下タ沢会によせて(覚書)

焼けた後お寺はどうなったか

 鹿角市史によると、「従来尾去沢鉱山には笹小屋に大慈庵、獅子沢に薬師庵、田 郡に観音庵、赤沢に独楽庵があっ。この中で大慈庵だけが曹洞宗長泉寺の末庵で、 他は浄土宗円徳寺の末庵であった。元光庵は尾去沢鉱山という特別な地域に、一般 の寺院とは異なる形で創立が認められた。やがて大正期に大慈庵と薬師庵が合同、 そして元光庵が合流して、大盛寺(後の円通寺)へと変遷してゆく。」というわけ で、今の円通寺へと生まれかわって行く。

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