◆前提 聖書では、その主目的は共同体の結束にあります。 その原動力は、一に個々人の積極的な働きです。 個々人の働きを結集することで、共同体は更に発展していくのです。 したがって人が主人公となります。 一方仏典においては、一に悟りの成就、つまり現実からの開放にあります。 そのためには、社会(人々)〜為政者(国家)からの財政援助が不可欠となります。 衣食住が確保されて始めて、心置きなく行を実践することが出来ます。 したがって現実(自分を取り巻く環境)の捉え方が問題となります。 〔愛の姿の項参照〕 前提とは、 「(1)ある事が成り立つためのもとになる条件。 (2)〔論〕〔premise〕推理において結論が導き出される理由ないし根拠となる命題。」 (goo 辞書)です。 聖書や仏典などの思想哲学では、その趣旨を説くためには、前提は必須要件であり、 本論を有効かつ効率的に展開させようとするためには、 前提に重きを置かなければなりません。 前提、つまり予め問題意識を明確にすることで、 より意欲的、より情熱的な心を抱きながら、聖書なり仏典なりの世界へ 入り込むことが出来るのです。 * 前提のいろいろ 聖書では、人は生来、神の教えに違犯した故をもって、 罪人(つみびと)として登場します。 聖書は、人は何人たりとも罪人である、と云う前提でその教説が成立します。 仏典では、この世の現実は煩悩に満ちた世界である、と云う前提で、 その教説が成立します。 ですから、 聖書では、人は自らの罪を償うために、進んで神の教えを遵守し体得しつつ、 負い持つ課題(ミッション)を遂行していかなければなりません。 仏典では、煩悩からの解脱を求めて、ひたすら行を実践しなければなりません。 神道ではどうでしょうか。 人は元々純真無垢なものですが、時間の経過と共に罪や穢れが纏わりつく、 と云うことを前提にしています。 清き直き正しき真心をもって生きるためには、随時又は必要により 禊(みそぎ、お祓い)をしなければなりません。 〔祓詞の項参照〕 |
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