GLN 宗教を読む

宗教を読む / 導入

◆罪とは − 悪
 とは、「わるいこと。否定すべき物事。道徳・法律などに背く行動や考え。」 (goo 辞書)です。
 宗教的には、律法や戒律を犯すことがであり、を犯した人として処罰されます。 世界宗教においては、異教徒は常に罪を犯している人とみなされます。
 
 わが国の神社神道においては、戦前(第二次世界大戦前)の大祓詞には、 次のような文言が織り込まれていました。
「天津罪とは 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を天津罪……」、 「国津罪とは 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯せる罪己が子犯せる罪  母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪  許々太久の罪……」
 この文言は現在は削除されていますが、その精神は失われておりません。
 〔大祓詞の項参照〕
 
 「悪」の普遍的で、具体的な定義とは、一体どのようなものでしょうか。
 例えば、
 自然の営みに逆らうもの − 核兵器の類。
 人の成長を妨げる行為
  肉体的には − 自給自足本能を摘み取ること。近親結婚など人類の繁栄を妨げること。 殺人など他人の生命を奪うこと……。
  精神的には − 国家など社会秩序を破壊しようとする考え。 他人の思想宗教を妨害しようとする考え。自他の存在意義を否定しようとする考え……。
 
 更に大切なことは、感情を妨げる言動です。
 感情とは、 「(1)喜んだり悲しんだりする、心の動き。気持ち。気分。 (2)〔心〕ある状態や対象に対する主観的な価値づけ。「美しい」「感じが悪い」など対象に関するものと、「快い」「不満だ」など主体自身に関するものがある。また、一時的なものを情動、持続的なものを気分と呼び分ける場合もある。」(goo 辞書)です。
 感情の代表的な例として、喜怒哀楽と云う言葉があります。
 即ち、喜怒哀楽とは、「喜びと怒りと悲しみと楽しみ。人間のさまざまな感情。」(goo 辞書)です。 この言葉の出典は、中国の哲学書『中庸』ですので、中国では「楽」とは、音楽を楽しむとか、 好むの意味が強いようです。 一方わが国では、「喜」には、楽しむと云う意味があり、「楽」には、ラクと云う意味もあります。
 
* 悪を感じる
 感情の中には、「恥ずかしい」と云う言葉があります。
 恥ずかしいとは、 「(1)(自分の欠点や失敗、あるいは良心のとがめを意識して)他人に顔向けできない気持ちだ。面目ない。 (2)(人前で気持ちがうわずって)どう振る舞ってよいかわからない気持ちだ。照れくさい。 (3)(自分が恥ずかしくなるくらい相手が)すぐれている。すばらしい。」(goo 辞書)です。 例えばこの場合、悪の行為を恥ずかしいと思えば、その時に人は罪の意識を感じます
 「嫉妬(しっと)」と云う言葉もあります。
 嫉妬とは、 「(1)人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また、その気持ち。特に、男女間の感情についていう。やきもち。悋気(りんき)。 (2)すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。」(goo 辞書)です
 私共は嫉妬の具体的な表現行為として、「選択する」と云う判断をします。
 
 究極の思想哲学とは、このような感情を素直に表現できる環境 −  自他の気分 − ではないでしょうか。
 換言すれば、このような感情表現について、これを理性的に取捨選択したり、 又は強弱を付与したりしたものが、いわゆる宗教ではないでしょうか。

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