下タ沢会によせて(覚書)

お尚さんはいたろうか

 それはそれでいいとして、専住のお尚さんはいたろうか。鹿角市史によると、 「26年の「新寺創立願」や30年「現光庵明細帳」にも、庵主につての記載はないが、 「見聞雑記(阿部貞家文書 − 佐一郎さんが亡くなったので奥さんの名前)」29年 7月8日条に「今般、元山の庵主古郷へ帰りしに、無住なるかゆへ、弟迎ひに行引連 れ来りて、元光庵へ住職なりし趣」とある。正式な庵主(住職)ではなかったとし ても、僧侶の居住があったものと認められる。」ということだが、どこのお寺から どんなお尚さんが来ていたものかわからない。まして人をまどわすクソ坊主と、追 い出されたというお尚さんのこともわからない。

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