平田(巨人)、シリーズの流れ変える活躍
1981年の日本シリーズでシリーズのキーマンとなったのはこの年新人王の原、打率2位の篠塚、4番を打った中畑のいずれでもなかった。この年の公式戦でわずか9安打の平田薫であった。
平田は75年オフにドラフト外で駒沢大から巨人に入団。中畑清、二宮至と「駒大3羽ガラス」と話題になったが、一軍入りは3人の中で最も遅かった。4年目の79年に初安打、初本塁打を記録するなど82打数ながら打率.341をマーク。しかしレギュラーの座は遠く、左投手専門の代打要員が与えられた立場であった。
この81年のシーズン中もある時期はそのバットが面白いように左投手を打ち砕いていた。5月22日のヤクルト戦では2-2の同点で迎えた延長10回表に技巧派左腕・梶間から決勝の1号ソロ本塁打。28日の大洋戦では4-4で迎えた7回裏に代打で左腕・佐藤から決勝2号ソロ。30日の広島戦でも1-1の7回二死満塁で左腕・大野に対して代打で起用され、これまた決勝の2点タイムリーを放っている。9日間に3度の決勝打で2本塁打、4打点をマークしている。しかしこの年の平田の年間成績は3本塁打、5打点に過ぎない。つまりこの9日間以外はソロ本塁打による1打点を挙げているのみである。
あまりに偏った平田の成績だったが、周囲に与えた「左殺し」のイメージは強烈だった。そして日本ハムは先発に木田、高橋一、間柴。抑えに江夏という左投手王国だった。実際にこの4人でこの年のチーム68勝中、約62%に当たる42勝を稼ぎ出していた。「俺の出番は必ずある」、そう信じて平田はシリーズに臨んでいた。
第1戦、この年20勝を挙げてタイトルを総なめにした不沈艦・江川が6回まで4失点と思わぬ不調。7回表にその江川に打順が回り平田が代打に起用された。一死走者なしで日本ハムの先発左腕・高橋一に対した平田は見事に右中間二塁打。続く松本のタイムリー二塁打で生還して、チームのシリーズ初得点を記録してスコアは1-4となった。
平田は篠塚に代わってそのまま二塁の守備に着き、8回に二度目の打順が回って来た。場面は一死1・2塁でマウンドは江夏に代わっていた。百戦錬磨の江夏だったが平田への初球はワイルドピッチとなって走者は2・3塁に進んだ。ここで平田は左中間二塁打を放ち二者を迎え入れる。続く松本のセンター前ヒットで平田は同点のホームを踏んだ。しかし試合は結局井上のサヨナラ安打で日本ハムが勝利した。平田は2打数2安打2打点と奮闘し、勝利には結び付かなかったが左キラーぶりを存分に発揮して手応えを掴んだ。
第2戦も日本ハムは左腕・間柴が先発。シーズン15勝無敗で投げ抜いた、ツキと実力を兼ね備えたサウスポーである。0-0で迎えた7回裏に「代打・平田」がコールされた。ここでも平田はライト前ヒットを放ち、シリーズ通算3打数3安打。そのまま二塁に入った平田は9回に右の工藤と対戦したがレフトフライに終った。試合は巨人が2-1で勝ち、1勝1敗となった。
第3戦は9回に江夏に対して代打で起用されたがショートフライに倒れて、対左投手に初めて凡退を喫した。この試合は日本ハムが3-2で逃げ切り2勝1敗と星を1つリードした。
そして第4戦。左腕・木田の先発を予想した藤田監督は賭けに出た。この年最後まで首位打者争いをして打率.357をマークした3番・篠塚をスタメンから外し、左キラーの平田を3番に起用したのだ。平田は期待に応えて第1打席でレフト前ヒット、第2打席は先制の左中間本塁打といとも簡単に木田を攻略した。試合は巨人が8-2で大勝して2勝2敗のタイとした。
第5戦も左腕・高橋一に対して3番・平田。第1打席にショート内野安打で先制点のきっかけを作ると5回の第3打席には2試合連続本塁打をレフトスタンドへ叩き込む。6回の第4打席にも右中間二塁打して4打数3安打。この二塁打は工藤から放ったもので、平田にとってシリーズ初めての右投手からのヒットとなった。
第5戦を9-0と圧勝した巨人は第6戦も6-3で勝ち、8年ぶりの日本一に輝いた。平田は第6戦こそ出番がなかったがシリーズ通算12打数8安打、2本塁打の見事な活躍で優秀選手賞を受賞している。公式戦130試合で9安打の平田がシリーズ6試合で8安打とは、期待以上の大活躍であった。8安打のうち長打が5本で長打率は10割を超えた。
特に左投手相手に9打数7安打の.778と神がかり的な打撃を見せ、シリーズの流れを変えた平田の功績は大きかった。
第1戦 | 左中間二塁打 | 高橋一 | 第4戦 | レフト前ヒット | 木田 | |
右中間二塁打 | 江夏 | 左中間本塁打 | 木田 | |||
セカンドフライ | 成田 | |||||
第2戦 | ライト前ヒット | 間柴 | ||||
レフトフライ | 工藤 | 第5戦 | ショート内野安打 | 高橋一 | ||
三塁ゴロ | 高橋一 | |||||
第3戦 | ショートフライ | 江夏 | 左翼本塁打 | 高橋一 | ||
右中間二塁打 | 工藤 |
しかし、その後の平田は翌82年が5安打、打率.132。83年も4安打、打率.143とチャンスを生かせず84年はついに一軍出場ゼロに終った。チームの構想から外れた平田は同一リーグの大洋ホエールズに無償トレードされた。プロ野球選手として一度死んだ男・平田はここで巨人に強烈な恩返しをするのである。
5月11日の3回戦ではスタメン出場して、江川から勝利打点となる先制タイムリー。6月1日の6回戦では代打で左腕・角から3ランホームラン。9月8日の22回戦では優勝に最後の望みを懸ける巨人を打ち砕く代打満塁ホームランをこれまた左腕の中島から放った。10月2日の25回戦で2点タイムリー二塁打を放つと、翌3日の最終戦でも満塁一掃の逆転二塁打とこの年の打点の半分は巨人戦でマークした。
この年の平田はそれまでの自己記録を大きく更新する39安打、6本塁打、33打点をマーク。その存在をアピールして健在ぶりを見せ付けたのである。