近藤(中日)、初登板ノーヒットノーランの快挙
愛知・享栄高の左腕エースだった近藤真一は3年春の選抜大会に出場、新湊高(富山)から12三振を奪い散発3安打に抑えるが0-1で惜敗。夏も甲子園大会に出場し初戦の唐津西高戦で1安打完封15奪三振の快投を見せた。剛球左腕・近藤の名は全国に知れ渡り、秋のドラフト会議で高校生投手としては史上最多の5球団からドラフト1位指名を受けた。その結果、中日ドラゴンズが交渉権を獲得し、近藤はプロ野球の世界に身を投じた。
入団1年目の87年。ファームでじっくり鍛えられた近藤はウエスタン・リーグで7試合に登板して3勝0敗、防御率1.29の好成績を残して8月上旬に一軍昇格を決めた。35イニングで被安打19本、イニングを上回る36奪三振と内容的にも立派なものだった。
一軍入りした近藤は9日の巨人戦にすぐに先発した。ドラフト1位の金の卵とはいえ、高卒ルーキーの登録即先発には誰もが意表を突かれた。近藤の先発を予想もしていなかった巨人はスタメンに左打者を投手の宮本も含め6人も並べていた。
試合が始まった。1回表、先頭の駒田があっという間に見送りの三球三振に倒れる。2番・岡崎がファーストゴロ、3番・篠塚がショートゴロと左打者が揃って凡打に倒れ、簡単に三者凡退で終了した。
2回表も原がレフトフライ、クロマティと吉村の左打者が連続三振。3回は一死から山倉に四球を与えて初の走者を許す。ここで早くも先発の宮本をあきらめた巨人は代打・山崎を送るが三振。1番に戻って駒田は2打席連続三振。4回は岡崎ファーストゴロの後、篠塚と原が連続三振。5回はクロマティが三振、吉村がセンターフライ、中畑が三振。面白いようにストライクが入り、145キロの速球と大きなカーブのコンビネーションの前に巨人打線は三振の山を築く。
打線も初登板の近藤を援護、落合が初回と5回にそれぞれホームランを放ち、5回が終って6−0と中日の大量リードとなった。試合の興味は勝敗よりも近藤の投球に注がれる事となった。6回、山倉がライトフライ、代打の藤本健と石井が連続三振。まだノーヒットである。
7回表、先頭打者がエラーで出塁した。初めてのノーアウトでの走者であり、しかも打順はクリーンナップにつながった。しかし近藤は落ち着いて3番・篠塚をセカンドゴロ、4番・原を三振、5番・クロマティを三塁ゴロに切って取り、打球を外野にすら飛ばさせなかった。
8回も吉村をセンターフライ、中畑をサードゴロと打ち取りツーアウト。ここで山倉にこの試合2個目の四球を与えたが、続く藤本健はレフトフライでスリーアウト、ついに8回を乗り切った。この藤本健の打球がようやく5つ目の外野飛球であった。
そして辿り着いた最終回は上位打線を迎え、文字通りの最後の関門であった。しかし、スタメンの左打者を退けた為に1番には投手が2番には途中から鴻野が入っていた。この追い込まれた場面では控え選手たちでは荷が重かった。先頭打者の代打仁村は三塁ゴロに倒れる。あと二人。続く鴻野も同じく三塁ゴロでたちまちツーアウト。あと一人・・・。ここで迎えるは巧打者・篠塚。84年には首位打者に輝き、通算打率は3割を超える巨人一のヒットメーカーである。だが、近藤は臆することなく篠塚をカウント2-1と追い込んだ。そしてこの試合116球目の大きなカーブをややのけぞりながら篠塚が見送ると、主審の右手が上がり13個目の三振で試合は終った。ナインが駆け寄りマウンドの近藤を祝福する。史上初の初登板ノーヒットノーランという快挙達成の瞬間だった。
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
中日 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | X | 6 |
近藤真一・投球内容 投球数116 打者30人 被安打0 奪三振13 四球2 失点0 自責点0
1回 | 2回 | 3回 | 4回 | 5回 | 6回 | 7回 | 8回 | 9回 | |||
1 | 右 | 駒田 | 三振 | 三振 | |||||||
H | 石井 | 三振 | |||||||||
投 | 広田 | ||||||||||
H | 仁村 | 三ゴ | |||||||||
2 | 遊 | 岡崎 | 一ゴ | 投ゴ | |||||||
H遊 | 鴻野 | 二ゴ失 | 三ゴ | ||||||||
