15 人間性と罪の問題
 
 組織神学の第三課題は、当該信仰が信仰主体である人間をどのように理解し、人間に
何が求められているのかを明らかにすることである。それには先ず、人間の誕生伝承を
考察してみることが、最も適切であろう。誕生の在り方は、そのものの存在本性を示す
ことになる。
 
 ところが、わが国の神話伝承には、特に人間の誕生、或いは発生について語るところ
がない。
 記紀では一応、人間は既に存在していたとされているが、このことについて、二つの
可能性が考えられる。
 
 その一つは『日本書紀』の伝承を中心とする考え方で、伊弉諾伊弉冉二尊による国生
みは極めて冷静かつ客観的に語られ、大八洲を全て、「嶋」「洲シマ」として伝えている。
従って人間はその島に自生するもの、つまり天孫降臨以前の所与として、発想していた
と云う受け止め方をすることである。
 
 もう一つは『古事記』では、生まれた島は全て「国」の名で呼ばれている。これは国
土と、共同体とをお生みになったことになる。即ち人間は国土と共に神の生みの子とし
て認識されていたことになろう。
 
 これらに対して、記紀共に、神話に出現する神々に対して、各豪族や氏達は、その血
縁関係を主張した伝承がある。このことからも、日本人は祖神が何れの神であれ、自ら
を神の生みの子と信じてきた事実と、その信仰が人間理解の根底にあるのも事実である。
 
 神道には、キリスト教や仏教に見られるような、戒律として伝承された罪行為につい
ての規定や教条がほとんどない。その故に神道は、宗教ではない、と言われ続けられて
きたのである。
 この事実の根底には、一つには前述のとおり、人間を神の血縁の子としてその存在を
肯定し受容していることである。
 
 二つには、次の述べる「大祓詞オオハラエノコトバ」にある天津罪、国津罪である。現在の「
大祓詞」は明治以降、この二つの罪の総括名辞が口唱されるのみとなったが、『延喜式
』にはそれぞれの内容が列挙されている。
「万御祈祷太祓」
「大祓詞(中臣祓)」
 
 国津罪とは、生膚断・死膚断・白人・胡久美・己母犯罪・己子犯罪・母与子犯罪・子与母犯罪
・畜犯罪・昆虫乃災・高津神乃災・高津鳥災・畜仆志蠱物為罪等である。これは障害・傷害致
死、子殺し、近親相姦と獣姦、農作物への鳥虫害、落雷、呪詛と毒物などに整理される。
即ち人間関係と共同体に関する罪である。
 
 天津罪とは、畔放・溝埋・樋放・頻蒔・串刺・生剥・逆剥・屎戸である。わが国は古来農業国
であるので、天津罪は一見、農業に関する妨害のように思えるが、実は、須佐之男命が
天照大御神へ働いた狼藉の数々を採り上げたものであろうと考え得る。何故なら天津罪
の行為は、神道にとって最も重大な意味を持つ新嘗の祭りへの冒涜、延いては祭り一般
に対する侵害行為として認識し得るからである。
 
 天津罪・国津罪は併せて、わが民族の拠って立つ理念、換言すれば国柄に対する侵犯
を、罪とし災いとして、宗教的に祓えの対象としていたのである。今日と雖も、神道に
おいてこの精神が忘れられてよい筈はない。
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