@グローランサの時間と空間
*Efendi:
それはそうなんですが、魔術師や聖人であれば、比較的新しい存在、ということになりますよね。まぁ、そう見るのは一神教の優位性を主張する歴史時代のマルキオン教なんだろうけど。
*Efendi:
私はザブールも神々も、元は人が到達した偉大な存在なのかと思ってた。何といってもイェルムの在位が10万年もあったのだから、それくらい偉大な人々が輩出していてもおかしくはない。
*Zeb:
十万年というのは、Glorious Reascent of Yelmという本を第二評議会時代に書いたプレントニウスという人のでたらめというか…それを信じるのは聖書のメトセラの年齢や神武天皇の治世を信じるのと変わりありません。またオーランス人の考えでは「宇宙の盟約Cosmic Compromise」以前に時間は存在せず、時間による因果関係もあいまいなものでした。(以下はまりおん氏の昔のペローリア神話に関するノート。)
なんでもザブールはでっかい砂時計で時間を計っていたとか言いますが…
http://www.imasy.or.jp/~yelm/rq/Prospedia_j.html
*Efendi:
グローランサなんだからそれもありか? とか思ったけど。
でもセシュネラ初期の歴史を読むと、曙以前にもずいぶんと長い歴史があったことを匂わせます。10万年とはいかずとも、数千年はありそう。
ルナーがペルシアとして、1621年が紀元前330年くらいなら、曙は紀元前3000年くらい。最初の都市が紀元前8000年くらいだから、5000年は見てもいいかもしれない。
*Zeb:
でも、オーランス人によると、ヴィングコット王(嵐の時代)からヒョルト王(灰色の時代)までが8世代くらい、ヴィングコット王から「裸足の」ハルマストが12世代くらいなんですが(笑)。はっきりいってものすごい昔の人は長生きだったか、
*Efendi:
聖書の人物みたいに?でも、定命の祖父が死んで人間が「死ぬ」ようになったのなら、そういうこともありかも。
*Zeb:
時間が逆に流れないだけであちこちで時間が速くなったり遅くなったりしていたと考える方が自然です。
*Efendi:
自然かどうかは分からないけど、そうかも。
そもそも、イェルムがずっと天空にあって、どうやって一日一日を数えたんでしょうね? ジェネレーションで30年ずつ数えるのも、上のようならダメだし。
*Zeb:
ある文化の民(モスタリやブリソス人など?)は「宇宙の盟約」や「時の創造」などをなかったものと見なしていますし、今でも時間の数え方など知らない民(アルコス人?など)がいます。
*Efendi:
一方で、西方には時計台があるんですよね。
時計が出来たことで近代が生まれた、という人もいますが、ちょっとオーバー・イデア だと思います。もっとも、マニリアでは人力ヘリコプターに乗ってる人もいるようですが(レオナルドは HW に出てくるだろうか?)。
*Zeb:
モスタリは体内時計がありますよね。(私は活動を始めてから10,000,000作業時間だ。)レオナルドもGlorantha: ITHWに顔を出しています。彼は忘神群島God Forgotの住人で、ここの住民は下層が神々の戦いで自前の神々を失った無神論者達。上層がブリソス人です。どんなところかはCasino Townがあることなどから見当をつけてください。(なんでもファラオは博打で馬鹿勝ちして銀行を破産させて彼らを臣従させたそうです。)ご存知の通り、ブリソス人は一時「神知者」と手を組んでいました。悪名高い「機械廃墟」もその産物です。
{刀鳴りの都:http://www2u.biglobe.ne.jp/~BLUEMAGI/QAclankingcity-j.htm
またモスタリと機械についてはWhy I dislike Mostali?を参照のこと。http://www.glorantha.com/library/elder/dwarfs-dislike.html}
*Efendi:
盟約はともかく、時の創造は確かに解せないですよね。「時」が「変化」なら、曙以前にも変化はあったわけだし。上の解釈で「秩序だった時の創造」というなら、まあなんとか。
*Zeb:
異文化間の「主観的な世界」同士の衝突という側面がHWでは強いですから。あまりにこの傾向が強くなりすぎると某White Wolf社のゲームのようになります。
*Zeb:
昔のWyrm's Footprintの記事によると、ある意味で全ての出来事が同時に起こっていたとかいないとか。
(考えるほど頭が混乱するのかも。言わない方が良かったかもしれませんが、最近グレッグが書いたヴィセラ神話だと創造の時代から人の時代までインド神話的に500億年だそうです(笑)。)
{この議論はWyrm's Footprintの「時の盟約」の翻訳解釈に続きます。}
<<Wyrm's Footprint
p.75 The World of Time
時の世界
グローランサの歴史は時がはじまって以来の起こった出来事を集めたものである。
