、十字軍を支援した。しかしあまりにも公然とした活動の前に人間達の間で異端審問が生まれ、失敗に恐怖したゴラトリックスはトレメールの元を去った。モンゴルの盛衰によってトルコ族の小アジア支配が弱まっても、勢力を回復するまでにはいたらず、ついにはコンスタンティノープルを中心とする小政権へと東ローマの後継者、パレオロゴス朝は弱体化した。オスマン朝の勢力が1402年アンカラの闘いで自称チンギスハーンの後継者ティムール、あるいはタメルランに撃破されても、彼らは滅亡の日を数世代延ばしたのに過ぎなかったのである。

ドラキュラの統治する領域、ワラキアは神聖ローマの後背地であるハンガリー王国、そしてアドリアノープルに都して戦争の痛手を癒し、ビザンティンの最後の息の根を止めようとするオスマン朝の間にはさまれ、宗教的には腐敗したローマのカトリックと空洞化したギリシア正教の争いの場となり、「暗闇の世界」では蛭達と人狼の「影の王Shadowlord」達、ロシア平原のヤーガの勢力が血みどろの争いを繰り広げる舞台でもあった。彼は血族となる以前からコルドゥン魔術師としてジハドの剣戟を聞き、光の世界と暗黒の世界双方を独立したグールとしてその凄まじい個人的能力を介して綱渡りを果たしたのである。

「クパーラの夜(クパーラとはこの地で信仰されているキリスト教以前の魔神の名前である)」でルゴジとヴェルヤがツィミィーシ族の創始者の同族喰らいを行ったとき、本格的にアナーク大反乱が始まり、トランシルヴァニアは死に物狂いで生き残りにかける長老達と叛徒達の死闘の場と化した。サスカ・ヴィコスなどの研究の成果であるヴァウルデリで血の呪縛から完全に逃れた彼らは、究極的なところでドラキュラのことを味方にするか、敵にするかで決めかねたのであった。(「クパーラの夜」と同族喰らいの年月は諸文書で確定していない。1345年(年表)、1400年(年表)、1413年(Transylvania Chronicle)の説が筆者が調べただけでも存在する。)

15世紀の時代は他の「暗黒の世界」住民達にとっても大動乱であった。現実そのものを操るメイジ達は多様性を求める者と安定を求める者の二派に分裂して、ミストリッジのヘルメス教団壊滅に続いてつくられたオーダー・オブ・リーズン(「理性の教団」、テクノクラシーの前身)に対抗してこの頃トラディション(伝統主義団)を結成したが、後にはソリフィカティ団の裏切りや、元ヘルメス魔術師でありながら吸血鬼となったトレメール族による手引きで、テクノクラシーがトラディションに大打撃を与えた。

また血族の世界でも、1444年のイタリアでは遂に死霊術師アウグストゥス・ジョヴァンニが血親にしてカッパドキア族の始祖であるアッシュールとラミア族を同族喰らいして、トレメールに次ぐ新たな簒奪氏族が生まれたのである。彼らはカマリリャが正式に発足して相互不可侵の協定を結ぶところまでとりつけるために苦闘し、その過程でトレメールがサルブリにしたのと同じく、カッパドキア族を狩り尽くしたのである。

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家門と血統