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我々「人」にとっての、「神道」とは? ところで、日本人は古来、神前に進み出るとき(又は貴人に仕えるとき)は、禊や水 垢離、また大麻や塩湯、切麻などで祓いに祓い、清めに清める、と云う伝統があります。 従って神道は古来、「祓え(の宗教)」であるとも云われています。 と云うことは、物事に対処するとき − 行動を起こすとき − は、我々は常日頃、自 らを祓い清めておく必要があることを意味します。 この「祓え」は、形だけの「払え」ではありません。神職による(他力での)お祓い だけの形式的なものでもありません。自分自身の心身が、いわゆる「綺麗」になること なのです。 つまりこの「祓え」は、自分自身の意志によって祓われることなのです。何故なら、 お祓いをしていただいた直後、神前の御鏡(又は面前の鏡)に映っている自分の顔や姿 を自分自身で確認視すれば納得されるでありましょう。 神道にはまた、教義も教典もないとされています。しかして、自らが「純真無垢」に なること、これが神道の「教え」であると考えることも出来ます。 この純真無垢の心を持つことで、あらゆるものが成就され得るのです。即ち「純真無 垢な心」=「正義」「善意」は、総てのものに打ち勝ち、かけがえのない人生が幸福で あり続けられます。別な言い方をすれば「積善余慶」と云うことでもあり、そうします と、自ずと救いの手が訪れることになります。従って、他力による救済を願う必要性も なくなりましょう。
H16.08.05 |