◆山上の垂訓の場合 いわゆる山上の垂訓(マタイ五−七、ルカ六・二〇−四九) とよばれるイエスの説教について、とりわけマタイの記録する美しい冒頭の一節は、 ことのほか有名である。福音書文学の珠玉といってよいだろう。 「イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。 こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。 悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。 柔和な人たちは、さいわいである。彼らは地を受けつぐであろう。 義に飢えている人たちはさいわいである。彼らは飽き足りるようになるであろう。」 幸福の教えは、全部で八つある。そのために「八福の教え」ともよばれる。 一つ一つリズムをもった美しい言葉からなっている。 しかし、この八福の教えだけで終りなのではない。 これは、ほんの冒頭をかざる一節にすぎない。 全体は、三章にわたって続く、一大説教集なのである。 「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、 心の中ですでに姦淫をしたのである」(マタイ五・二七)。 「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。 もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」(マタイ五・三八)。 「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ五・四三)。 「あなたがたは、自分のために、虫が食い、さびがつき、また、 盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない」(マタイ六・一九)。 「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、 何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。 命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。 まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。 それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる」(マタイ六・二五−二六)。 「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。 門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう」(マタイ七・七)。 * 情景描写の手法 マタイも、ルカも、こうした一大説教を、情景描写からはじめている。 マタイによると、イエスのまわりは、イエスの驚異の病気なおしの評判をききつけて、 遠方からやってきたおびただしい群衆であふれていたという。 しかし、物語を仔細にみると、イエスは、この群衆にむかって、直接語りかけたのではない。 正確には、「イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、 弟子たちがみもとに近寄ってきた。そこで、イエスは口を開き……」となっている。 マタイは、用心深く、聴衆を二段構えにセットした。 これにはわけがある。一方、ルカの場合、情景描写はマタイのそれと逆になっている。 ルカではマタイと違って、イエスは、はじめ山上で祈っておられ、 それから山を下って平地に立たれ、そこで大群衆にとりかこまれた、 という筋立てになっているからである。 要するに、ルカ福音書による限り、これを山上の垂訓と呼ぶことはできない。 こうした情景描写の相違は、多分に、説教内容にまで影響を及ぼしている。 たとえばルカの場合、聴衆は大群衆ということになっている。 ところが、イエスの言葉を吟味してみて、大群衆という、不特定多数のものに語られた教えにしては、 内容があまりにも特殊にすぎるという事実がうかんでくる。 たとえば、八福の教えや、地上の宝に関する教えであれば問題はない。 これらの言葉には、社会の、いかなる階層のものにたいしても、ストレートに通じる普遍妥当性がある。 しかし、たとえば「人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、 ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ」(ルカ六・ニニ)とか、 「わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか」 (ルカ六・四六)といった言葉の場合、不特定の群衆にむかって語られた言葉とはみなされがたい。 群衆にではなくイエスの特定の弟子に、ふさわしい内容だからである。 このことはとくに、先に引用した「モーセの十戒」の新解釈、「姦淫するな」、「目には目を」 などに妥当する。それらは明白に、新しい共同体にふさわしい新しい倫理を伝えている。 けっして群衆にふさわしい教えではない。おそらくマタイは、こうした矛盾を回避するために、 聴衆を二段に分けてセットしたのであろう。 マタイの舞台装置では、イエスの一大説教は、 群衆むけと弟子むけの二本立てにふるいわけられる仕組みになっている。 明らかに、マタイのエ夫がはたらいている。かなり手のこんだ明細化だといってよい。 * 新しい生活綱領 それでは、事実はどうであったか。イエスの一大説教は、 実はさまざまな折に語られたイエスの言葉をもとにして、教団自身が再構成したものなのだ。 言葉と言葉のあいだの論理的構築が弱いのは、それらがもともとバラバラな言葉であった結果にすぎない。われわれの眼前には、原始キリスト教という名の弟子たち、最初のキリスト教徒の小さな群れが、 彷彿と浮かびあがってくる。 彼らは、周囲の敵意にみちた世界の中で、たえず彼らを攻撃し、 結束の分断をはかるユダヤのパリサイびと、律法主義者、 それに憎むべきにせ預言者の煽動から群れを守り、敵対者との論議に打ち負かされないための、 明確な原理を手にする必要に迫られていた。 こうした共同体の切迫した必要性に応じて、イエスの言葉は結集され、 形をととのえて提示された。それが、山上の垂訓である。 山上の垂訓は、教団生活の、いわば生活綱領であり、新しいプログラムであったのだ。 イエスの言葉は、こうした視点から再生されている。 〔構図の項参照〕 * パリサイ人 ファリサイ派:古代イスラエルの第二神殿時代(紀元前536年 - 紀元70年)後期に存在したユダヤ教内グループ。本来、ユダヤ教は神殿祭儀の宗教であるが、ユダヤ戦争によるエルサレム神殿の崩壊後はユダヤ教の主流派となってゆき、ラビを中心においた、律法の解釈を学ぶというユダヤ教を形作っていくことになる。現代のユダヤ教の諸派もほとんどがファリサイ派に由来しているという点においても、歴史的に非常な重要なグループであったと言える。ファリサイ人、パリサイ派、パリサイ人(びと)などと表記されることもある(ファリサイ人、パリサイ人と表記される場合は、厳密には「ファリサイ派に属する人」を意味している)。なお、ファリサイの意味は「分離した者」で、律法を守らぬ人間と自らを分離するという意味合いがあると考えられている[1]。現在ではファリサイ派という名称は使われず、「ラビ的ユダヤ教」、あるいは「ユダヤ教正統派」と呼ばれている。(Wikipedia) * 論争物語 パリサイ人などを相手として、イエスのいろいろな言葉に整合性を持たせ、(たとえば福音書で)理論武装すること。 * マタイ福音書:八福の教え @心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 A悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。 B柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。 C義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。 D憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。 E心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。 F平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。 G義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 注:Fの「平和」とは、戦争のない世の中、人々が平安に暮らしている状態のことではなく、平和は、神を信じる者を通して、この世に証明される、ということ。何故なら、地球上の歴史の中で、戦争のない時代や、人々が平安に暮らしていた時はなかった。 即ち、神の国が到来したとき ‐ 全ての人々がキリスト教(マタイ福音書)を信仰告白したとき ‐ これが「平和」であるという。換言すれば、「平和」が実現するまでは、神の名のもとに、キリスト教によるキャンペーン(戦争)は繰返されるということ。[守] |
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