……この頃三沢には休止中の間歩が47ケ所あったという。同書によれば、 田郡沢、9ケ間歩(間歩名省略) 赤沢、8ケ間歩(〃) 元山 33ケ間歩、このうち下タ沢に関係ありそうな(と私が思った)名前を拾い 出してみると、 千荷竪比(金偏+比)鋪、下沢狸鋪、下沢訛鉛鋪、鶯中口鋪(鶯鋪というのが稼 行しているので関連のあった鋪か)、下沢向平鋪、十三人組鋪、千荷鋪、たんぱん 沢鋪(丹波の沢か) 名前を拾い出しただけで場所はどこかと聞かれると、全然わからないが、附図を 見ていくと下タ沢の中程に鉛比(金偏+比)というのがある、なんとなく悦子さん 家の向いあたりのような気がする。悦子さん家に渡る橋の反対側に小さい砂防ダム のあったことは、皆さんご存知のとおりですが、私達が子供の頃よくその堤防を渡 ってコハジケを取りに行った。下からは見えないが、3〜40M上ると3尺×2尺(もう 少し大きかったかナ)くらいの坑口があった、堅い岩がきちっと四角に掘られてい た(と思う)。中をのぞくと暗くて埋っているような感じだった(入ってみた人も いると思う)、あれがもしかして鉛鋪というものだったかもしれない。 |