3 | 二 | 篠塚 | 遊ゴ | 三振 | 二ゴ | 三振 | |||||
4 | 三 | 原 | 左飛 | 三振 | 三振 | ||||||
5 | 中 | クロマティ | 三振 | 三振 | 三ゴ | ||||||
6 | 左 | 吉村 | 三振 | 中飛 | 中飛 | ||||||
7 | 一 | 中畑 | 三飛 | 三振 | 三ゴ | ||||||
8 | 捕 | 山倉 | 四球 | 右飛 | 四球 | ||||||
9 | 投 | 宮本 | |||||||||
H | 山崎 | 三振 | |||||||||
投 | 岡本光 | ||||||||||
H | 藤本健 | 三振 | 左飛 |
この快投で一躍時の人となった近藤は2度目の登板となった16日の広島戦でも7回途中まで2失点で2勝目。さらに3度目の登板では阪神打線を5回の岡田に許したセンター前ヒット1本に抑え、早くも2度目の完封をやってのけている。デビューから3試合で3勝は1957年木村保(南海)以来で実に30年ぶり史上2人目の快挙であった。
破竹の勢いの近藤だったが、その後は序盤に大量失点するなど4連敗を喫した。9月30日の巨人戦で3度目の完封をやってのけたももの、トータルでは11試合で4勝5敗という成績だった。シーズン最後の登板となったヤクルト戦は先発して4回まで1安打無失点と好投したものの、最多勝の懸かる小松辰雄に5回からマウンドを譲ったために惜しくも5勝目を逃している。ツボにはまれば好投するが、打たれだすと歯止めが利かないという悪い癖もあった。それでも2ヶ月余りで挙げた4勝は高卒ルーキーとしては立派なものだった。何より3完封は見事な数字である。こうして近藤の1年目は幕を閉じた。
チーム勝敗 | 近藤勝敗 | 投球回 | 安打 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 | 被本塁打 | ||
8/9 | 巨人○6−0 | 完封 | ○1勝0敗 | 9 | 0 | 13 | 2 | 0 | 0.00 | |
8/16 | 広島○4−3 | 先発 | ○2勝0敗 | 6回2/3 | 9 | 4 | 3 | 2 | 1.15 | |
8/23 | 阪神○2−0 | 完封 | ○3勝0敗 | 9 | 1 | 8 | 1 | 0 | 0.73 | |
8/29 | 阪神●6−11 | 救援 | − | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.05 | |
9/1 | 巨人●3−5 | 先発 | ●3勝1敗 | 3回2/3 | 4 | 3 | 2 | 5 | 2.45 | 桑田、山倉 |
9/8 | 大洋●5−9 | 先発 | ●3勝2敗 | 1回1/3 | 4 | 0 | 5 | 8 | 4.70 | |
9/15 | 大洋●3−4 | 先発 | ●3勝3敗 | 7 | 7 | 0 | 2 | 3 | 4.54 | ポンセ |
9/23 | 巨人●1−4 | 先発 | ●3勝4敗 | 5 | 5 | 0 | 4 | 3 | 4.64 | |
9/30 | 巨人○2−0 | 完封 | ○4勝4敗 | 9 | 4 | 10 | 2 | 0 | 3.83 | |
10/7 | 阪神●6−12 | 先発 | ●4勝5敗 | 3 | 10 | 4 | 5 | 7 | 4.77 | 岡田 |
10/12 | ヤクルト○10−3 | 先発 | − | 4 | 1 | 2 | 2 | 0 | 4.45 | |
87年計 | 4勝5敗 | 58回2/3 | 47 | 44 | 28 | 29 | 4.45 | 4本 |
2年目の飛躍が期待された88年は開幕からローテーションに入り、7月までに7勝を挙げた。その後はヒジを痛めて戦列を離れ、10月8日の広島戦にリリーフで8勝目を挙げた。しかし、20歳1ヶ月で手にしたこのプロ入り12勝目がプロ生活最後の勝ち星となった。3年目は1試合も登板出来ず、4年目は6試合に投げたものの0勝4敗。その後91年から93年まで計11試合に登板するが0勝1敗、トータル12勝17敗でプロ生活を終えた。
早過ぎた快挙・・・そんな言葉で言い尽くすにはあまりにも短かった栄光の日々。しかし、あの日あの時近藤真一の左腕は確かに輝きを放っていた。それはプロ野球の歴史に永遠に残り続ける。