た 大日堂・大日信仰
 
〈だいにちどう・だいにちしんこう〉
 大日堂・大日信仰
 大日堂とは大日如来を祀るお堂で、大日信仰とは、大日如来に対する信仰である。
 大日如来ダイニチニョライ(梵語Mahavairocana 摩訶毘盧遮那)とは仏教において、宇宙と一
体と考えられる汎神論的な密教の教主のことである。大日経・金剛頂経の中心尊格で、そ
の光明が遍く照らすところから遍照又は大日と云う。大日経系の胎蔵界と金剛頂経系の
金剛界との二種の像がある。遍照如来・遍照尊・遮那教主とも。
 因みに毘盧遮那仏ビルシャナブツとは、華厳経などの教主で、万物を照らす宇宙的存在とし
ての仏と云う。密教では大日如来と同じとしている。「毘盧遮那」は新訳華厳経で、「
盧舎那仏」は旧訳華厳経で用いられる。遮那・舎那・遍照遮那仏とも。
 
 小豆沢大日堂の大日如来は本来は金剛界であったが、寛文六年に焼失し、長牛大日堂
より遷座して胎蔵界大日如来とされる。
 一方青森県大鰐町大円寺には、平安末期の作とされる丈六の阿弥陀如来座像が伝わり、
大日様として崇められて信仰されている。
 天台宗の教義として、仏教を民衆に広めるために、本来仏教にない神々と習合させよ
うとしての仮諦神を採り入れたのが、谷内の五大尊である。この五大尊舞は、正月二日、
小豆沢大日霊貴神社(大日堂)の養老礼祭に奉納される「大日堂舞楽」の一つである。
五大尊舞に用いられる面は、金胎大日(二面)・普賢・文珠・八幡・不動となっている。密
教本来の五大明王は、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉である。舞が伝わった当時
(又は面の作られた時)においては、二面の金胎大日が菩薩面で不動明王に当たるもの
とし、他四面が憤怒の相を表す明王面であったと推察される。それが、仮諦神である大
日・普賢・文珠・八幡(阿弥陀とも)・不動に何時変化したのかは明らかでないが、神仏習
合説が早くから採り入れられていたと思われる。地元では五大尊を六体神と呼んで信仰
している。
 
 大日信仰によって結ばれているのは、小豆沢・長牛・独鈷トッコ(北秋田郡比内町)の三大
日堂である。これは当時の鹿角・比内の交通路からしても当然の成立であった。また鹿角
街道の交通交流から見て、天台寺(岩手県浄法寺町)と同じ文化圏にあったことも考え
られる。だんぶり長者伝説は、ダンブリ=ダイビル=大毘盧(舎那)長者に起源を持つ
とされ、更にこれら大日信仰の連環は、津軽街道沿いに岩木川河口の十三湊(青森県)
へ達する「大日信仰の道」を形成しているとさえ言われるようになってきた。
 
関連リンク 平泉文化の進出[だんぶり長者]

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