闇の世界の魅力


「ようこそ、暗闇の世界へ。我々一同みな歓迎するよ。君達が自分の存在の矛盾に気付いたことを。」

かつてギリシアの賢人ソロンはテスピスの演劇を嘘を尊ぶものだといって批判した。しかし彼がみな嘘であることを知っていると反論すると、ソロンは、「それこそが問題なんだ。」



World of Darknessとはホワイトウルフ社が出版しているStoryteller Game Seriesの背景世界です。ここではあえてStorytellerやその母体となったRoleplaying Gameについて詳しく説明はしません。ある意味でStorytellingはRoleplayingを否定していますが、それは近親憎悪に似たものなのかもしれません。

我々が知る限りでは、現実の世界では吸血鬼や人狼や魔術師や妖精は想像や迷信の産物です。あくまで、WODが物語を紡ぎ出す(Storytelling)ことを目的とするのならこの方向性に向かわせたものはなんでしょうか?暗闇の世界は魅惑的な、常識の桎梏を脱却した現実という仮定をつきつけ、その上で現実のありようを批判し、可能性というものを否定することで現実の社会が成り立っているのだという考え自体を嗜みます。

その上で、いわゆる「子供っぽい」と表現される特性をStorytellerはあまり評価しません。つまり自己批判を怠らず、多面的な想像力を旨としています。そしてそれでもゲームというものが娯楽である以上、一定の嗜好と偏見を自己同一視した上で世の中を映し出す鏡を作るわけです。ほかの幻想世界にこのようなことを意識的におこなった事実はないか、そうでなくともこれほど前面に打ち出したことはないと思います。

そして現実の世界自体、それ自体の陰影と美しさ、官能、ゴシック・パンクと呼ばれる退廃性、単純さも念頭に置くことが出来ます。我々が住んでいる世界自体が、邪悪や悪徳や堕落、そのほか暗闇に備わる属性を数多く備えています。Roleplayingの「逃避性」や「偽悪的」なはけ口としての役割を批判するにしてもそれが実際に行われるよりはましであることは疑いありません。

表と裏
「暗闇の世界」が現実の世界の鏡像である以上、こちらにあるものは「望むだけ」向こうにもあるということを理解する必要があります。そして足りないものを満たすことから、現実という複雑な宝石の切り子面のどれだけ精巧なイミテーションを作るか、どれだけが想像力と人工物によって置き換えられるのかということです。我々の現実の把握力が人によって違いがあるにしても、それに限界があることは疑いがありません。我々はわからない真空を信仰心や、漠然とした希望や、あるいはもっと暗い情念を用いて満たしています。

住民達が邪悪であるにしても、彼らが自らの存在自体を現実の我々と同じくらい尊重していることは確かです。役割を演じるのは共感が要ります。そして我々の暗い側面がここで現れて、人間がみな仮面をつけていること、生きるために人を欺きながら協力し、社会を形作っていることを明らかにします。何ら永続的なものは存在しないか、あるとしても希少なもので、暗闇の世界は疲れ果てた老人、暴力しか知らない孤独な者、他者への悪意に満ちた若者達に満ち満ちています。このような世界で登場人物達は自分の解答を見つけ出さなければならないわけです。

我々は挑戦することと、幸福が同居するものでないこと、場合によっては対立するものであることを知っています。幸福が報酬であるとしたら、そこにいきつくまでの苦しみはなんでしょうか?それと反対に、挑戦が喜びに満ちたものであるとするのなら幸福などは不幸な代用品に過ぎないのかもしれません。人生の意義とは?絶望と苦悩は世界に満ち溢れ、希望は多くの場合嘘と麻薬の混合物のようなもの。それなのにわたしたちは勿論ゲームの中で楽しむので苦しむのではありません。単調な灰色の風景と血に染まった闘争の世界…我々はなにものなのか?

きわどさ
WoDの世界の普通の登場人物は我々と同じく、世界に吸血鬼や、人狼がいないことを「知っています。」ごく少数の者が暗闇の世界というものがこういった大多数の者が「真実」を知らないことを知っており、それに基づいて行動します。しかしごく一部には二重生活をしたり、白日の世界でも暗闇でもない、灰色の領域にとどまっている者がいるのです。

WoDの世界は少なくとも(年ふりた吸血鬼のねぐらや幽霊の棲家など、それが要求されない限り)単調なものではありません。そしてそれは彼らが暗闇の者であることを引き換えに、多くの者が太陽の下の人々を操るだけの力を手にしているという事実から来ているのです。それゆえに子の世界は我々の現実に似た体裁を保ち、そうでありながら意思を持った超自然の力が水面下で争い合っている…これが全ての歴史の間、続いてきたのだとしているのです。

それゆえに歴史上の重要人物はみなこれらの強力な「秘密の力の主」達の介入をみな知らずに受けていたのか、また灰色の世界の住人として仮面をかぶって黙認し、彼らが世界を操るのを許容していたのか、という仮定でこの世界は危ういバランスを保っています。我々は歴史上の人々がただの人間でありながら、歴史それ自体と彼自身の影響力、カリスマに由来する神秘的な雰囲気をまとっているのを我々自身の都合から認めてきたことを知っています。我々は彼らを単なる傀儡にするのを許して良いのでしょうか?それとも彼らを邪悪な「うそつき」達の仲間にするのを認めるのでしょうか?このような問題を「暗闇の世界」は露呈させる効果があるのです。(さらに詳しくはここを見てください。)

「暗闇の世界」の背景はこうした現代の人間の矛盾したものを宝石の原石に変える力を持っています。もちろんその宝石を磨き上げること自体に、個々のStoryteller達の裁量と見識も大きくものをいうのは間違いありません。

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