なお「水晶山神社」は、それは鉱山の神さまとしての山神社であったのか、山で 木を切るなど山仕事をする人達の山神様であったのか、木のお堂か石の祠らかも、 私にはよくわからないが、嘉永2年(1849)に松浦武四郎が尾去沢にきたとき、獅子 堂より左の方へ5〜6丁行くと水晶山で、小堂あるよし、と書いているように、古く からあったものと思われる。それがどのような状態になっていたかわからないが、 聞くところによると、尾去沢町の時代に、町の方で再興というか、お堂(神社)を 新しくつくって「水晶山神社」と称して、祭祀を行った、ということで、私の聞き 違いもあると思うので、その辺のことは柳舘計一さんがくわしく知っていると思わ れるので、聞き直してみたいと思っている。 |