バース(阪神)、4割への挑戦
1985年に打率.350、54本塁打、134打点の見事な成績で三冠王に輝いたランディ・バースは翌86年も変わらぬ打棒を発揮した。すでに前年の大活躍で「神様、仏様、バース様」とまで阪神ファンに崇め奉られていたバースだったが、86年はさらに伝説的な活躍を見せたのである。
バースが阪神に入団したのは83年。この年はオープン戦で骨折して出遅れたが、シーズンに入ると次第に調子を上げ。最終的には打率.288でリーグ2位タイの35本塁打を記録した。84年は一時帰国で長期欠場したが打率.326、27本塁打をマーク。初めてフルシーズンをこなした85年は前述のように三冠王と最高の1年を送った。そして迎えた4年目のシーズンが開幕した。
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) | |
83 | 113 | 371 | 69 | 107 | 15 | 0 | 35 | 227 | 83 | 0 | 44 | 57 | .288(21位) |
84 | 104 | 356 | 57 | 116 | 16 | 0 | 27 | 213 | 73 | 1 | 47 | 64 | .326(4位) |
85 | 126 | 497 | 100 | 174 | 21 | 0 | 54 | 357 | 134 | 1 | 70 | 61 | .350(1位) |
計 | 343 | 1224 | 226 | 397 | 52 | 0 | 116 | 797 | 290 | 2 | 161 | 182 | .324 |
4月4日の大洋との開幕戦では5打数ノーヒットに終るが、5-0はこの年これが最初で最後となる。翌日早速2安打し、6試合目となる10日のヤクルト戦で3安打して打率.304とした。続く12日の巨人戦で4打数1安打に終わり.296と後退するが、3割未満もこの日が最後。17日の大洋戦で3割に復帰すると二度と3割を割る事はなく、その打率は上昇を続けた。5月3日の巨人戦から10日のヤクルト戦まで6試合連続で2安打以上で、打率を.366まで引き上げた。
その直後の7試合では4試合にノーヒットと調子を崩し、18日には.314までダウン。だが21日のヤクルト戦から7試合連続安打と立ち直り、.336まで戻す。さらに1試合ノーヒットを挟み、31日の大洋戦では4打数4安打の固め打ち。打率は.346に引き上げて開幕以来初めて打率トップに立った。この試合と翌6月1日にかけては日本タイ記録の4打席連続本塁打も記録している。
さらに6月3日の巨人戦で4打数2安打、翌日も5打数4安打と打ちまくり31日からの4試合では実に16打数12安打の大暴れで打率は.369に跳ね上がった。10日の中日戦で8度目の猛打賞となる3安打して3割7分突破。12日からは連続試合安打で打率はさらに上がり続けた。26日の巨人戦で5打数3安打して3割8分突破、7月1日の大洋戦で4打数3安打して3割9分突破。そして驚くべきことに翌2日には5打数4安打して一気に4割を突破したのである。1試合3安打以上は3試合連続14度を数えていた。
この間にバースは打率以外の部門で2つの大記録を達成していた。6月18日から日本タイ記録の7試合連続本塁打、そして日本新記録の13試合連続打点をマークしたのである。
4月3本、5月7本で5月末では10本塁打とスローペースのバースだったが、6月に入ると最初の10日間で5本とペースを上げ、そして18日からの量産に結び付けた。7試合連続が懸かった26日の巨人戦。4打席目までホームランは出なかった。そして5−5の同点で迎えた8回表。江川が渾身の力を込めて投げ込んだ直球をバースは打ち返した。ライトスタンド最上段に弾む決勝22号。72年王貞治(巨人)の記録に14年ぶりに並ぶ一撃だった。
本塁打と平行して伸びていた打点の連続試合記録は、本塁打が7試合連続でストップした後も続き7月2日の大洋戦で11試合連続打点のセ・リーグ新、日本タイ記録。翌日も2打点であっさりと12試合連続の新記録を達成した。バースは4日の巨人戦で記録を13試合まで伸ばし、これは今でも破られていない。
結局大暴れの6月は驚異的な月間打率.468をマークして文句なしの月間MVPに輝いている。
カード | 成績 | 打点 | 本塁打 | カード | 成績 | 打点 | 本塁打 | |||
6/18 | ヤクルト | 4打数1安打 | 1打点 | 16号 | 6/27 | ヤクルト | 3打数1安打 | 1打点 | ||
