そ 祖先崇拝
 
〈そせんすうはい〉
 祖先崇拝
 祖先崇拝は、神道の中で重要な場を占めている。神社の起源の一つは墓場である点か
らも考えられるのである。
 柳田國男は、日本人の死後の観念、即ち死者の霊は永久にこの国土に留まって、遠方
に行ったきりでない、との信仰が「世の始めから」今日まで持ち続けられ、この点は「
何れも外来宗教の教理とも、明白に食い違った重要な点」であることを指摘し、「祖先
教」とさえ呼んでいる。
 死者の霊は一旦は去るが、子供の住んでいるこの世へは再び戻って来られないような
国へ行ってしまうことはなく、時季を定めて、正月や、春分・秋分の、彼岸の中日の前後
七日間、又は盆に訪れて来るとの信仰を前提にした行事が、今日でも広く各地に残って
いる。訪れる祖霊の心意気は、可愛い子供を擁護しようとする暖かい親心なのである。
 
 「多くの先祖達が一体となって、子孫後裔を助け護ろうとして居るといふ信仰」「日
本人の志としては、たとへ肉体は朽ちて跡なくなってしまはうとも、なほ此国土と縁は
絶たず、毎年日を定めて子孫の家と行き通ひ、幼い者の段々に世に出て働く様子を見た
いと思って居たらう」「なほ生きた人の社会と交通とやうとするのが、先祖の霊だ」
 祖霊の悲願には永遠に子孫と共にこの国を見捨てぬ執念・妄念があるのである。
 
 この執念・妄念は、楠木正成マサシゲ正季マサスエの最期に例えられる。
 即ち湊川で、敵将足利直義の軍を一蹴したが、見方は既に残る者七十三騎である。正
成は弟正季に向かい、「最期の一念で来世は何れの国に生まれるかに決まる、何れの国
に生まれたいか」と問う。正季は「七生まで只同じ人間に生じて、朝敵を滅さばやとこ
そ存候へ」。正成嬉しそうに「罪業深き悪念なれ共我も加様に思ふ也」と契って兄弟剣
を刺し違えて討ち死にした(太平記巻第十六)。
 厭離穢土オンリエド・欣求浄土ゴングジョウド、即ち速やかに見捨てたい、離れたい穢土の人
間界に、七度も生まれて来たいなどと念願することは、仏教思想から云うと「罪業深き
悪念」に違いない。この悪念を正成もそのように思っている。仏教教理ではとうてい解
けることの出来得ないこのような心情、つまり祖霊信仰は古くから日本人が持っている
ものであると言える。
 
 神話の中で山幸彦は海神の国を訪れ、歓待を受けても旧地に換える。浦島子も同様で
ある。常世トコヨの国はなにかとこの世より優れていても、子孫の住む故郷を見捨てずに戻
らざるを得ない心情に、祖霊の意気が秘んでいるのである。民俗学の成果は、文献に裏
付けられ、この信仰は七世紀頃までは遡り得るのである。
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関連リンク [年中行事「12 三月の行事(お爺なお婆な)ほか」]

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