神話の事件は「時」より先に起こっているが、連続して起こっているものではなく、同時に起こっていることである。秩序ある線を描いた時間の恩恵を受けていないのだ。
「時間」とは「宇宙の盟約Cosmic Compromise」のことである。「時」の世界はある法によってしばられていて、その法に世界は従わなくてはならない。もしこの「時」の秩序が世界で破られれば、不可能が出現して、「混沌」が世界にふたたび侵入するだろう。この事実のもっとも明らかな例は「グバージ戦争」であり、そしてそれは「曙の時代」を終わらせてしまった。
「時」は破壊された状態から、永久的に神々と、かれらの世界を分離した。このことは「神代」に神々が従うことを認めたことである。彼らは自分たちの存続を確立するための約束をおこない、世界は存在しないよりも、むしろ不活動なものであることを選んだ。神々は不死性のためにみずからの自由の全てを犠牲にしたのだ。この創造と破壊の両極端の均衡は、周期的に協力しあう者たちが極端さを分け持つことによって保たれている。
「神々の戦争」で殺された者のすべては、「時」の半分は死んだままでいる。しかしまた、後の半分は生きてもいる。そしてこれらの神々の体で成り立っている世界は彼らの変化に従う。世界の魔法的エネルギーもまた、この流れとパターンに従っている。だから、冬は大地と火の神々は弱くなるが、夏に火の神々は最強になる。>>
*Zeb:
{ グローランサの歴史は時がはじまって以来の起こった出来事を集めたものである。
神話の事件は「時」より先に起こっているが、連続して起こっているものではなく、同時に起こっていることである。秩序ある線を描いた時間の恩恵を受けていないのだ。}
*Efendi:
なるほどね。よく考えたね。こういう考え方って、どういう背景からきているんでしょう?
*Zeb:
言っておくべきでしょうが、Wyrm's Footprintは古き良き時代(笑)のRQ同人誌の記事を集めたもの…いまだに神知者の神話と、オーランス人の神話、ケタエラの神話が分化していない「統一神話」がまかり通っていた時代の記事です。おそらくジェナーテラのマルキオン教徒やオーランス人や聖王国の民(やトロウル)を除けば、この考え/世界観/主観的世界の動きは必ずしも正しいものではないのかも。
*Zeb:
オーランス人の神話伝説には「我が戦い、皆が勝った」という神話があります。これは一人一人のエゴによってこなごなになった世界が、助け合いによって世界を結び合わせた神話で、これがオーランスとイェルムの地界での「和解」と同調しているのです。(最近私はヒョルト王についてやくたいもない事をいろいろ書きました。)
*Efendi:
最近の論調では、ヒーロークエストが過去を創った、見たいな風になってますね。
最近の宇宙論の、観察する我々が宇宙の歴史を作っている、に似ている。
あるいはそうなかもしれないけれど、神々が実在する世界でのそれは、ちょっと「逃げ」な気もする。
*Efendi:
穿った見方をすれば、「時の誕生」をどう説明するか、から来ているんだろうけど、これだと、神話時代の因果関係を説明できないのでは? という気もする。
*Zeb:
神話における因果関係については、Nick Brooke氏がいろいろと書いていて、それらを読むとますますわけがわからなくなります(笑)。あらゆる文化を整合させようとするには、神秘主義者(悟法?)の教えのように「あらゆるものは幻影である」ととらえるか、不可知論に陥るしかないような気もします。(Lowlights of Subjectivism{http://www.btinternet.com/~Nick_Brooke/articles/sobjective.htm}というエッセイを訳すつもりです。)
*Efendi:
ナレーターはグローランサの住人ではないのだから、真実を知っていてもいい気もするけど。
空の理論や不可知論も結構だけれど、もう少し探求してみましょうよ。
*Efendi:
例えば、太陽の時代の終わりと嵐の時代の始まりは密接な関係にあって、オーランスの反乱がなければ太陽の時代は終わらないし、イェルムの圧政がなければ嵐の時代始まらない。そこには「経過」があるのである。もし無い場合、これらの事件がそれらの本質に内包されたものと考えるほかなく、イェルムの正義は圧制に傾く傾向があり、オーランスの統治は混沌を招くものである、ということになりはしないでしょうか?
*Zeb:
説明しづらい…それにこの場合、いくつかの見方があります。(「ヒーロークエスト」とはなんですか?)
{以下、四項目まで、「統一神話」、ダラ・ハッパ、オーランス人、そしてルナー。}
1)神話とは思い込みでつくられるものであり、オーランスとイェルムの神話はそれぞれ全く別個にもともとは作られた。神話の時代は全てが夢であり、現実は「時」と共にはじまる。曙の時代の「友愛評議会」時代に伝道者がオーランスとイェルムの神話を「人工的」に接合してそれをヒーロークエストで実際に起こったことにしてしまった。(多分に「統一神話」の支持者。神知者あるいは悟法?)
