大日霊貴神社オホヒルメムチジンジャ(鹿角総鎮守)
通 称 大日さん・大日堂
鎮座地 鹿角市八幡平字堂ノ上一六
御祭神 天照皇大神・菟皇子命・吉祥姫命・大己貴命・少彦名命
・豊宇気毘売命・猿田彦命・天宇受売命・大鞆和気命
・素戔嗚尊・崇徳天皇・伊弉冊尊・保食神
例 祭 四月二十八日
養老礼祭 一月二日
祈年祭 三月二十一日(春分の日)
大 祓 六月三十日
新嘗祭 十一月二十三日
大 祓 十二月三十日
特殊神事 大日堂舞楽(国重無民文)(一月二日)
由 緒 社伝によれば継体天皇の御代、高徳により醴泉を授かった長者の善行を伝えよ
うと、善記二年勅願により大日示現社を創建した。
元正天皇の御代、美濃に醴泉湧水し、孝子の徳行により養老と改元され、この地に伝
わるだんぶり長者の物語を奏聞したところ、名僧行基を下向させ、養老二年大日社を再
建された。この時行基に随行した工匠・音楽師等が、里人に舞楽を伝授したのが、現在
の大日堂舞楽である。
以後、両部神道の堂社として崇められ、寿永二年鎮守府将軍藤原秀衡の命により、堂
社の大修理が加えられ、文明十八年南部家十五代政盛の命で大日堂を修復した棟札が、
記録上は最古である。
元和二年二十七代藩主南部利直から、社領八十石を寄進され、明治維新まで八十五石
の社領を一里四方の山林の社地によって維持されてきた。寛文五年大晦日の火災で大日
堂及び尊像を焼失したが、二十九代重信により直ちに復建され、以後南部家崇敬、八大
社の一つとして社殿の修理が藩主の命により度々施されてきた。
昭和二十四年社殿全焼し、同二十六年拝殿は元の九間四面の土台に建立し、幣殿本殿
を増築して、同三十一年竣工する(以上出典:『秋田県神社名鑑』)。
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関連リンク [大日堂舞楽]
[十和田八幡平観光物産協会「お祭り」]
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[文化財 「YU10024 板碑(小豆沢)」 「MI10036 大日堂舞楽」]
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