・ところで、「大神の存在意義は”大気”のようなもの、
即ち拘束力のないもの(存在意義を有しないもの)となっしまうであろう」と
前述した。 もし、地球上の全ての人々が”大神の存在意義”を受け入れたとしたなら、 そのときは正に、「大神は大気のように 、全ての人々にとって必要不可欠のものとなる」、 即ち、それが普通の状態 − 在ること自体を認識しなくなる − と云うことでも ある。 しかし、ここでも、なお問題が残る。 それは、私共の心(本音)の問題だからである。 大気(空気)は、人々にとって必要不可欠なものではあるが、 これを「正しく摂取しなければならない」と云うことである。 過剰に摂取しようとしたり、作為的に摂取しようとしたり、 はたまた摂取しないように心がけたり……、 などはあってはならない。 ”正しく”とは、あるがままと云うか、自然体と云うか、無意識でと云うか、 換言すれば、「清浄な状態になる」と云うことであろう。 ※参照:「神道とは3」 「宗教を読む」 |
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