*Efendi:
ふぅん、すると HW で示された世界観も、また一部のものでしかないのか。
とりあえず、これが真実だとしても、ヒーロークエストを起こした者たちが依拠したインスピレーションはどこから由来するのか、という問題は存するけど。
たとえば、オーランス人のライトブリンガーの伝説が、オーランス人のヒーロークエストによって「過去に創られた」とする。すると、このヒーロークエスターは何を基にライトブリンガーの伝説を「知る」に至ったのか?
やはりこの考え方には限界があると思う。先の宇宙の歴史については、我々がいまこの宇宙に生きている、という事実そのものが宇宙関数や重力定数などを証明している、ということがあるけど、グローランサの場合いま太陽があるもないも別にライトブリンガーの伝説に依拠する必要はないわけで。
*Zeb:
2)イェルムは常に正しい。彼が間違ったことは決してしない。それは彼の後継者も同じこと。悪いことはつねに外の悪しきものからはびこる。最悪なのがオーランシーとそれからペントの騎馬遊牧民だ。「時間」とは堕落と失墜の記録である。(ダラ・ハッパの伝統主義者)
3)「俺たちは誰の言うこともきかない。」宇宙は非情なもの。皇帝はそれに乗じて自分の圧制を正当化していた。オーランスはその嘘を見破り、我々に自由と運命に立ち向かう力を与えてくれた。彼は間違いを犯したのかもしれないが、それは他の誰とも同じこと。「時」とはオーランスが勝利の末に勝ち取った世界である。(オーランス人)
*Efendi:
これはそのとおりなんだろうね。世界の真実の相違、というより世界観の相違、といったもので、神知者の考え方より限定的だし、余地もある。ちょっと世界の真実を語る材料として外れているかも。
*Zeb:
4)赤の女神は大いなる輪廻を司り、世界はめぐり、良いところから悪いところに、悪いところから良いところにめぐりゆく。時とはアラクニー・ソラーラの定めた法であるが、女神はそれすら「青の城の戦い」で超越できることを示した。やがて「白の月」が現れ、世界にはふたたび黄金時代がやってくるだろう。(ルナー教徒)
*Efendi:
これに至っては説明しているようでまるで説明になっていない。
*Zeb:
ゲームをする上でナレーター(あるいはレフェリー)がいずれかの思想に同調することはもちろん可能です。それが公式の世界観だ!とは言えませんが。
*Efendi:
ただ我々も思考域に限界のある人間ですからね。イェルムとオーランス、ルナーとオーランスの主張はそれぞれの国是として理解できるとして、やはりそのバックボーンになる「世界の真実」は神知者のそれに依拠するしかないかな。
*Efendi:
とくに説明できないのは、大暗黒の末には「時の誕生」が内包されている、ということ。もしインド神話のように循環する時間概念であれば、大暗黒の末には消滅が内包されていて、消滅の果てには創造が内包されているのかもしれないけれど。あるいはそうで、「時の誕生」はこの循環のどこに入っていてもよかったのだけれど、「偶然に」大暗黒の末に挟まったのでしょうか? であればそのときの神々の意志は自由意志? 彼らの本質ではないよね。本質は不死性だから。神々に自由意志はあるんでしょうか?(というか、あっていいのか?)
*Zeb:
Wyrm's Footprintには神々がエレメントの順に創造されたということで、神代の歴史を擬似的に連続的なものとして書いていますが、これにHWでは新しい要素が付け加わりました。
1)「暗黒の時代」と「海の時代」は緑の時代の前であるが、その時代は形もなく、個性もなかった。そして「暗黒の世界」=「地界」とは地上の法則がすべて逆になってしまう世界である。
2)「神界」、「精霊界」、「魔道界」は緑の時代には全く別個に存在していたが、黄金の時代には接点ができ、嵐の時代にはほとんど重なり合い、大暗黒には境界はなかった。その後なんらかの働きで、(それについての説明は文化によって異なる)、内界と三つの異界は均衡を守って別々に共存していくことになった。
*Efendi:
結局、「緑の時代の前」という表現に、「単純から複雑へ」という「過程」が背後にあることが窺える。2)の文章も同様。
「すべての時代が同時に並存」に関して、空間的に考えると我々の創造の外だけど、それぞれを「力」と考えると、ビッグ・バンの「最初の卵」のようなものかもしれない、などという考えがいま頭をよぎった。まぁ、卵というか坩堝というか。
*Efendi:
とまあ、文句をたれてみるけど、文句が出るのはよく出来ている証拠。先の「圧制の内包」に関しても、それは確かにみられるかも、と思ったのは次の文面:{オーランスとイェルム:王権についての議論に通ずる}