MI10036 大日堂舞楽 国指定重要無形民俗文化財 昭和51年5月4日指定 所在地 鹿角市八幡平字小豆沢 所有者 大日堂舞楽保存会 舞楽の起原は、鹿角の総鎮守である大日堂(大日霊貴オオヒルメムチ神社)が養老2年(718 )に再建され、尊像の開眼供養カイゲンクヨウが行われたとき、都から下向した楽人により里 人に伝えられたものといわれる。大里オオザト、小豆沢アズキザワ、谷内タニナイ、長嶺ナガミネの四 地区の人々によって1,200年余の間伝承されてきた。 地元ではこの舞楽をザイドウと呼び、正月2日の大日霊貴神社の養老例祭に奉納され る。能衆(舞楽を勤める人)は門口に注連縄を張り、精進潔斎ケッサイをして舞楽に臨む。 当日は谷内、長嶺勢は表参道、大里、小豆沢勢は裏参道から境内に入り、4地区が揃 ったところで修祓シュバツの儀、地蔵舞、幡綜ハタヘイの行事が行われる。次いで堂の正面の階 下で花舞(神子ミコ舞、神名手カナテ舞、権現ゴンゲン舞)が舞われる。権現舞が中程に差しか かる頃、堂内では小豆沢の若者達による籾押しモミオシが行われる。花舞を終えた能衆は階 キザハシを昇り、御上楽ゴジョウラクの楽につれて堂の廻廊を3回めぐる。笛、太鼓が勇壮な曲 に変わると、各地区の竜神幡が先に争って堂内に入り、幡上げが行われる。 幡上げが終わると、能修は堂内に入り、本舞に先立ち、能修全員で神子舞、神名手舞 を舞う。神子舞は天の神、神名手舞は地の神を礼拝する舞である。次いで大里、小豆沢 の舞台元が舞台に上がり、大小行事(唱辞ショウジを言い、銭と米をまき舞台を浄める)が 行われ、法印の儀、祝詞ノリトを奏上ソウジョウして本舞に入る。 @権現舞(小豆沢8人) 継体天皇の第五皇子、五の宮権現の舞といわれ、1人が獅子 頭をかぶり、子供(オッパカラミ)が尾を持ち、笛、太鼓に合わせて舞われる。 A駒舞(大里2人) 五の宮皇子の御乗馬の舞といわれ、垂手シデ笠をかぶり、胸に木製 の馬頭をつけ、笛、太鼓の囃子ハヤシで、礼拝、馬替、一人舞、片手舞、仁義、大車、礼 拝の7節が舞われる。 B烏遍ウヘン舞(長嶺6人) 継体天皇の後宮であった吉祥姫を葬る様を舞にしたものとい われ、折烏帽子オリエボシに顆面ホウメンをつけ、大刀を抜き持ち、声明ショウミョウを唱えながら、 笛、太鼓の囃子で六人立、大博士舞オオバカセマイ、二人舞の3節が舞われる。 C鳥舞(大里3人) だんぶり長者飼育の鶏の舞といわれ、子供3人が雄、雌、雛ヒナの 鳥甲トリカブトをつけ、右手に日の丸の扇を持ち、雄は左手に鈴を持って、笛、太鼓の囃 子に合わせて舞う。膝切ヒザキリ、耳切、腰切の3節からなる。 D五大尊舞(谷内6人) だんぶり長者の舞ともいわれ、袴ハカマ、脚絆キャハン、打越ウチコシを つけ、白梵天シロボンテンと面(大博士は金剛界コンゴウカイ大日、小博士は胎蔵界タイゾウカイ大 日、他は普賢フゲン、八幡、文殊モンジュ、不動の面)をつけ、大刀を貫ヌき持って、大博 士は左手に鈴を持ち、太鼓と祭文サイモン、板子の囃子に合わせて舞われる。 E工匠コウショウ舞(大里4人) 大日堂のご神体を刻む様を舞にしたといわれ、ハチドウ舞 ともいわれる。直垂ヒタタレ、脚絆、高立タカタチ烏帽子に鉢巻をして帯刀と、両手にばちを 持ち、笛、太鼓の伴奏で静かに舞われる。 F田楽デンガク舞(小豆沢6人) 綾笠アヤガサをかぶり、1人が小鼓コヅツミを持ち、1人が 太鼓をさげ、他の4人がささらを持ち、笛、太鼓の囃子に合わせて、天狗鼓舞ツヅミマイ、 立ササラ舞、大車オオグルマの3節が舞われる。 「ウィキペディア『大日堂舞楽』初版 の桜田守宏による投稿は、 このWebページの主宰者によるものです。」 年中行事[一月「祭堂」] |