6/19 | ヤクルト | 5打数3安打 | 2打点 | 17号 | 6/28 | ヤクルト | 5打数3安打 | 3打点 | 23号 | |
6/20 | 中日 | 4打数2安打 | 2打点 | 18号 | 7/1 | 大洋 | 4打数3安打 | 1打点 | 24号 | |
6/21 | 中日 | 3打数1安打 | 1打点 | 19号 | 7/2 | 大洋 | 5打数4安打 | 1打点 | ||
6/22 | 中日 | 3打数1安打 | 3打点 | 20号 | 7/3 | 大洋 | 4打数2安打 | 2打点 | ||
6/24 | 巨人 | 5打数2安打 | 3打点 | 21号 | 7/4 | 巨人 | 3打数2安打 | 1打点 | 25号 | |
6/26 | 巨人 | 5打数3安打 | 2打点 | 22号 | 7/5 | 巨人 | 3打数1安打 |
7月2日の大洋戦で5打数4安打して3試合連続14度目の猛打賞。この時点でバースの打率は.402となった。7月8日には.407まで打率を上げたバースは13日の中日戦まで4割台をキープ。これは出場69試合目で開幕以来の4割台保持記録としては歴代4位となった。
7月17日の中日戦で4打数ノーヒットに終わり、16日ぶりに4割台を割って.399となった。この試合から打撃に変調をきたしたバースはオールスターを挟み29日の巨人戦まで5試合連続ノーヒット。打率は.376まで下がった。しかし30日の巨人戦で2安打するとたちまち復調。この試合から11試合連続ヒット、うち8試合に2安打して8月12日時点では.399と限りなく4割に近付いた。
だが翌13日から2試合連続ノーヒット。16日には.387まで後退した。その後一進一退を繰り返し、残り10試合となった9月26日終了時点で418打数165安打の打率.395となっていた。残り10試合、1試合4打数で計40打数とすれば18安打で打率.3995、切り上げでギリギリ4割に手が届く。40打数18安打は打率にして.450が必要だ。ヤクルト戦2試合で3安打、広島戦3試合で3安打。ヒット2本は出ても3本目が出ない。打率は現状維持で試合数のみ減っていった。
続く巨人戦4打数1安打、そして大洋戦の4打数ノーヒットで4割は絶望的になった。それでも日本最高打率更新と言う目標は残った。10月9日の広島戦で2安打した事により、残り2試合で7打数ノーヒットでも新記録となる事が確定した。翌日の広島戦ではノーヒットに終ったが、14日の最終戦では2安打して有終の美を飾った。最終打率は.389で、クロマティ(巨人)は実に.363をマークしながら2位に泣いた。
カード | 成績 | 打率 | カード | 成績 | 打率 | |||
9/27 | ヤクルト | 3打数1安打 | .394 | 10/4 | 巨人 | 4打数1安打 | .393 | |
9/28 | ヤクルト | 5打数2安打 | .394 | 10/7 | 大洋 | 4打数0安打 | .389 | |
9/30 | 広島 | 3打数1安打 | .394 | 10/9 | 広島 | 4打数2安打 | .390 | |
10/1 | 広島 | 1打数0安打 | .393 | 10/10 | 広島 | 3打数0安打 | .388 | |
10/2 | 広島 | 4打数2安打 | .394 | 10/14 | 大洋 | 4打数2安打 | .389 |
最終的には日本球界初の4割打者は夢に終った。しかし1970年張本勲(東映)の.383を破る堂々のシーズン最高打率記録であった。この記録にイチロー(オリックス)が挑み、94年に.385、00年には.387とあと一歩まで迫ったが破る事は出来なかった。張本の記録は19年ぶりの、そしてバースの記録は16年ぶりの日本記録更新だった。それから18年目にあたる今シーズン、周期的にはそろそろ新記録が出てもいい頃なのだが・・・。
打数 | 安打 | 打率 | 通算打率 | |
4月 | 62 | 20 | .323 | |
5月 | 94 | 34 | .362 | .346 |
6月 | 79 | 37 | .468 | .387 |
7月 | 58 | 20 | .345 | .379 |
8月 | 78 | 34 | .436 | .391 |
9月 | 58 | 24 | .414 | .394 |
10月 | 24 | 7 | .292 | .389 |
計 | 453 | 176 | .389 |